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マリンライナーの存在理由を教えて下さい。
マリンライナーはなぜ特急の肩代わりで乗せてるのでしょうか? 特急ではなく、普通列車のみで乗せるようにして、利用客を増やしているのでしょうか?
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もともとは、短区間の列車で、新幹線と四国内の特急列車との接続のための列車だから。 いまでこそ、岡山直通「しおかぜ」・「南風」は毎時1本設定がありますが、 瀬戸大橋開業当初はどちらも2~3時間に1本の設定で、 新幹線から四国内の特急・急行に乗り換えるには、いまの大半の「うずしお」同様、 岡山―坂出・高松で快速「マリンライナー」に乗っておく必要がありました。 「マリンライナー」は瀬戸大橋開業直前の岡山―宇野間の快速「備讃ライナー」を引き継ぐもので、 急行「鷲羽」の流れをくむ列車であるというのはほかの回答者のご説明の通りです。 新幹線岡山開業のとき、急行「鷲羽」は夜行便を除き岡山以東の区間を廃止し、連絡線との接続に特化します。 このとき、岡山―宇野が33km足らずであることから快速列車に格下げとなりました。 「マリンライナー」の役割はこの岡山―宇野の快速列車と変わらず、 これを安易に急行列車や特急列車にしてしまうことは避けたかったのでしょう。 また、現状として、岡山―香川の経済的な結びつきは強く、 海を越えての通勤・通学は全く珍しいことではありません。 「マリンライナー」はこの需要に応えるための列車としての役割も担っています。 さらに言えば、宇野線・瀬戸大橋線はその線路容量に対して列車本数が多く、 四国内3方面へ向かう特急・快速列車が4本/hと、普通列車が1~2本/hです。 高松行き快速2本/hを特急列車にしてしまうと、妹尾・早島・茶屋町といった特急の通過駅は 普通列車が1~2本/hだけになり、これも需要に応えるには不十分な列車本数となるでしょう。 事実、マリンライナーはよく混雑しており、岡山県内で降りてしまう客と瀬戸大橋を超える客が半々というところです。 最後になりますが、「肩代わり」の意味を間違って理解されているようです。 肩代わりとは、他人の債務(借金の返済など誰かに何かを返済する義務)を引き継ぐことです。 原義から照らしても、特急を運行する事業者の代わりに別の事業者が運行していると言うわけでもありません。
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- potatorooms
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正味の工程で、始発から終点まで1時間かからないからです。 国鉄時代、特急は、遠達、遠くにお客を運ぶのが目的でした。近場を速く届けるのは急行や快速の役割です。 房総特急やかいじができたとき、隣県にしかいかないということで反対する人がいましたが、東京で言うと、東京発高尾行きの特急を作るのと同じわけで、とても特急にはできなかったのでしょう。 いまならやるかもしれません。
お礼
ありがとうございました。
- kuni-chan
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特急にしますと乗車には特急券が必要になります。 特急になりますと通勤や通学の人はまず利用できませんので普通列車を別に運転する必要があります。 岡山-茶屋町間は単線が残っていますし、瀬戸大橋の区間は強風時につり橋上に停車させられませんので運転本数に制限があります。現状ではラッシュ時に普通列車を増発する余地はありません。 観光用の特別仕様の車両を使うなど観光列車ならともかく、70km程度の区間まで特急化する必要は無いと思います。
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ありがとうございました。
- suiton
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通勤通学利用が多いですから、特急化は無理でしょう。 岡山-茶屋町間は単線区間もありますので、増発も難しいので、近距離輸送と中距離輸送を両立した現在の形がベターですね。
お礼
ありがとうございました。
- FEX2053
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岡山-高松の「マリンライナー」は、瀬戸大橋も新幹線もない 時代に、大阪からの急行「鷲羽」が頻発していた区間です。 鷲羽を宇野で降りて連絡船に乗り、高松へ。高松から四国の 各地方に行く急行(特急はなかった)に乗り継いでいたん ですね。 で、新幹線ができたときに、岡山-宇野の短区間で急行料金を 取っちゃうと、高松からの急行に「乗継割引」を利かせられ なくなるために、岡山-宇野間を「快速」(名前はない)に したのが、この区間の「快速」の始まりです。 初めは153系だったんですけどね>この区間の快速。快速に したのでタガが外れたせいか、すぐに113系~115系と近郊 型に入れ替わりました。その意味でも「急行」にする気は 初めからなかったんでしょう。 瀬戸大橋が出来た時にも、高松までは快速と連絡船の乗継ぎ =急行・特急料金を払わずに行けたのを、そのまま引き継ぐ つもりで快速用213系を入れ、「快速」として運転を継続 した結果、今に至ってます。岡山からの特急は当初、本数も 少なく、「マリンライナーを介した乗継ぎ」も視野に入れ 丸亀・宇多津・高松での「乗継割引」も設定されていました。 213系が結構設備の良い車両だったことと、瀬戸大橋観光 目当てに豪華なグリーン車を入れた(でも何時もガラガラ だった(笑))ので、東京の185系を見ちゃうと「なんで 特急にしない」と思っちゃいますけどね。あの当時、大阪 の新快速はオールクロスシートの117系だった・・・という コトを忘れないでください。 ということで、過去からそうなっていたので、そのまま 継続したというのが本当のところ、結果として高松-岡山の 流動が増え、JR四国の唯一のドル箱になっちゃった・・・ というのは結果論なんです。特急に「意識してしなかった」 のではなく、「特急にするという発想そのものがなかった」 んですね。 今では、九州の北九州-福岡-大牟田の快速や、京阪神の 新快速のように、その地域になくてはならない「足」に なってますから、今更特急にはできないと思いますよ。 ちなみに、昔はガラガラだった「マリンライナー」の グリーン車や指定席、乗客が増えて座れなくなったせいか 今ではどちらも結構な乗車率です。
お礼
ありがとうございました。
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ありがとうございました。