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G1
むかし16で「F1と同じだなあ」と思ってましたが、今、G1は、26もあります。さすがに「大阪杯」というレースがG1と言われた日にゃあ「それはダメだろ」と、心でツッコミました。天皇と大阪では、雲泥ではないか。 なぜ、こんなことになってしまったのでしょうか。希少価値が損なわれます。
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- eroero4649
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えろえろさんっす。 >何が費用対効果かわかりませんが、中央競馬は、全レース均一で25パーセントの胴元取り分で、費用対効果は変動しません。 例えばG3の1レースの売上金が10億円で、G1の1レースの売上金が50億円なら、G3のJRAの儲けが2.5億円で、G1だと12.5億円になります。それでG3を開催するのに経費として5千万円かかったとして、G1だと観客数が一気に増えるから警備などの経費で10倍の5億円がかかることになったとしても、差し引くとG3が2億円の利益で、G1だと経費が10倍かかったとしても7.5億円の利益となります。あくまで数字は分かりやすくするためのもので、実際の数字ではないことはご理解いただけると思います。 実際の興行では、経費が増えるということは警備員などの雇用が生まれるということでもありまた、競馬新聞などの売上も伸びることになります。競馬場内の飲食店の売上も伸びるでしょう。G1となると観客は桁違いに増え、警備などの経費も跳ね上がるとは思うのですが、馬券も含めた全体の売上の効果がコストを上回っていれば費用対効果が良いといえるのではないかなと思います。
- yaasan
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希少価値って何でしょう。多ければいいってもんでないよ、という反対に少なくしておけばいいってもんでもない事が山ほどあります。 日本の競走体系も日々努力して整えられてきました。中には自分にとって気に入らないものもいくつかあると思いますが、それなりに努力して今があります。大阪杯一つ取ると「春に古馬中距離G1が実質無い。作れよ。」という声に応えた結果です。 >天皇と大阪では、雲泥ではないか。 >希少価値が損なわれます。 これは個人個人の思いで十分です。障害好きの人は中山大障害が日本でNo.1のレースだと思ってるかも知れないし、売上で有馬、伝統と名前で天皇賞と思っている人もいるでしょう。ダービーの人だっているでしょうね。 格なんか関係なく、出走頭数が揃って予想が楽しくて、馬券が当たればOKっていう人も少なからずいると思います。 JRAも失敗したと思えば策を講じるのですから、ファンは取捨選択する事でその態度を示せばいいんではないかと思います。 そういえばF1って資金難で減ってるんでしたっけ。
- eroero4649
- ベストアンサー率32% (11082/34532)
幸か不幸か、JRAにカネがあるってことなんでしょうね。だってカネがなかったら賞金も用意できませんからね。 あと内部事情のことはよく分かりませんが、誰か計算が得意な人がいて「G3よりG1のほうが費用対効果が高い」って気づいたのかもしれませんね。 JRAが「強い馬が勝つG1より、福島のG3ハンデ戦のほうが何が来るか分からないから面白れぇよ」って言いだしたら、ヤバいかも・笑。
お礼
ありがとうございます。何が幸か不幸かか、わかりませんか、賞金の原資は競馬ファンでしょう。JRAは賞金に何も払ってませんよ。 何が費用対効果かわかりませんが、中央競馬は、全レース均一で25パーセントの胴元取り分で、費用対効果は変動しません。 そうなんでよね。ギャンブルとしては、全レース同じなのに、何故か、レースとして楽しむ事とギャンブルの混同を起こして「G1」にだけ参加するんですよね。 パチンコも同じで海物語だろうが大工の源さんだろうが、ギャンブル的にはなんの関係もないのに混同を起こすんです。愚かな話。
主さんと同じように思われる方は競馬ファン、そして生産者側にもきっといるとは思います。 ・「G1なら馬券が売れる」というJRA側の思惑 ・「G1勝ちという高い名誉と賞金。得られる機会は多いほどいい」という馬主側、生産者側の思惑 ・「G1がいっぱいあった方が楽しいし盛り上がるし」というファン側の声 それらをすべて満たすことができる最も手っ取り早い方法は「G1レースを増やす」。その結果が計26レース、ということではないでしょうか。 主さんが危惧された通り「希少価値がない(なくなった)」という声も当然多くなりましたが、目に見える弊害とか影響って何かありましたか? 自分は「所詮、希少価値なんてその程度のもの」と思ってますが、単に鈍いというだけで影響に気付いていないだけかもしれませんね。
お礼
ありがとうございます。まーねー。数字は相対的なので、26をまだ少ないとも、16は既に多いとも、言いようです。 弊害を感じさせないように、じわじわと増やしとるわけやし。 ただ、その昔、エリザベス女王杯を、分離して「秋華賞」とした時は「そんな造語はみとめられへん」と思いながらも、今思えば、まだ、ネーミングを気にする空気が残存していたが「大阪杯」となると、もはや、なんでもええわと、サジを投げたみたいなもの。 「名前なんて」というなかれ。 競馬なんて名前がなければ畜生の競争。根拠なきカタカナに擬人化してありもしないウソのロマンを追うのが競馬じゃないですか。
お礼
ありがとうございます。確かに、2000メートルはなかった。そのかわりマイルが2つもありますが。 なんか、会社の役職やな。 うちの会社なんか、じわじわ年功出世して、気づいたら部下のいない課長だらけ。あげく、本部長があるとき、一斉に、部長とネーミングだけを変えた。降格ではなく、ネーミングの整理。それってデノミじゃん!。全くなんだかなあ。 中山は競馬の聖地としてまだいいやん。淀とか栗東ならいいのよ。大阪ってダメじゃない?。 弥生式土器は、弥生町という発掘された地名にすぎないのだが、これ、たまプラーザ式土器でもいいかというとそうはいかんだろう。というお話。