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自分に許すこと
- 建築家の安藤忠雄さんがどうしてあそこまで偉大な業績をのこし、ブリツカー賞という世界的な賞までもらうまでになったのか、昨日安藤さんの講演を聞きながら考えました。
- 安藤さんは、自分に難しいことを「やってええよ」と許す。
- ふと、この安藤さんの思考法をぼくらも真似できないかと思ったのです。
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こんにちはEX さん 建築の世界は私は門外漢なものですから安藤忠雄さんと言うお名前 この質問で初めてお聞きしましたがまことにお恥ずかしい ただ建築家は知りませんが建築の世界は満更縁がない訳でもないのです その業界の方と懇親会などでお会いする機会もありました その中で今でも印象に残っているのがトーヨーサッシの創業者 お名前は何と言われたか? もう随分と昔の事になりましたから思い出せないのですが 細身の小柄な方でしてねまことに外見は穏やかな方でしたが 仰る好奇心の塊のような方で一代で今はトステムでしたか?作られた 先日、私はisoken さんの質問でダスキンの鈴木清一さんの祈りの経営、 これに感銘を受けたと言いましたが この方の経営理念にも私は驚かされたのです まず自分の枠を作らない、 石橋を叩いて渡ると言う発想がまるでない、落ちたら死ねばいい事ではないか これは言葉で言うのは簡単なことですが並大抵のことでない この小柄な方の何処にこれほどの覚悟があったのかと思えば私は驚かされたのです それから数年でしたが会社が倒産しまして 年配の方なら記憶にある方もおられるでしょうが お決まりの放漫経営あるいは過剰な先行投資が原因でしたでしょうね ただ私も当時の経営陣にはあまり強いことも言えないのです 好き勝手しておりましたからねえ クラブ、キャバレーなど自分の金で呑んだことがない もう時効でしょうが旅行会社から賄賂に近いものをもらったてましたしアハハハ 私は会社が倒産してからサラリーマン生活を続けるつもりはなく 自分で何かを始めてみよう、幸い人脈もありましたので何とかなるだろう? そう思いましてね 世の中は私が考えるほどに甘いものではなく なるほど会社と言う看板があっての自分であったかと思い知らされました 私は死んだほうが楽かな?と言う思いもしております その都度家内が私を私を支えてくれて今私が何とか人並みの暮らしをしていられる たまに絞め殺してやりましょうか?と思うこともありますが 苦労をかけた昔を思えば思いとどまっておりますアハハハ 人は何処かで目を瞑って踏み出さなければいけない時があるのかも知れませんね 口で言うほど簡単な事ではないでしょうけど これは余計なことでしょうけど 女性、リタイアした人は別にして働き盛りの人はこんな場所で昼日中から 能書きを言っていないでまず頑張ってほしい したくとも出来ない人もいるでしょうからそれは仕方がない でも健常な身体を持ってるのなら頑張らないと 私はここのアンカテを眺めているとつくずくそう思って イソップの蟻とキリギリスの話を思い出すのです
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- isoken
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ex さん、こんばんは。 >偉大な業績を残した人に共通する意識ではありますが、「ワシには無理や」という発想が全くない。 政治・経済・文化という枠を超えて、偉人伝に登場するような人物に共通するのは、我ら凡人と違って自分に限界を拵えない事、加えて驚くほど粘着力があるケースも多い、更には旧習を知識として持ちつつもそれが足枷にならない柔軟性、考えれば自分に欠けている点ばかりです。 以下余談ですが、一昔前同じような印象を持たれていた、 孫正義 さんが生き残り ホリエモン と 村上世彰 さんが過去の人 ( ちょっと言い過ぎですかね ) になりました、無論ビジネスの王道・表街道に於いての話。 