• 締切済み

寂しい人生でした

私の人生は本当に寂しいものでした 生まれた家が借家だったので「借家の子」と呼ばれ、保育園、小学校と村八分を受けました。泥棒の濡れ衣も何度か被せられました 少年野球に入ろうとしても「借家人はダメだ」といわれ断られました 親が問題があったのかもしれません その後、親は家を建てましたが「余所者」という新たなレッテルを貼られ、事あるごとに「余所者だからアンタはダメ」言われ続けてきました 高校は、親が希望する地元の県立の進学校に進めず、私立の特別進学コースに進みました。その際も、所詮借家人の余所者だからその程度と言われ続けました 大学入試は私の能力不足で失敗し、関西の大学に進学しました しかし、周囲になじめなかったことと、1回生の冬に阪神大震災があって学校どころではなくなっていました。結局2回生をもって中退することにしました 親は面子が立たないと激高したため仕方なく幾つかの大学の編入学試験を受けたところ地元の私立大学に合格したため、とりあえず編入学し卒業できました 就職活動は幸い地元の大学の名前のおかげで幾つか内定を貰え就職先は選ぶことが出来ましたので大手鉄道会社に就職しました。 しかし、顧客対応や対人関係で悩むようになりました。 また就職先を聞いた周囲の大人たちが、今度は僻みや嫌味を嗾けてくるようになりました。出世して見返そうと思っていましたが、課長級の職位にあがった際激務のため体調を崩し入院、長期療養となってしまい復職して半年後に退職しました(8年勤務) 退職後、すぐ就職先を確保したため、転職しましたが、中小企業に転職したことの大変さを理解せぬままだったため年収も150万下がり勤務は過酷になりました 仕事は楽しいのですが人間関係や仕事の改善に関するコンセンサスを得たりするのに正直閉塞感を感じながら働いてきました 中小企業に転職した際、周囲の目は「ざまぁみろ」でした 自分がよければそれでいいのですがこの理不尽な地域住民は異常です 40年生きてきた結果、もはやこれ以上の伸び白はなく現状維持が精一杯になってきました 年末まで頑張って職を止め旅に出て空っぽで寂しい人生に終止符を打ち、残りの人生を見つめなおそうと思います ただ人はこれを「逃げ」というのですね 個人の背景や環境を知らないのに「退職」=「没落」、「自殺」=「逃げ」 「余所者」=「永遠の負け組み」、「地元民」=「永遠の勝ち組」なわけですね 間違っていますか?論理的に反論できますか? この寂しい、空っぽな親父の質問に答えてくれる暇な方がいたら教えてください

みんなの回答

  • tpht1412
  • ベストアンサー率14% (1/7)
回答No.20

 暇かどうかはさておいて、私自身若干何歳であるかはさておいて、その等式でいくと確実に私も負け犬になります(苦笑)仕事が楽しいのは幸せであると思います。  見返してやろうという気持ち、私は大学時代にありました。それでもそれは叶わず。  気負うことが多くて、周りの目が怖くて(今もあります)、塞ぎ込んだ時期もありました。  けれど、私は別にその周りのために仕事をするのではありません。今まで助けてくれた母や兄弟のためです。ひいては、自分のためです。  近隣の目は付き纏いますよね。引っ越しちゃいましょう(我が家は引っ越し族でした)。  考え方ひとつで変わります。等式だって一層の事作らなければいいんです。消しゴムで消しちゃいましょう。

  • 56syukumou
  • ベストアンサー率12% (133/1061)
回答No.19

自分の人生を寂しいと決めつけている。 だから、寂しい人生しか引き寄せられない。 自分を変えようとしないから、いつまでたっても変わらない。 引き寄せセミナーでも行ってきて下さい。

  • tknkk7
  • ベストアンサー率11% (378/3310)
回答No.18

※他人様の”同情を、かいたいとか”甘えたい・優しい言葉が欲しい。? 諦めて、明鏡止水・因果応報・一千万と言えど我行かん、豪放な気持ち持てば そして、”こう言う情けなき”惨めな”女々しい投稿文等”閉めたら、如何かな。 40代に成りて、尚、”構ってチャンか、それは、それで結構だが、誰しもが ”生活苦しい・贅沢したい・人にバカにされたく無い・自由奔放に生きたい。 当たり前な事を当たり前に生きて行けば、良かろうに、妙に、”哲学っポイ ”勝ち組だとか、負け組だとか、何処かで人様に聞きかじった様な、評論家モドキの”マネ等を、投稿されて、妙な作文を、書かれない事でしょう。 今後は何もされない方が、”沢山の”有象無象の回答が寄せられたら、如何に ご自身が、”小さな人間・小さな人生だったのか多少は、感じられたら幸いですが、所詮・理性・教養・知性・諸々無ければ、無理な事なのでしょうか。

