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「歳をとることは楽しいことだ 」と言う 欺瞞

「歳をとることは楽しいことだ」と言ったり書いたりする方 がいます。本などでもそう言う言葉を見ることがあります。 何故なのか全くわかりません。 どなたか教えてください。 私は、70才で男です。 耳鳴り10年、足腰の弱り、死の恐怖への戦いに疲れ果てています。(特に大きな病気は持っていません) 生活面で困ってはいません家族、孫もいます。 皆さま、宜しくお願い致します。

みんなの回答

回答No.10

耳鳴りや、足腰の弱りなんて抽象的な言い方程度の、特に病気でもない70歳。 生活にも困らず、けっこうなお方じゃありませんか。 死の恐怖なんて、特に病気でもないのになぜ? 私の親戚ですが、かなりの長寿の老人で「もう生きるのに飽きた。早く死にたいがお迎えが来ん」と言ってました。長生きしてると、そういう境地にもなるのです。いわば死の恐怖なんて言ってるうちは、まだ若いんですな。 子供のうちはお小遣いが少ないとか不満があって買えなかったものを 大人になって収入を自由に使えるようになって思い切り 漫画のシリーズを全巻一括買うとか、大人買いって言うんですかね。 こういう〈歳をとる楽しさ〉もあります。 定年退職して毎日が日曜日だから旅行にいつでも行けるっていう そんな〈歳をとる楽しさ〉もあります。 70歳ではもうそんなの使い果たしてしまいましたか? 死への恐怖があるのは生きてることにまだ未練があるからですね。 美味しいものも食べつくして それだけじゃ足りない、全てもうそんなに食べたいという気も無くなった そこまでいきたいですね。 私は自動販売機で売っているようなものはもう興味なく、新製品が出ても買う気にならなくなりました。 全てにそうなりたいと思っています。 そうなれば心やすらかに死を待てるでしょう。 それが最高の、最後の、〈歳をとる楽しさ〉ではないでしょうか。

acrosstakashima
質問者

お礼

有難うございます。 なかなか説得力のある文章だと思いました。 参考にさせて頂きます。

  • E-1077
  • ベストアンサー率25% (3258/12620)
回答No.9

70でそうならば90の人の話を聞いてみたらどうかな。 それぞれの年代で考えがあると思うのです。 特に大きな病気も無くいられるなら、親に感謝ですね。 ある意味、時の流れは人により違うようです。老化現象が進む速度もそうみたいです。何かに集中している人は時間が止まるみたいです。 また「死」は誰にでも起こる逃れ用のない事象です。それを怖がっていたならば生きていくことは出来ません。それまでの人生において何が出来たのかを考えれば、まだ死にたくないと生に執着するのは悪いことではないでしょう。しかしいつの日にかは誰でも死ぬのだから怖いことは無いという考えになると、今日が楽しく生きることを喜びと考えられるはずだと。クリントイーストウッドが言っていましたね。 年を取るというよりも、歳を重ねるというのは見識が深まり、これまでの知識を駆使して日々の生活が豊かになるはずなのですが・・・・。 それがなぜなのかわからないのは、そういう事になったことがないからではないですか?ある意味幸せなのだと思います。 歳を重ねて、白秋の時期を上手に生きている人を見ると、すごいなあと思います。今時の70代はまだ朱夏かな・・・・。

noname#261481
noname#261481
回答No.8

そんな物人によるでしょう。 それぞれがそれぞれの人生を歩んでるですから比較など出来ないです。 要は人生を楽しめてるかどうかでしょうね。 人生はテーマパークでは無いのですから、楽しまないなら楽しきゃないです。 人生を楽しめる人か否かって事です。 年齢により失った物を数えるか、得たもの残った物を数えるかです。

