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橋田壽賀子さんの安楽死?
昨夜のテレビで、橋田壽賀子さんがこのように言っていました。「90歳過ぎると肉体の衰えを感じるんです。元気でいたいと思うけど足腰痛い所ばかり、動けなくなって周りに迷惑掛けて生きている意味が無いなら死なせて下さい。遺言は書きました。天涯孤独で誰も迷惑掛ける人はいない、知らない間に死にたい、(安楽死)を選んでいるくせに自分でその時を選ぶのは嫌なんです。」私はこれを聞いていて段々腹が立って来ました。世の中には生きたくても重度の障害により生きられない人がたくさんいるのに、TBSの看板ドラマを書く人がこんな悍ましい死生観だったとは、余りにも情けないと思いました。皆さんはどう思いますか。
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私も見ましたが、実に無責任な考えです。「安楽死で死にたい」といっておきながら、自分で毒薬を飲む覚悟は無いという。他人任せなんです。仮に殺人罪に問われないとしても、そんなことを実行した医療関係者がどれだけ精神的に負担になるか考えもしないんですね。刑務所で死刑執行をする刑務官は執行時に3人が同時にボタンを押す(二つはダミー)のですが、それでも精神的な負担は相当なもので、忘れることはないそうです。死刑執行が当日の朝に言い渡されるのは、刑務官がその前から知っていると休みを取ってしまうからということもあるそうです。
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おっさんです。 既婚者、2姉妹の子持ち、両親健全、私の兄弟も其々結婚して独立しています。 周囲は至って健常者ですし、普通の生活を送っています。 そんな環境の中にいても、イザとなれば「安楽死」は賛成です。 そのイザというのは、家族が見守るめでたい出産と違い、人の最期は千差万別で普通に生活していると想像も付かないような壮絶な生活を共にしておられる方をたくさん見ています。 老人が更にその親の首に手を掛けては躊躇する日々を送る話等、いつまでこのような生活が続くのか?心中を察するあまり涙が零れて来ます。 介護と一口に言えど、行政介護レベルをはるかに超えた、人間の限界を超えた介護を、、、誰の身にも普通の生活をしているところへ突然突き付けられることがあるのです。 そんな時に「安楽死」を考えてあげても良いという気持ちにさせられます。 >世の中には生きたくても重度の障害・・・。 あなたの文章の中でこの言葉が一番抵抗がありました。 人は人であって何も障害者に遠慮して生きているわけでもなく、家系や血族によって富貧に生きるのも其々に喜怒哀楽があり、結局最期には自分にしか分からない人生がある。としたことで良いんじゃないでしょうか。 >知らない間に死にたい・・・。 その方は、何の目的でその番組に出演されたのでしょうかね。 著書本の宣伝に過ぎないのでは・・・。 90も過ぎていればいつ死んでも可笑しくない年齢ですから勝手に死ぬんじゃないですか? 上述に述べたようにある程度の知識人で有っても戦時中から90年生きながらえて来た結果、そう思っておられるのですから客観的にみてあげていいんじゃないですか?
お礼
そのような見方もあると納得致しました。有難う御座いました。
補足
あの番組で橋田さんが「楽に死ねるような注射でも打って欲しいです。」と言いました。それを聞いていた女医が「医師が殺人罪に問われますよ。」と言ったのです。当たり前ですよね。それが橋田さんには理解出来ないのか?と思いました。
- kunitokotachi
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とくに他人が腹を立てることでもないのでは?
- hekiyu2
- ベストアンサー率35% (271/774)
皆さんはどう思いますか。 ↑ どんなミジメな人生でも、死に方さえ間違え なければ、良い。 という言葉を思い出しました。
お礼
有難う御座いました。
- sugiraito
- ベストアンサー率11% (32/289)
そういう人もいるでしょう。体の痛みで毎日生きることがつらい人もいます。でも、日本には安楽死法はない。死生観は人それぞれです
お礼
有難う御座いました。
補足
「死生観」は人それぞれですが、今の時代に応じた正しい「死生観」を教えて上げるのが我々では無いですか?相手に「貴方の考え方は間違ってる。」と言って上げても良いのではないですか。
あの方らしい考えですね あの方のドラマも 殆どが、いい加減な設定 面白い面もあるが 参考にはならない。 そういう人です。
お礼
そうでしたか、有難う御座いました。
お礼
早速のご回答有難う御座いました。「命の尊厳」学校で教えるべきと私は思いました。有難う御座いました。