  • tera1999
  • ベストアンサー率24% (245/991)
回答No.17

あまりに単純な回答ですみませんが。 クソみたいな地元を捨て、都会(の郊外含む)に引っ越してください。 40歳になったばかりの大卒なら、選り好みしなければ職はありますよ。 どこの賃貸アパート、マンションも隣近所とのおつき合いなんてほぼ無縁です。 賃貸借契約の保証人は、保証会社にカネ払えばOKです。(質問者さんの懐具合は知りませんが) 何も気負うことなく、再スタートできます!

  • doraneko66
  • ベストアンサー率11% (535/4742)
回答No.16

過去を振り返って、捉われても 意味はありません。 けど、過去から学ぶのであれば、子供際は仕方のない境遇だったのかも知れませんが、大人になった際にいくらでも環境は変えられたと思います。 今の環境が世界の全て、人生全てだと思い込んでいたところがあるようで、そうではないことに気づけたらもっと寂しいとは思わなかったと思います。 大変だった苦労した、けど、こう変えた、こうした、こんな工夫をしたと思えます。 今の人生が自分の全てだと思い込んでたら、何も変わらないし、何も行動出来ないでしょう。 人と向き合うのが、難しいと感じ、疲れたなら 漁業や農業などとか探して、とりあえず連絡して 体験することも出来たと思います。 向き不向きを考える余裕もなく、働いていたのかも知れませんが、体調を崩し限界にきていたなら、方向性を自由に考えて良い時期とも言えると思います。 もう自分の人生、自由に活動してみても良いのではないでしょうか?

  • Raquel123
  • ベストアンサー率16% (116/703)
回答No.15

これまで耐えて頑張ってこられたのですね。 まだ40年。これからの人生を生まれ変わった気持ちで迎えたいものですね。 失うものがない場合、ある意味無敵だと思います。 あなたはご自身のことを大切にして、残りの人生を満喫してください。 旅に出られることで新たな出会いもあるでしょう。これまでいた環境とは異なるおいしい空気に触れて身体の内から綺麗になるのではないでしょうか。 人生、何かを始めるのに遅すぎるということはないと思うのです。 40歳過ぎて、トライして、ある分野の第一線で活躍されている女性もいます。 住む場所、終の棲家を思い切って変えて、有意義に生きるためにひらめきを得て、笑いあふれる日々になさってください。

  • izumi044
  • ベストアンサー率36% (1333/3623)
回答No.14

>個人の背景や環境を知らないのに「退職」=「没落」、「自殺」=「逃げ」 「余所者」=「永遠の負け組み」、「地元民」=「永遠の勝ち組」なわけですね 間違っていますか?論理的に反論できますか? >自分がよければそれでいいのですがこの理不尽な地域住民は異常です 自分でこうおっしゃっているのに、その土地の価値観が全てかのように聞くんですね。 理不尽・異常だというのなら、その土地の価値観そのものが歪んでいる可能性はありますが。 その土地の価値観がどうあれ、それを理由に全ての価値観を同一視することは出来ませんし、別の土地には別の価値観があるということを否定することは出来ません。(もしそうなら、国際摩擦なんて言葉は生まれていないはずですから) 同級生に転校生はいましたか。その子も同じようにいじめられましたか。 少なくとも、この経験がないのであれば、その土地で必ずしも「よそもの」=「永遠の負け組」の論理が確定するとも言い切れません。 >年末まで頑張って職を止め旅に出て空っぽで寂しい人生に終止符を打ち、残りの人生を見つめなおそうと思います ただ人はこれを「逃げ」というのですね 見つめ直すことはいいことじゃないでしょうか。 しかし、それを逃げというのはどうなんでしょうか。 それが心機一転のつもりなら、そこに逃げという意味ないはずです。 そう考えるということは、質問者さんはその土地の価値観にどっぷりとつかり縛られているということでしょう。 異常だと感じられる人間とは、距離を置く。 これは大切なことだと聞き及んでいますので、質問者さんは新天地を求められたほうがいいと言いたくなりますが。 その土地の人間に「逃げた」と思われたくないからこそ、その土地で暮らし、骨をうずめるつもりがあるのでしたらそれを否定するつもりはありません。それもまたひとつの考えですから。