前者が時代を先取りしたビジネス・モデルであったのに対し、後者はイメージこそ 斬新であったかも知れませんが、その中身は グリーン・メーラー そのもの、 ライブドア なんて本業は赤字垂れ流しでしたし、自らを「もの言う株主」と称した 村上ファンド だって、或る特定の銘柄で連合艦隊を組み値を吊り上げて売り抜けるその実態は仕手筋そのもの、ただ彼が ファンド・マネージャー 時代に手にし今も残る利益は200億円との事です、いや敵いませんねぇ。 話しが横道に逸れましたが、孫さんの意志の強さは並大抵じゃない、彼には手っ取り早くパチンコ屋のおやじという道もあったのでしょうが、日本経済界のど真ん中で勝負という拘りがあったのかも知れません、何れにしてもその途方もないサクセス・ストーリーは、称賛されて然るべきでしょう。 >さてみなさん。思い切ってこれをやってよかった。 >意識をかえることで、思いがけない結果が得られた。 >そういうことってありますよね。 大学を卒業し社会の荒波に放り出されて以降暫くは、これでも多少なりとも気を遣って生きておりました、ただバブルを分水嶺として企業人としての意識が劇的に変わりましたねぇ、私の場合は・・。 会社へ手向ける或る種の ロイヤルティ が、最早個人に フィード・バック される時代ではなくなりつつあると痛感しました、もっともあの当時私のところは、企業としての基礎体力を失くしてそれこそ青息吐息、最早報酬を宛がう以上の組織ではなくなってはおりましたが・・。 若造の分際で、ホステスさん達にばら撒いていたタクシーチケットは取り上げられ、快適なビジネス・クラスは留置場のようなエコノミーへと変貌を遂げた、12時間も掛かるロンドンへの出張が、まるで地獄のように感じられました。 その後業績がV字回復を果たし今に至りますが、効率が全てに優先・日本的温情経営からの脱皮というその方向性は今も変わらない、いやむしろ強まった気すらします。 ただ人様より早めに気が付いただけ良かったかも知れません、それまでのサラリーマン社会の王道は、時間と手間を掛けて敵を減らし バッファー・ゾーン を増やして行くのが、恐らく賢い人のやり方だったのでしょうが、もういつクビになってもいい、好きにやるぞと開き直りましたから。 そもそも人生は短いんですよねぇ、人間関係に無駄な意識を擦り減らすなんて愚の骨頂、時には費用対効果が高く派手な喧嘩をやらかし物騒な鎧を纏った方が、生きて行く上で断然得だという世の中のカラクリも分かった、目から鱗でしたねぇ。 ・・以降、拗れた関係を修復する努力なんてのはやった事が無い、何かあれば 「 永遠にバイバイ 」 でいいと思っておりますし、敵は蹴散らせばいいだけの話ですから、とっても楽です。 総枠として人生を考えますと、仕事の成功・充実とプライべートな時間や楽しみは、やはり両立しないのかなと思うのです、仕事が趣味やその他に直結していればまた別ですが・・。 バブルが弾けて以降の四半世紀、私はずっと個人の時間を最優先して参りました、海外旅行に行きたい為平気で10日程度の休暇も取った、それはそれで何の後悔もありませんが、あの時仮に総量規制なんて通達が出されず、日本経済がソフト・ランディングに成功していたらどうだったでしょう、その後の自分の人生に幾らか影響を与えただろうか、・・なんて意味の無い事も考えたりするのです。
お礼
isokenさん おはようございます。 >政治・経済・文化という枠を超えて、偉人伝に登場するような人物に共通するのは、我ら凡人と違って自分に限界を拵えない事、加えて驚くほど粘着力があるケースも多い、更には旧習を知識として持ちつつもそれが足枷にならない柔軟性、考えれば自分に欠けている点ばかりです。 優雅に生きることが身についている人は、ハングリーである必要がないのだと思います。一方飢餓感が習い性になっている者にとって、明日の食い扶持の不安を行動することで満たしていかないといけない。そういうことでしょうか。 本当は、誰しも「明日の事を思いわずらうなかれ」と言われているのかもしれないけれど、何かしないとつらくみじめな思いをするという経験がつきまとっていたりします。その不安がどこからくるものかとは、考えてみないままに、人はせっせと働き、働くことで不安を忘れようとします。 映画「マルサの女」の中で、山崎努が「カネはコップの水と同じだ。ポツポツと落ちてくる水滴をコップに貯めて淵からあふれる分を啜っていたらなくならない。」と言います。 