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ひらパーが生き残れた理由
USJの開業したころから、関西の遊園地の廃業が相次いだと思いますが、そんな中で、ひらパーは何故、生き残ることができたのでしょうか?
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関西の遊園地が続々と消えて行った理由は、阪神大震災が大きいという説もあるようですが、全国的にしかも首都圏でも見られる現象ですので、阪神大震災が全く影響しなかったとは言わないものの、阪神大震災で大きな被害がなかったから生き残れたなどという単純なものではありません。何もしなければ他と同様今頃はなくなっていたはずです。 USJやTDLなどの超巨大テーマパークは、いろいろと集客力がありますが、「テーマ」があるということは「テーマ」が理解できないと楽しめないという弱点もあります。つまり、小学生未満の子供では楽しめないものも多数あるということです。 また、巨大パークは思い立ったその日に簡単に入れるとは限らず、前もって予約しないと休日は簡単に入れません。しかも、その予約は変更が難しい(できない)ものがほとんどです。これだと気軽に入れず、また幼児特有の急な体調不良等で行くのをあきらめるなどが簡単にできません。 ですので、幼児しかいない家族は巨大テーマパークはしばらく見送ろうとする傾向が高いです。 そこで、ひらぱーやみさきはそういった幼児のいる家族やいわゆる絶叫系に弱い家族をターゲットとして特化することで生き残りをかけたのです。 そういう幼児でも乗れる遊べるものを中心にし、巨大テーマパークとの直接競合を避けようとしたのです。 そういう小さな子供対象ですので、動物園も残しています。 さらにひらぱーは若い層にもPRを行い、存在を示そうとしています。それが「ひらぱー兄さん」などの広告戦略です。そもそも、ひらぱーという愛称自体がテーマパーク対向のイメチェンPRで自分から発信した愛称です。
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- oteramairisuki
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2000年当時どんな遊園地があったか、noneya4さんなら位置関係もご存知だと思いますが、あえて書き上げていきます。 阪急 宝塚ファミリーランド 阪神 阪神パーク 近鉄 あやめ池遊園 生駒山上遊園 南海 みさき公園 京阪 ひらかたパーク あとエキスポランドとポートピアランド。 PLランドやさやま遊園、玉手山遊園などは2000年以前に閉園されました。 おそらく大きな遊園地はこれくらいだったと思います。 で、残っているのがみさき公園とひらかたパークと生駒山上遊園です。 閉園した遊園地になにか地理的な特徴を感じませんか? ジェットコースターでの事故で閉園を余儀なくされたエキスポランドや直接的に「ある被害」を受けなかったあやめ池遊園は除きますが、ファミリーランドも阪神パークもポートピアランドもすべて兵庫県です。ひらパーとみさき公園とエキスポランドは大阪府です。 USJの開業で客が奪われたのももちろん大きいのですが、私は1995年の阪神淡路大震災で、それぞれの経営母体で親会社である阪急電鉄、阪神電鉄が大打撃を受けたことが一番の原因だと思います。ポートピアランドはやはり埋立地であるための液状化が大きいでしょう。 なので鉄道の被害がほとんどなかった京阪や南海は遊園地を継続できたと思います。
お礼
阪神大震災の影響が強いんですね。奈良ドリームランドとかもありましたね。
- roadhead
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親会社である京阪電鉄が存続の意思を固く持っていたからです。 経営状態がどうこういう話ではありませんね。
お礼
赤字が続いてる時期もあったんですね。今はどうなんでしょうね。京阪電鉄の意向によるところが大きいんですね。
お礼
巨大パークにない良さもあるんですね。