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なぜ男性の狩猟精神が減って来たと思いますか?

主に男性についてですが、 300万年は続いたらしい石器時代は盛んに狩りを行っていた様で、 数百年前の各国の貴族や富豪は鷹狩などを楽しんでもいた様ですが、 近年、狩りをしようとする人はかなり減って来ている様です。 農耕、定住生活になって1万年も経っていない地域もある様ですが なぜ狩猟精神がこんなに低下して来たんでしょうか? 積極的に戦争に参加して戦って死滅して居なくなったから? 安く簡単で刺激的な疑似体験(ゲームや競技)が充実したから? 自分で狩り解体し食べる文化から遠ざかって抵抗が有るから? なぜ男性の狩猟精神が減って来たのでしょう?

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  • eroero4649
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回答No.10

文化人類学者がいっていましたが、洋の東西を問わずどの民族、文化圏でも世の中が平和になると男性が中性化つまり女性化してきて、戦争の世の中になると男性性が強調されるようになるそうですよ。 狩猟生活というのは基本的に不安定で生存率が低いのです。確実に獲物が得られるという保証はなく、返り討ちなどのリスクもあります。また獲れる獲物は限られていますからそれを巡って同種同士のテリトリー争いも激しくなります。 未開の狩猟民族というのは、乱暴にいって50%くらいは戦死する運命にあるそうです。もちろん乳幼児死亡率も高いです。だから、狩猟民族ってのは増えにくいのです。 一方、農耕社会はもちろん不作や自然災害などのリスクはあるとはいえ、狩猟に比べればはるかに収入が計算できます。収入の目途が立てられるので「ご利用は、計画的に」もできるようになります。ミイラ取りがミイラになる返り討ちのリスクもありません。誰だって死にたくないですし、安定した生活が手に入るならそっちのほうがいいに決まっています。 狩猟精神は狩猟精神でメリットもありますからそれが完全に失われることもないでしょうが、結局、程々に抑えて生活するほうが男性にとっても最も利益が大きい(自分が死ぬリスクが低くなる)合理的な判断になるのではないかなと思います。

noname#228046
質問者

お礼

>文化人類学者 その様な傾向があるんですね。理解できます。 >狩猟生活 アメリカの食物連鎖の頂点のダイアーウルフも死因の50%が 同族との縄張り、食料争いなんて聞きますね。 臆病者でも致死リスクを冒して狩猟生活はできない。 蛮勇でも呆気無く怪我や被捕食で死亡する。 その他の選択肢があればそちらに流れますよね。 生物としての合理的判断は損なわれず機能し続けている。 適応環境(社会)さえ変わればいつでも再起しうるのかもですね。 特に、守る為という口実さえ与えられれば 感情的に扇動されてしまう訳ですし、 獰猛な肉食獣を穏やかに満たして暮らさせれば 獰猛さは綺麗に影を潜める。 力で全てを奪われる理不尽な自然界に曝されれば反応は変わる。 人間も然りとみるべきなんでしょうね。 残酷な自然界で発生した生存の合理性から来る狩る精神は 必要性さえ生まれれば再び大きく顕現しうるんでしょう。 これが減っているとは言えないのかもしれません。 (非暴力的になって絶える種も居るには居る様ですが。) ありがとうございます。 違った視点で見つめなおす事ができました。

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  • ithi
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回答No.11

ep3093 さん、おはようございます。 時代錯誤もいいところです。もう狩猟社会じゃありません。スポーツの世界ではあるかもしれませんが、たいていが資本主義社会の世界じゃないですか?そしてサラリーマンは成果を求められて、実際失敗し大勢の落後者が出ている中で、ただ、大株主だけがぬくぬくと大金を簡単に頂いている。そんな社会ですよ。

noname#228046
質問者

お礼

そんな社会の何がそうさせるのかが気になりました。

  • oya_zico
  • ベストアンサー率19% (397/2006)
回答No.9

リスクに対し、リターンが少ないからかも。 狩しなくても、食べられるし。 時給で考えても、コンビニでバイトするのと、山で狩するのとどっちが割に合うでしょうか? ただ、リスクに見合う価値があるならば、人間は狩をする。 50万円のゾウガメを探しに山へ入る人も居れば、熊に襲われるリスクも恐れずにネマガリダケを取りに行く人も居るんです。

noname#228046
質問者

お礼

確かにリターンが有ればやる気になる人は多そうに思えます。 スポーツで怪我をしたり人生に色々支障が出る事が多くても 夢中になる人がこれほど多い訳ですし、 代替発散があるから消化されているだけ なのかもですね。 ありがとうございます。