これは、1987年のバブル経済の当初の話で世間に「ストック」「フロー」などの概念が広まっていない頃の話です。 同級生で米国の某不動産ファンドのマネージャーをやっている男がいます。 10年ぶりに顔をあわせ 「よう。今何やってる?」 「省エネ建築」と私が答えると 「なんかみみっちいことやってるんだねぇ」 彼は、才能のあるやつはそれを生かして大きな仕事をやるべきだと言いました。 私は設計事務所に勤めて貧乏な修業時代を過ごすのが嫌でまともな給料をもらって 俗人的な生活の豊かさを堪能したかったです。タワーマンションを設計するよりタワーマンションに自分で住みたかった。(自分でタワーマンションを設計して自分で住んだのは丹下健三くらいのもの) >総枠として人生を考えますと、仕事の成功・充実とプライべートな時間や楽しみは、やはり両立しないのかなと思うのです、 二兎を追うものは一兎をも得ず。ことに仕事の充実をパートナーと共有できない職種では、配偶者がよほどの理解力をもたない限り「仕事の成功・充実」は自分だけの満足に終わってしまいがち。私はそれで離婚の憂き目にもあったわけでして。 >私はずっと個人の時間を最優先して参りました、海外旅行に行きたい為平気で10日程度の休暇も取った、それはそれで何の後悔もありませんが、あの時仮に総量規制なんて通達が出されず、日本経済がソフト・ランディングに成功していたらどうだったでしょう、その後の自分の人生に幾らか影響を与えただろうか、・・なんて意味の無い事も考えたりするのです。 私に置き換えたら、仕事に傾注した時間を家族とすごす時間に振り向けていたら 夫婦関係はまた違ったものになっていただろうか・・・これも現在の目の前の幸福に比べたら意味のないことだったりします。 私にしてみれば、先妻と別れるという決断が 「思い切ってこれをやってよかった。意識をかえることで、思いがけない結果が得られた。」 という典型例かもしれません。 ご回答ありがとうございます。
- 戦艦みかさ(@mikasa1905)
- ベストアンサー率14% (675/4694)
>実社会は結果論だなんて偉そうに言ってすみません。 いえいえとんでもない。私の個人事業はリスクなしで小手先で手軽に稼げるという理由で消去法でなんとなく始めたに過ぎません。今まで「思い切ってやってみた」事なんて無いんです。 >神ならぬ我々も「断じて行えば鬼神も之を避く」という部分があるのではないか。 おっしゃる通りだと思います。見通しや計算も大事だけれど、成功に繋がるかどうかのほとんどは人間の意志の力が占めてるのだろうと思います。世の中やった者勝ちです。 私はまだ子育ての最中ですのでリスクを取れないでいるのですが、それは言い訳です。やるなら早い方がいい。「コレだっ!」ってものに出会えるまで、とりあえず資金と体を作っておいて、いざというとき行動を起こせるようにしておこうと思ってます。
お礼
ごめんなさい。自分でも整理し切れていない話をmikasaさんにぶつけてしまいました。 皆がANDOにはなれないだろう。夢に生きるなら家族も捨てる気にならなくちゃいけないだろうと、・・・それは出来る相談ではないですね。 また、別の機会にmikasaさんとゆっくりお話しをしたいです。 ご回答ありがとうございました。
- 戦艦みかさ(@mikasa1905)
- ベストアンサー率14% (675/4694)
>神様がせっかくそう言ってくれてるのに、「そんなことやったらあかんのと >ちゃうか」と自分でブレーキをかけるのが凡人の人生だったりします。 EXさんこんにちは。おっしゃっている事よくわかります。 私は新しいアイデアの商品やお店とかをよく考えるのですが、つい周囲の人に話して意見を聞いてしまいます。反応は「ふ~ん」とか「発明家めざしてるの?」とか「そんな奇抜なもの世間に受け入れられない」とか。 ある商品アイデアは、プロダクトデザイナーの知人に話したら全否定喰らったんですが、かなりの時間をかけて設計・工作をして形にして見せたら、ようやくアイデアを認めてくれたようで弁理士を紹介されました。しかし弁理士事務所へ行ったら、類似特許が出願されている事が分かり「出願はされてても商品化されてない。こうゆう昔からあるモノの形は変わらない」と言われました。