  • staratras
  • ベストアンサー率41% (1512/3682)
回答No.7

>「歳をとることは楽しいことだ」と言ったり書いたりする方がいます。本などでもそう言う言葉を見ることがあります。何故なのか全くわかりません。どなたか教えてください。 こればかりは、人それぞれなので、発言しているご当人に詳しく聞いてみないとその真意は分からないと思います。 ただ、確実に言えそうなのは、歳をとってくると「楽しいこと」の意味合いが変わってくるのではないかということです。私は60代前半ですが、大人数で飲酒して騒ぐなど20代のころ「楽しい」と思えたことが、必ずしも楽しいとは思えなくなり、逆に若いころは当たり前だと考えていた日常生活の細々としたことが平穏無事にすみ、1日健康で過ごせたことを「楽しい」と感じるようになりました。 と言っても、別に悟りの境地に達したわけではなく、まだ死にたいとは思わないので、人間ドックの検査結果に一喜一憂したり、同い年の学校時代の同級生や職場の同期生の訃報にショックを受けたりしています。 私が感じるのは歳をとることによって、耳が遠くなったり、知人の名前が思い出せなかったりするなど「できなくなっていくこと」は確かに多いものの、若いころには気づけなかった(というより、そうした発想がなかった)表にでない世の中の裏の流れが見えるようになるなど、「できるようになったこと」も少ないながらあるということです。 その意味では「歳をとるということは、楽しいことかどうかは別としても、興味深いことである」のは確かだと感じています。

  • tpg0
  • ベストアンサー率31% (3785/11963)
回答No.6

こんにちは。 自らの立場にもよると思いますけれど、少なくとも私は歳を取ることは楽しいと思うことがあります。 なお、私は97歳の実母を二世帯住宅で扶養する67歳になる長男の立場ですが、実父は私が20歳の時に60歳の若さで病死してますので健康な身体に恵まれたことに感謝してますし無事に定年退職を迎えて会社勤めの責任から解放された気楽さがあります。 恐らく、私の場合は二世帯住宅で同居する実母が未だに97歳という高齢になっても健在であるため死に対する恐怖を実感することが出来ないのだと思いますが、健康と老後資金など経済的なことや妻子にも恵まれてますので欺瞞ではなく気楽な立場で歳を取ることが楽しいと思うことがあります。

  • zabusakura
  • ベストアンサー率14% (2427/16191)
回答No.5

辛いことよりも楽しい事の方が明らかに多いからってことじゃ ないですか? 常に絶えれないほどの痛みがあるとか、明らかに生活の質が自分が 望むよりも、かなり低ければ、そうは思わないでしょう。 それに年齢が上がれば、あっちこっちに不具合が出る方が増えますよね。 だからこそ「歳をとることは楽しいことだ」って言葉だと本になるんじゃないですか? 闘病本でもない限り、「年を取ることは辛い」って本を書いても そんな、当たり前のことを言われてもって誰も読まないんじゃないですか? 珍しいから、取り上げられるんじゃないですか? まれに、80過ぎても、どこも痛くないし、病気もしたことないし 毎日、楽しいって方、いらっしゃいますよ。 欺瞞じゃなく、本当に、そうなんだろうなって方。 勿論、少数だとは思いますが。

  • pipipi911
  • ベストアンサー率22% (1029/4602)
回答No.4

そのようなことが書かれている 本や雑誌等のタイトルや出版社を 開示してくださいませんか。 お望みの回答にはなりませんが、 アナタ様が《死の恐怖》と戦っている としたら…アナタ様は暮しの中心に 得ることを据えているということは ないでしょうか。 与えること、社会のお役に立つことを 実行・実践しつづけていれば、 《死の恐怖》とやらから自由になれる かもしれませんよ。 [私は、なるが侭を、なるが侭に、 あるが侭を、あるが侭に、 のスタンスで暮らし続けていますが 《死の恐怖》なんぞとは、無縁です。 街を歩いていて、突然の事故で 急死してしまうことだって、 あるのですからね。 〈日々、人々の為に、できる限りのことを し続けるようにしていれば、アナタ様の 感覚も変わって来る筈ですので、 お試し、有れ! お孫さんに尊崇されるようなことを、 とりあえず、地域の人々の為に、 具体的にし始めませんか〉]

回答No.3

おっしゃる通りでおそらくですがあなたが言う本などをきっちり読めばその著者の根拠なりが見えてくるとは思うのですが あなたはタイトルや言葉を見ただけでその言葉の意味を理解しようとしているからわからないだけではないのでしょうか? 人それぞれ根拠なり解釈するので本を読んだうえでそれでも理解できないと言う事であれば補足お願いします。 自分は年を取る事は楽しい事だと思いませんのでわかりたいとも思いません。

回答No.2

>「歳をとることは楽しいことだ」と言ったり書いたりする そうでもしなければこの人生の荒波を 乗り越えて行けませんよ

  • sukeken
  • ベストアンサー率21% (1454/6647)
回答No.1

こんにちは。 ある意味、負け惜しみです。 ご心配なく。 >耳鳴り10年、足腰の弱り、死の恐怖への戦いに疲れ果てています。(特に大きな病気は持っていません) 現実は、こうです。