回答No.8

狩猟精神がそれほど減っているとは思いません。 「ポケモン」や「モンスターハンター」などのゲームに未だに夢中になっている人が多く、どんどんそういった新しいゲームが開発されています。 狩猟精神が減っているのなら続編や類似ゲームは出ませんよ。 コレクター魂も狩猟精神の類かと。 現在は「銃刀法」や「動物愛護法」などで勝手に狩猟をする事は認められていませんしね。 別の形で狩猟本能を満たしているのです。 狩猟精神が減った事を認めるなら、子供が減り子供が大きな声を出して遊べる場所が少なくなったのが大きいかと。 子供は本能的に動くものを追いかける習性?があります。 ですが、子供の声を騒音とし、公園ではボール遊びを禁じ、鬼ごっこが出来るほど子供が集うこともあまり無い。 子供の狩猟ごっこと言えるドッヂボールも体育でさえやらなくなったとか。 また自然と親しむことも少なくなり、虫を怖がる男の子も多いとか。

noname#228046
質問者

お礼

>>安く簡単で刺激的な疑似体験(ゲームや競技)が充実したから? こちら的なお考えですね。 言われてみて考えを巡らせてみると、 狩猟は良い頑丈な武器を作り提供してくれる人が居て、 協力して探索~連携して狩りをする仲間が居る形式でした。 単独生活型の類人猿が混血込みで絶滅してしまった様ですし、 まず狩り仲間が居ないと狩りをする気すら失せるのかもしれません。 そして思い返せば大航海時代~産業革命によって 資源になる動物の乱獲が相次ぎ様々な動物が絶滅してしまい、 見慣れた景色が完全に失われ戻らない嘆きが法律を作りました。 一部の人が金になる家族に良い暮らしをさせてやれると 狩猟精神全開でラッコやアホウドリもあわや絶滅になりましたし、 まだまだ狩猟精神は色濃く残っているのかもしれません。 ただ別の視点で見ると、 ゲームには戦闘、暴力要素を含む作品はとても多いのですが、 実在する動物のグラフィックに攻撃し殺す要素は 苦手な人が忌避し買わなくなる=収益減を恐れてなのか 世界のゲームからも少数派になり流行らなくなっています。 特に国内のゲームではその傾向は顕著ですし、 派手な流血表現をアメリカ人に比べると圧倒的に好まない様です。 狩った獲物を食べる、生き残るという趣旨のリアルさを追求したゲーム では実在する動物を狩り肉を得る演出は未だにありますが、 食べる訳でもなく狩り殺して皮を売って稼ぐとか そういう方向性の要素を持つゲームもどうも減少している様に見えます。 現実の狩猟に必ず伴う 生き物を殺す という点に対して 人類全体の倫理観、善悪観など価値観が変わっているのも 1つの大きな要因なのかもしれませんね。 飽食の時代を生きたか? 暴力の多い地域に住んでいるか? などでも世代や地域の差が大きくなるのかもしれませんが。 >ドッヂボール そういえば一部男子が怖がって動けなくなった女子に対して 思い切り全力でボールを投げ付けて嗤っていたのを思い出します。 動く生きた的に攻撃を当て反応を楽しんでいるんでしょうね。 あらゆるハラスメントで社会的制裁を受けるご時世ですし、 圧力が掛かりやらなくなるのは案外自然な事なのかもしれません。 >虫を怖がる 労働時間の多様化と地域社会の希薄化で子供の周囲に大人が乏しく 虫を怖がる母親の反応や理論(寄生虫やダニ)に強く影響され続けて そうなって行ったりもするのかもしれませんね。 苦情が多くて公園で遊べない、外で遊ぶ場がない、 運動せず日光を浴びないと生体として健康は低下し メンタルも併せて虚弱や過敏な体質に偏りやすくもなる。 すぐに皮膚が荒れる子供、密室的で過敏に過干渉になる母親。 色々な要素が絡んでいるのかもしれません。 違ったご意見ありがとうございます。 考えさせられます。

noname#230100
noname#230100
回答No.7

法律ができたからだね 法治国家なんだね 無法者は生きていけないね

noname#228046
質問者

お礼

田舎で鹿猪等が増えるも必要な猟師が足りず若者はなりたがらない。 法規制を緩めるべき緩めないべき色々な議論もあり。 とりあえず面倒事からは自分も家族も遠ざけさせる。 狩猟精神は育まれ難いのかもですね。