  • nonamelane
  • ベストアンサー率28% (390/1358)
回答No.13

かなり閉鎖的な地域にお住まいと思います。地元民は永遠の勝ち組なんて、実に馬鹿げた人達ですね。それではいつまでも伸びません。ざまあみろとはいったいどこまで意地の悪い人達なのでしょうね。私のいる国は確かに英語圏の多国籍国家として白人は勝ち組、よそ者は負け組からスタートですが、永遠ではありません。最後は下剋上が可能です。退職は没落ではありませんよ。職なんてここでは一ドルでも高く楽なところに移りますし、単なる踏み台です。辛いところに長く勤める人はいませんし、少しでもいい条件を探して(人間関係も含む)さっさとうつります。逃げと言われようが気にすることはありません。最後は自分がよければすべてよしです。金も出さないのに口だけ出して煩い人々は結局人生に必要ない人達なので無視です。しっかり貯金して、めんどくさい地元を離れてはいかがでしょうか。人が多い場所ではよそ者なんていう馬鹿はいません。大方がよそから集まっている都会、あるいは国に住んでみてはと思います。私の周囲は華僑だらけですが、彼らのほとんどに墓などありません。埋葬は白人が主ですが、政府が電車の工事で墓場をぶっ壊したのは驚きでした。当然に墓石もブルトーザーで粉々、ひっくり返ったり。新聞にも出ましたがお構いなしです。ここの移民は遺骨は海に流す人が多いです。私も日本の墓に入るつもりはありません。海を自由に移動できる気がしてそのほうが私にあっていると思うからです。人生は一度限り、空っぽを満たすために生き方を変えることには大いに賛成ですね。

  • 1808KT
  • ベストアンサー率58% (173/296)
回答No.12

>40年生きてきた結果、もはやこれ以上の伸び白はなく現状維持が精一杯になってきました 年末まで頑張って職を止め旅に出て空っぽで寂しい人生に終止符を打ち、残りの人生を見つめなおそうと思います それで良いと思いますよ。 私は40後半で転移した癌を患い、投薬治療で人生を諦める覚悟をしました。 友人へも気を使わせたくなかったので、自分から付き合いを切ってしまいました。 が、何故か奇跡的に助かって生きています。 「後の人生はオマケだ!」 これで良いんじゃないですか? 私はそう思って今も生きています。 治療費を捻出するために辞める事が出来なかった会社へも、いつの間にか「仕事」が生き甲斐になってしまっています。 質問者さんも辛い想いをされて来たのだから、今度こそリセットすれば良いのです。 「逃げ」だとか「負け犬」だとかは、本当の人生の最後に振り返って考えれば良い。 寂しく空っぽだと思われるのであれば、それを満たしてくれる好きな事や、これからの生き甲斐を見付ければ良いんですよ。 それから >「余所者」=「永遠の負け組み」、「地元民」=「永遠の勝ち組」 と仰られていますが、目線を変えれば「余所者」=「新しい視野」、「地元民」=「井の中の蛙」だとも言い換える事が出来ます。 個人の育った環境が全く同じの筈が無く、一概に優劣は決め付ける事は出来ません。 相手を見下す上から目線の輩は、盛者必衰の理です。いつまでも優位で居られる筈はありません。

noname#228299
noname#228299
回答No.11

質問者様の回りの方は田舎者ですよね。何時の時代の話なんだ!東京は余所者ばかりなので、誰もそんな事言いません。話しを読むと質問者様は結構がんばってやってこられたと思います。きっと余所者の子が、がんばって優秀なので、嫉妬ですよね。田舎者田舎者!そんな奴らもう無視です。借家なんて普通!地元で田舎なら家持っていても自慢になりませんよ!質問者様は貴方自身の中身のすばらしさを自覚して、今有るところで精一杯頑張りましょう。あとは人のせいではなく、自分の責任として生きましょう、私も肝に命じて!

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