・・・なんて言ってる間に、そのアイデアは他の人によって商品化され、最近はネットで買えるし地元の雑貨店で売られるほど浸透を始めています。最初にアイデア全否定したプロダクトデザイナーはメールでその商品写真を送ってきて「残念だったね。結局商品化したやつが勝つんだよ」などと言ってきます。 もうひとつの20年前くらいに妻に言っていたお店のアイデアも、「あなたの言ってたアイデアのお店、東京の方で最近いっぱい出来てるみたいね」って言われました。 私のプレゼン能力が低いだけだとも思いますが、新しいアイデアというのはなかなか人に伝わらず受け入れてもらえません。どうしてその良さが分かってもらえないのだろうかと不思議に思いますが、実現されるとあっという間に世間は受け入れる。 特許で儲けるのはなかなかハードル高いようですが、そろそろ自分を信じて、安易に人の意見に左右されずに、コレだ!って思ったものはやってみていいんじゃないかと思うこの頃です。それで儲けられるかどうかは後の話であって、失敗したとしても何か次に繋がるはずだと思うのです。
お礼
mikasaさんこんいちは。面白いお話をありがとうございます。 現実社会は結果論です。安藤忠雄は、計画倒れになったプロジェクトをほとんど語らない。こう思った。だからやってみた。その明快さがあの人の魅力でしょう。それと同時に、やって失敗だったものは平気で語る。あれはダメやったねぇ。やってみたらやはりあかんかったと。住吉の長屋でも両側の建物は倒壊すると言われ やってみたらやはり倒壊した。と笑って語る。表参道ヒルズでも30mの深さの 建物を作ったらコストはかかるのはわかっていて、安藤さんのデザインの価値を買っている。安藤さんの意思にそって現実が動いているとさえ感じる一面があります。批判する意味でなく事実としてそうなんで、丹下さんも同様の部分があります。神なんですよね。 神ならぬ我々も「断じて行えば鬼神も之を避く」という部分があるのではないか。そういう話です。おっかなびっくりやれば、どんな正しいことでも怪しげに見えてしまいます。 建築なんて神様の代行業みたいなもので造物主になりかわってものの形を造ってしまうのです。自信をもって断行しなくちゃ誰もついてこない。 ザハ・ハディッドというジャバ・ザハットみたいな名前の建築家がいます。顔もちょっと似てますが、彼女は実現するには難しすぎる形を構想しすぎたのかもしれません。安藤さんの建物は形はシンプルで無理がない。自分でできないだろうと思う限界はあったのかもしれません。 いや、ご回答ありがとうございます。ぜひやってみてください。できますよきっと。安藤さんのような存在はアイデアマンを励ますために存在するのだと思います。
補足
実社会は結果論だなんて偉そうに言ってすみません。mikasaさんのほうがご自身で事業をなさってご苦労も重ねてきておられる。私は残りの時間でもっと楽しいことをしたいと、それを勇気をもってやりたいなぁとおもうばかりで、エラそうに聞こえたらすみません。
- ミッタン(@michiyo19750208)
- ベストアンサー率15% (3892/25656)
>思い切ってこれをやってよかった。 髪の毛をバッサリ切って坊主にしたこと もう4年になります 殿方からは「女子らしくない」と不評ですが、女性陣からは「カッコイイ」と絶賛されております(ちょっと自慢ww.) どこへ行っても迷子にならなくて済みますし、何より朝の支度が楽チンです そしてすぐ覚えてもらえることです
お礼
坊主にして後悔しない・・・こりゃ、美人の証拠です。 仮にそうでないにしても、KJさんほか、michiyoさんの気風の良さは 際立っています。 >女性陣からは「カッコイイ」と絶賛されております(ちょっと自慢ww.) もう何と言おうと目鼻立ちが美しいのでしょう。 そういえばうちのネコさんもワンちゃんもベリーショートの短毛種です。 自分のことなんだから自分の意思で決めていいとおもうのですが、男は着ていくシャツ一枚選ぶのに迷ったりします。もう64歳ですから、何を着てもゆるされるのですが、というかもうジジイは誰も注目してないという事実をうけいれるのに少し時間がかかりました。 それでも近所の美人の奥さんに「いつもお洒落ですね」と言われると舞い上がったりするバカです。 核心をついたご回答ありがとうございます。
- oya_zico
- ベストアンサー率19% (397/2006)