  • suarez
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回答No.6

闘争心が必要とされなくなってきたからでしょう

noname#228046
質問者

お礼

闘争心が肯定され難い、忌み嫌われる教育や社会になって 闘争心がはぐくまれ難くなったのかもですね。ありがとうございます。

回答No.5

狩猟精神ではなく、狩猟人口がなぜ減ったか?という認識で回答させて頂きます。 単純に、娯楽の種類が変わっているに尽きるでしょう。 昔は狩猟が高貴な娯楽であったのだとしたら、現在はゴルフや乗馬でしょうか? 乗馬は、狩猟の食す部分は含まれないかもしれませんが、少なからず狩猟的な要素は含まれていますよね。 また、銃や狩猟道具の法的な整備により手軽に家庭に置ける物ではなくなったというのもあるでしょう。 現在は、それほどの手間やリスクを負わなくてもいくらでも娯楽はありますからね。

noname#228046
質問者

お礼

昔は実益(食肉)を兼ねた娯楽(精神的高揚)でもあったんでしょうね。 今はもっと上質、安全、安価な肉が溢れ狩りの成果は非実益的。 狩りをすれば雛や仔が飢え死ぬ事もあり不要な殺生は躊躇も生む。 もっと後味の良い娯楽が他にあるならそちらに流れるのでしょうね。 乗馬が狩猟的と言われてみれば確かにそんな気がします。 手間の掛からない娯楽が溢れて手間が掛かるから衰退した。 色々な要素が絡んでの現状なのでしょうね。ありがとうございます。

noname#232424
noname#232424
回答No.4

割合からいえば,スポーツや食料確保のための狩猟よりも,農耕民の害獣駆除の性格が強かったのではないかと思います。畑を荒らすイノシシを倒した(罠猟がおおかったはず)場合は,もったいないので食べる。民話のタヌキも,おいしいので狸汁にしたのではなく,悪さをした罰で食べられる。 産業構造が変化しておおくの人が農耕から切り離されると,害獣駆除の必要性も薄らいでくる。実際には,過疎地で人気がなくなると獣が平気で出没したり,植林地をシカが食い荒らして困っていますけども。 個人的には,法律がなければ,カラスに空気銃をぶっぱなしたり,吹き矢の的にしてやりたいと思っています。ヒグマにはマシンガンが必要だろう。こういう連中は絶滅させたほうがいい。

noname#228046
質問者

お礼

国民の9割以上が農耕で自給自足が長かったんですよね。 狩猟の血が騒ぐ人が確実に安定して農業を出来るのかとなると、 微妙ですし農耕の時点で激変しつつあったんでしょうね。 でも人間同士の飢餓からの食料の奪い合い、怨恨による殺し合い、 闘争心が無いと生存し難い状況も地味に有ったのやも。 (各地のお祭りに体力と連携を養う闘争的要素が見られも。) 微妙に揺らぎながら今に至ったのでしょうかね。 飽食で食料争奪の殺し合いが遠ざかった事で 自衛の為の闘争心すら不要になって来た事が 案外狩猟精神が減って来た事に絡んでいるのやも。ありがとうございます。

