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死別した家族(友人)を想うには・・
母がなくなって3年になります。実家から遠く離れた地に住んでいることもあってめったにお墓参りも行けず、命日には花を生けたりして母を偲んでいるぐらいです。 少しづつ、家族の中でも(あえて?)母について話すことが少なくなっているように感じて、寂しい気がします。いい年をして母に会いたいなという思いは、年を経るごとに強くなるように思います。かなわぬことですが。 ご家族を亡くされてその思いをどのようにして形に表して偲んでいられますか? 心が休まるようなことがあれば、私もやりたいと思いますので参考に教えていただきたく思います。どんなことでも結構です。よろしくお願いします。 ひとつ、私がずっとやっていることは「夢日記」を書くことでしょうか。夢の中にでてきてくれる母の様子を、小さなノートに書き留めています。
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お気持ちお察しします。 おいくつのかたかわかりませんが、私は8年前、21歳のときに母を亡くしました。 私も実家から離れたところに住んでいるので、頻繁には墓参りはできません。 私には父、兄がいますが、なんとなく積極的には母の話は誰が、というわけではないのですが、普段の話題には登場しません。 悲しみ方も表現の仕方も人それぞれだと思うので、彼らなりに想う所はきっとあるのだと思うのですが。 私は8年という長い年月が立った今でも、どこかでその事実を信じられずにいます。しっかりと看病して母の旅立ちを看取ったのですが、それでも、どこか、これがほんとうなのだろうか、と思うことがあります。 それと同時に「母はもうこの私の住むところにはいないんだ」と感じることがあります。 そんなときに私はこう思うのです。今こうして生きている私は父と母からできているのだ、と。この手、この髪、すべて父と母から授かったものである、と。だとすれば、半分母からできている自分を、母に恥じないように大切にし、母に誇らしく思ってもらえるよう、一日一日を過ごしていくことが、今私が母にできる唯一のことではないか、と。 そしていつか母にまた会えるのを楽しみに、母にがんばったね、とほめてもらえるように、と考えています。 ご参考になるかわかりませんが、同じ経験をした質問者さんにわずかばかりでも楽になっていただければ、と思い投稿しました。 お互いにがんばっていきましょうね。
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- pikapikabouzu
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義母が亡くなって4年です 難病を抱えていて主治医から「今日明日に亡くなっても寿命と思ってください」と 言われていたのに6年頑張ってくれました なので夫も私も「最後は静かに逝かせてあげたい」と願っていました いよいよというときも「おつかれさま」という気持ちの方が強かったです 同居はしていなかったので 今でも夫の実家に帰ると「ばぁちゃん」がいつもの場所に座って待ってるような気がします 子供たちも私たちも普通に会話に「ばぁちゃん」の話が出ます 「ばぁちゃん」の言った事 してくれた事 好きなもの 好きなテレビ・・折に触れて話は尽きないです
お礼
回答ありがとうございます。 子どもたちからも変わらずに「ばあちゃん」の話がでてくるのは、うれしいことですね。いいなあ・・・。 子どもからそんな話を聞くだけでも、気持ちが落ち着くというか、心休まる気がしました。pikapikabouzuさんの元気で暖かいご家族の様子、本当にうらやましいです。
- aiaisama
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私は多分、普段通り会話に出すし、わけあってお墓に行かないと思うんで、自分で気がついた時におがんだりお経あげたりする程度かなあ。 戸籍とう本見て偲ぶかな。
お礼
普段どおり会話に出来るっていいですね。私もそうできたらいいのですけれど。 お墓に行かれないのは、aiaisamaさんの理由があるわけですよね。 私は、母が亡くなったあと、実家へ来て仏壇にお線香をあげる姉がなぜか許せないことがありました(当時、私は実家へ看病のため長期帰省していて、その後もしばらくいたのです)。そのときの私の気持ちは、母は死んでいないのに(本当は亡くなっているのですが)そんなことする必要ないと姉を逆恨みのような感じだったのでしょうか。自分からお線香をあげるのがとても嫌でした。馬鹿みたいです。 お経を読まれるのはすばらしいですね。 回答ありがとうございました。
- takaosaiko-
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3年経過してもそのような気持ちでいるということはさぞかし良いお母様だったんでしょうね。私の場合、兄が10年近く前に亡くなりました。私は寝る前に今日あったことを報告してましたね。 でも大切なのは気持ちですよね。偲ぶという漢字は人と思ですからね。
お礼
今日あったことを報告する・・・いいですね。 私は、夜、一人天井を見上げながら、母に無性に会いたいという気持ちを持て余したことがありましたので、今度、そんなときには、報告する気持ちで母に話しかけてみようと思います。 どうもありがとうございました。
お礼
yamyamya-mさんの感じ方やご家族のご様子が私の場合に似ているので、読みながらなんだか胸がいっぱいになってしまいました。 私も、まだ、母がいないということが心の奥底で信じられないような気持ちなんです。こんなにたくさんの人が生きているんだから、母もどこかで生きているのではないか・・そんな馬鹿なことさえ思ってしまいます。そして、その反面、つらいほどに「母はもう、ここにはいない」と、はっきり感じるのです。 8年たっても、今が現実と思えなくても、そう感じてもいいんですね!?そうわかっただけで、とても気持ちが楽になりました。だって、日がたってもやはり、時間が解決してくれるとは思えないのですから。 父と母からできている・・当然なのですが、今までそう意識したことなかったです。そうですね。母が生きているんですよね。自分の中に・・。そう思うとうれしいです。 私も母にほめてもらえるようがんばらなくちゃ・・・。がんばったねと言う声を聞きたいです・・。 どうもありがとうございます。