念のために書いておきますが、先ほどの回答「女になること」は、冗談ですからね(笑) 今度は、真面目回答です。 実は、小学6年生のとき、両投げ両打ちに挑戦したことがあります。 左打ちの友人が居て、左対左ってピッチャーが有利って言いますよね。 それで、ダルビッシュじゃないけど、少しずつではあるが、投げ方もさまになってきて。 軟式ボールは流石に重くて無理でしたが、ゴムボールなら肩や肘に負担がかからない、投げ続けているうちにカーブもコントロール良く投げることが出来るようになったんですよ。 バッティングの方は、左投げよりもまだセンスがあった。右打席に立つよりは左打席の方が一塁ベースに近いし、結構、足も速かった。とりあえず当てて転がすことばかり考えてましたね。 ただ、その頃からサッカーを始めて、どちらの足でも結構上手く蹴れたので中学に入ってからはサッカー一筋。 ということで、将来というか、限界までやってみたいことは、死ぬまでサッカーを続けることですね。
お礼
>念のために書いておきますが、先ほどの回答「女になること」は、冗談ですからね(笑) 大丈夫です。他の人はともかく私だけはしっかり真意をうけとめていますから。 >実は、小学6年生のとき、両投げ両打ちに挑戦したことがあります。 左で投げることを自分に許してやれば、右腕が「左腕、お前が上手に投げてええよ」と言うのでしょうね。 >どちらの足でも結構上手く蹴れたので中学に入ってからはサッカー一筋。 左サイドと右サイドと両方守れるのは強いでしょうね。 実は、体育3以上になったことのない私は、利き腕、効き脚の概念がよくわからないのです。 私は前世は重力の少ない星の宇宙人だったような気がしてなりません。 >限界までやってみたいことは、死ぬまでサッカーを続けることですね。 先日青学の駅伝監督の原さんがTVで1500mを走りましたね。 ああいうチャレンジができることがうらやましいです。まず、100歳までやりたいスポーツがないです。というか身体を鍛えておかないと、酒を飲むにしても犬の散歩をするにしても甘いものを食べるにしても基本は健康なんだろうと、最近はよく思います。ということで目指すは仙人でしょうか(笑)。 星野 佳路さんは私より7つも若いですけど、一日一食主義をはじめた意識は共感できます。 仙人5か年計画をほめていただきありがとうございます。「谷に住んだら俗人」はネットからぱくってます。 安藤さんは建築が好きだから100歳までやる気なんでしょう。私は何が好きなのかと自分に問うと、これがあれば100まで生きられるというものがあまりうかんでこないのです。 だったら、むりせんでええやないか。と安藤さんに言われそうです。 ご回答ありがとうございました。
補足
やったね。いい試合でした。井手口陽介大活躍でした。浅野のゴールもよかった。こんなに気持ちのいい勝利はひさしぶりでしたね。よかったぁ。
- oya_zico
- ベストアンサー率19% (397/2006)
exさん、こんばんは。 恥ずかしくて、両親や教師にも相談できず、当然、友人にも教わることが出来なかったこと。 思い切って意識を変えないと、絶対に出来なかったこと。 そして、これをやってよかったと強く思えたこと。 本当の『男』に成れたと感じたこと。 『僕の前に道はない 僕の後ろに道は出来る』 そう、それは『どうてい』からの卒業(笑) 子供から男になる道、やっと一人立ち出来た!という強い思いと自信。 もう、それしか無いでしょう。 話は変わりますが、 仙人5ヵ年計画、そのまま新作落語として使えそうですね。面白かった~。 exさんの場合、思い切って落語家になるって道もあるんじゃないですか!(笑) ただ、残念だったのは、5ヵ年計画というルールがあったこと。 もし、5年分書いてあればベストアンサー間違いなしだったかもしれませんが、5年分書いちゃうと、宙に浮くというオチがオチない。ベストアンサーよりも、ネタの完成度を優先させるのは仕方ないと思います。 さてと、今後の『自分のリミッターを外すこと、自分に許す事』ですが、 『男になる』の次は、『女になる』でしょうか? う~ん、いつ、女になるべきか?と、自分のリトルoya_zicoに聴いてみたところ、 『いや、まだ、そんなことやったらアカン』と言っているので、当分保留です!!!