  • hla7yrgrg
  • ベストアンサー率39% (414/1047)
回答No.3

狩りの程度が分からないので何とも・・・。釣りなんかはハマる人多いですよね。それを専業にするならば、漁師って事になります。それも金にならないので最近は廃れてはいるようですが・・・。新興国ではまだまだ需要があるのか、日本へ技術を覚えに来る学生もいるみたいですね。 火打ち石で火を起こす人が少ないように、必要無い事は廃れていくのが人間社会です。狩りをして牛や豚、鶏などを追いかけなくても、畜産した方が安全で安定して金銭を得ることができます。狩りと言うのは、定住生活する上で割に合わないと言う事ですね。 狩りも金銭に直結しないのであれば、必死こいてやる人もいなくなるでしょう。漁業に関しては、15~24歳の漁業就業者が2015年は増えたみたいですので、何が知らの魅力はあるのでしょうね。獣を狩猟して生活したい(専業)と思っても、こと日本ではもう無理でしょう。狩猟できる範囲も規模も小さすぎます。 ニホンカワウソの例(毛皮の為に乱獲されて絶滅しました)が良いように、日本で狩猟者や狩猟できる範囲を拡大すると、絶滅してしまう動物が多いのです。日本の人口の腹を満たすための野生動物は、もう日本に存在しないと言えるでしょう。 地球の人口が増えすぎて食糧問題も上がっていますが、最近では疑似肉(野菜オンリーで作る肉)と言う選択肢も上がっています。畜産も近い将来割に合わない職業になるのかもしれませんね。そうなると農業がまた憧れの職業になっていく可能性はあるでしょう。

noname#228046
質問者

お礼

オセアニア諸国からの漁業研修生、増えてるそうですよね。 生存上非合理的ならば傾向は淘汰される。 生物の多様性は驚くほど柔軟なのでしょうね。 しかし漁業就業者は増えたりもしているのですね。 釣り然り対哺乳類の狩り意欲が減少しているのやら。 FPS、サバゲーなどはある程度盛んな様ではありますし、 燻っている面はあれこれあるんでしょうね。 狩猟資源の不足と絶滅も抑制要因なんですね。 食糧問題は恐らく深刻化しないと思います。 後進国ですら教育費を稼ぎ難い農業は避ける人だらけで 高く売れるコーヒーやオイル等が盛んに生産されています。 もし食料価格が倍になれば農家の純益は倍以上上がり従事者が増え 作物も高騰した品目にシフトされ先進国も耕作放棄が減るでしょう。 大規模室内栽培、水資源を完全循環させ浪費せず虫害病害気候災害を 殆ど受けない栽培技術が今後安価になれば時代は変わりますし、 ミドリムシ培養(軟弱細胞壁による高栄養吸収率)など 色々な技術革新が起こる余地もあるのかもしれません。 ともあれ狩猟しようにも対象を絶滅させたり、 放った動物のせいで生態系が破壊され種が絶滅し もう2度と見れない動植物が増えて知的好奇心に取り返しが付かない 被害を受けたり、狩猟精神が何を招いて来たか知るほど 残念な気持ちになりかねない事実を知ってしまう。 色々な状況が絡んでの現在なのかもしれませんね。 ご回答ありがとうございます。

回答No.2

他に割りのいい方法が見つかったから 日本はそもそも農耕民族ですしね

noname#228046
質問者

お礼

戦国時代に武将が鷹狩りとか聞きますが、大多数は農耕民ですよね。 飢饉で食料略奪などを起こす時は闘争心が盛んだった様ですが、 それは狩猟とは違いますよね。

回答No.1

勿論、素人考えですが、武器を持てなくなったからではないでしょうか。 物理的にも、精神的にも影響してると思います。 少年時代に、小刀肥後守を机の中に入れてて、学校帰りに裏山に笹を切りに行って、水鉄砲や杉鉄砲を作ったものです。 完成すると、見境なく誰かのケツを狙って打ったりしていました。 江戸時代の、試し切りとか辻斬りとか、名刀が手に入れば使いたくなるものでしょう。 男は、できれば拳銃とか手にしてみたいと思うでしょうが、それがどれほど危険か分かってるので、思い留まってると思います。 それに必要のないものは、精神的にも退化していくのかもしれません。

noname#228046
質問者

お礼

一時の感情の昂りで使った刃や銃弾で死ぬまで苦悩する人を知ったり、 誤って使われた事で悲しみ苦しみが生じたり、武器は危険を伴いますね。 所持も行動も法的制裁が多く社会的死を招く危険も多く、 生育環境から除外されたり遠ざけられる事での現状 だったりするのかもしれません。 ありがとうございます。

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