お礼
ジーコさんこんにちは いよいよ今夜オーストラリア戦ですね 高村光太郎の詩はまた、少年期のいい時期に教科書にでてくるんですよね 吉原の先に道はない。金を払ったあとに道はできる・・ 処女を相手に道はない。年上の先輩に頼め? ちがうな。そうそう 「片想いの先に道はない 告白のあとに道は出来る ああ、クリトリスよ 乳よ 僕をその気にさせた嫋やかな双丘よ 僕はゴムをはずさないで避妊は守るよ」 深いです。 >子供から男になる道、やっと一人立ち出来た!という強い思いと自信。 さてと、今後の『自分のリミッターを外すこと、自分に許す事』ですが、 >『男になる』の次は、『女になる』でしょうか? がはは。思わず持っていた珈琲を机上にこぼしてしまいました。だからジーコさん好きです。男として・・・いや変な意味ではありません。 >う~ん、いつ、女になるべきか?と、 いや、上野あたりのサウナの真っ暗な部屋でお尻を出してじっとしているだけで簡単に女になれたりするらしいですよ。女の気持ちがよくわかって一皮むけて女性にも今以上にモテるようになるかもしれません。 ご回答ありがとうございました。 おもわず、ベストアンサーボタンを押しそうになりました。
- crazy_thunder
- ベストアンサー率10% (31/283)
風俗で女性を喜ばすテクニックを覚えた。 デリへル嬢で女性のツボを発見した。 もてない男でもチャンスはある時代ですね。
お礼
>風俗で女性を喜ばすテクニックを覚えた。 >デリへル嬢で女性のツボを発見した。 これは、コストと忍耐のほかに なかなか度胸もいります。「お客さん、常連さんだから触らせてあげるけど 爪切ってからにしてよ」とか言われちゃう。 「私の数の子天井、知ってるお客さんは少ないのよ。触って確かめる前に いっちゃうからね」 >もてない男でもチャンスはある時代ですね。 女に金を使うことを自分に許してあげたからこその 成果ですね。 ご回答ありがとうございます。
- 5minutesmore
- ベストアンサー率12% (61/502)
若いころ、4号くらいのキャンバスに、油絵で鳩時計をラフに描いて、部屋に飾ってました。 友達が来て、「いま何時」というと、その鳩時計を見て「9時10分」と答えます。 友達は、不思議そうに時計を見て、針が動いてるのに気づきます。 針にも、キャンバスを切って貼り、上から絵の具を塗って、唯の絵としか見えません。 それが、キャンバスの裏に取り付けた時計で動くようにしています。 当時の彼女にやりましたが、動いてたら世界で唯一つでしょう。
お礼
5minutesmoreさん おはようございます >若いころ、4号くらいのキャンバスに、油絵で鳩時計をラフに描いて、部屋に飾ってました。 ダリとウォーホールを凌ぐシュールでポップでオシャレな発想力です。MOMAに飾られてもおかしくない。ミュージアムショップで売ったらひと財産できたかもしれませんね。 >針にも、キャンバスを切って貼り、上から絵の具を塗って、唯の絵としか見えません。 ここまでやるのは只者ではないです。 >当時の彼女にやりましたが、動いてたら世界で唯一つでしょう。 それは、惜しいことをしました。 マルセル・デュシャンもひらめきを美術館に持ち込むことを 自分に許したから後世に名を残した。5minutesmoreさんも あと一歩だったのかもしれません。 ありがとうございました。
- 00000000aa
- ベストアンサー率26% (385/1478)
本題から逸れた回答 安藤忠雄さんなんですが、その関係の建築事務所に知人の娘が入りました…何ヵ月か研修期間があり、無給で泊まり込みも多かったようです。 本人は建築士の資格をとり別の会社に入り、沖縄で在宅勤務していました。 建築業界もなかなか厳しいと思いました…
お礼
>何ヵ月か研修期間があり、無給で泊まり込みも多かったようです。 「無給でもええやないか」と言ったかどうかはしりませんが、私が若い頃、知人が白井晟一の事務所に入ったときは庭の掃除からだったそうで、就職でなく落語家の入門に近いですね。隈健吾の事務所も青山の木造の二階建で所員もすくなく給料も安そうでしたが今をときめく活躍ぶりです。 >建築業界もなかなか厳しいと思いました… 安い給料を自分に許してやる覚悟がないと「建築家」にはなれないのかもしれません。槇文彦、谷口吉生にしろ日本の建築家は「お育ちがいい」人が多いなかで、安藤さんは野育ちで建築家になった稀有な人ですね。学ぶものが多い人生だと思います。 ご回答ありがとうございます。
- 00000000aa
- ベストアンサー率26% (385/1478)
思いきってやって良かった事? 1 昔携帯もスマホもない時代、私は友人とゼミ?の勉強の約束をしていた。下宿先に行ったら留守。いくら待っても留守。ついに最終電車を逃した。タクシー代もない。思いきって誰かいそうな、女性名の部屋をトントン。出てきたのは可愛い優しそうな女性。事情を話したところ、どうぞと部屋に通してくれた。布団は一組しかないが、その布団を何と私に使うように言ってくれた。名前も言わずお礼もしなかった。学生証も見せなかった。今思うと夢のような話。 2 ある百貨店のレストラン街のお寿司やさんでさんざん飲み食いした。お土産まで頼んだ。バッグを見たら財布がない。どこにもない。財布の中に現金、クレカが入ってる。真っ青になりレジの人に思いきって財布忘れたと告げた。レジの人が困りマネージャーを呼んだ。以前見た事がある人だった。するとその人は私を見て本日の22時までに払って頂ければ、との事。バスカードだけは持っていた為、バス往復で又その店に行き、カードで支払った。すみません…二度とこういう事ないようにします。と板前さんたちに謝ったら皆さん笑ってました…こんな珍客は私だけらしい。
お礼
いやぁ、ふたつともいいお話ですねぇ。 なんとかしようという意思が、道を開いたのですね。私ならあてもなく駅にむかってとぼとぼ歩きます。でも途中であきらめてまた友達のアパートへ戻ってくるけど、もう真夜中で誰も起きていない。始発までアパートの玄関で座り込んで寝てます。 ひとしかない布団を貸してくれた・・・なんて優しい子なんだろう。きっと冬の日のできごとだったんでしょう。 寿司屋もすごいです。私もよく財布を忘れます。バスカードの奇跡ですね。 それにしてもマネージャーが顔見知りで助かりましたね。感動的です。 諦めなきゃなんとかなるという典型ではありませんか。 すばらしい体験談を有難うございました。
補足
00000000aaさんは女性だということを忘れてました。そう思って読み返しても大胆な勇気のあるお話。ありがとうございました。
お礼
kamejrouさん ありがとうございます 私の父は16年前に亡くなりましたが生きていたら今年92歳。動物が好きな人で父の布団の中にはいつも猫が寝ていました。 父は法科の卒業で、母は弁護士の妻を夢見て父に嫁いだ。勉強最中に私を身籠り、母が働き専業受験生の計画が頓挫したようです。それでも、私に国公立以外ダメだといいながら「中央の法科」ならいいぞとつぶやいたくらい、夢は捨てていなかった。 でも、高校教師として一生をすごし、母は騙されたと恨み言をいい、父の布団にはいつも母の代わりに猫が寝ていました。 65歳でリタイヤしたあと司法書士になろうかと思ったのは、弁護士は無理でも不動産登記は好きだから余生のよすがに丁度いいだろうと思ったからですが、これがとんでもない人気職種。合格率が3%という狭き門。 今年7月に受けた試験の勉強中、飼っている猫が、夜中に起こしにくる。まるで「おい、お前勉強しなくていいのか?」と言われているようでどきりとすることしばしば。 今年は無理だから来年だなと思い始めたあたりから、猫が腹いせに布団にオシッコをするようになりました。 予備校の授業を録音した音源は、オンラインエアチェック(直接音声データがコピーできず)なのですが、ところどころに猫の鈴の音が聞こえます。今年の春によくビデオを聞いていたときパソコンの上を猫が歩いていました。それが「どうだ?やってるか?」と親父が乗り移って様子をみているようで面白かったのを思い出します。多分親父はうれしかったのだと思います。だったらなんとかあの世から試験の回答を教えてくれたら助かるのですが。 今年は自己採点で4割も取れていない。すこし意気消沈しているうちに2か月が過ぎていきます。 北海道の地縁でkamejrouさんが激を飛ばしてくれて、涙が出ました。 トステムの創業社長は有言実行の人。紫綬褒章を狙うといいながら倒産しちゃった。でも頑張った分がリクシルに繋がっています。私もキリギリスは嫌だからなんとかしよう。 ありがとうございました。
補足
そう言えば、先週から猫のオシッコが黄色(注意)から赤にかわって、獣医は膀胱炎だといっています。身体はって忠告し始めた猫にも、親父を喜ばせた責任もあります。 >人は何処かで目を瞑って踏み出さなければいけない時があるのかも知れませんね ズシリと胸に響きました。昨年はカミさんが生死を彷徨い、今年は、猫・・というのも勘弁してほしいです。最後のふんばりどころかもしれません。