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景気が悪くても誰も困らない社会は作れないものなの?
社会のすべての人がぜいたくをしないで能力に応じて身の丈に生活すれば物価が上がらなくても安定した社会になるというのは庶民の願いでもないのでしょうか。現在でも多くの主婦は食材買いに一円でも安いお店に出かけますし、男性だって我慢我慢で暮らしています。いわゆるぜいたくを皆がしてくれないとうまくいかない社会というのは、だれのためなのでしょうか。自分は倹約してほかの人には浪費をしてもらうことを望むというのも庶民感覚なのでしょうか。
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>金が金を生むというのが問題なのかとも思いますが、すべての人が能力に応じて社会に貢献できるようになればよいと思うのですが、これもやはりおかねの問題になるのでしょうか。 全てが充足され、有り余る原資や財源があって自由に公平に自他ともに納得の配分をされれば良いのでしょうが、現実にはカネ・コネ・愛情・家柄・収入・人気・健康・容姿etcには制約限度があり、限られたモノを分配することが現実だと思います。 その際に客観的な差異・格差が理解納得された評価・配分で適正に行うこと、納得される説明は難しい。 さらには同じ成果や貢献に対しても評価の段階では主観的な領域で評価者と被評価者ならびに関係者間で利害や立場や情報や好みで格差・有利不利が生じるので言うは易く行うは難しいです。 例えば、プロ野球やサッカーの選手の年棒を決めたり、その差額をどのように見るか決めてるのか、当該の選手が納得でき、関係者全員が金額の設定並びに対象者間のギャップを妥当かどうかの判断評価は難しいように・・・ さらに言えば、絶対公平(一律や決められたルール通り)は能力や働きや進化に対しては不公平感が残り、その評価判断も本人評価と他者評価では差異&ギャップが起こると思います。 突き詰めれば、人と較べる心、自負心や嫉妬心や偏見がバイアスと成り、そこに不公平感や格差を感じる意識・心情・自己評価とのギャップが介在し、景気のまだら模様や恩恵のタイムラグもありベネフイットが当たる度合い強弱も、思い描く理想社会も異なる為に、同じ配分では人それぞれ受け止め方も満足度も評価願望も自ずと異なります。 人間は考える葦である限り、誰もが困らず平等で幸福な社会は理想とするが、実態並びに現実は同床異夢・感情の勘定は不平不満の種は尽きることがないと思います。
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- migiug
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> 改めて勉強させていただきます。お金はいくら使ってもなくならないも > のであるというご教示を特に意識して勉強してみたいと思います。 ちなみにお金はいくら使っても無くなりませんが、逆に使わないと無くなったりもします。 池上彰さんなどがテレビで銀行の解説で「みなさんの預金が企業や個人に貸し出されて、その利子を受取る」とか説明されます。しかし実際には「みなさんの預金が貸し出される」なんてことは行なわれていません。例えば「質問者さんがある日通帳をみたら、質問者さんの預金が企業に貸し出されてお金が無くなっていた」なんて経験をしたことがあるでしょうか。ありませんよね。なぜなら「みなさんの預金が貸し出される」なんてことは行なわれていないからです。 銀行は企業などにお金を貸し出す時、新たにお金を銀行が造り、そのお金を企業に貸し出しているからです。実際にはコンピュータで貸し出し契約分だけ数字を書き込むだけです。よって池上彰さんや一般的に解説されるような「みなさんの預金が貸し出されて、そのお金が誰かの貸し出しとして利用される」ようなことは行なわれていない訳です。 このように誰かが銀行から借金をするとお金が増えて、その増えたお金で事業をして人を雇って給与を支払ったり、設備投資として機械を買ったり、製品を開発したりして、多くの人がお金を受け取り所得となってお金を使える機会が増える訳です。 つまりは世の中の借金が増えるほど多くの人が豊かになるんですね。逆に世の中の借金が減るほどお金を受け取る機会が減り貧しい立場の人が増えることになります。 ただしこの大前提には資源とエネルギーが常に供給され続けることが大前提です。 原油は現在の使用料で大雑把に見積もって10万年分あると推定されていますが、現在の採掘施設だけに限定すると40、50年分という計算になるそうです。
- ga111
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- sutorama
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昭和50年代(1975~)のころは、ローンという言葉自体、一般的ではありませんでした 例えば、自家用車など今ほど車検も厳しくない時代で、お金のない家は、普通に中古で数万円の車を買っていた時代ですので、社会全体が恥ずかしくもない感覚でした 逆に、ローンをこのころは月賦と呼び、月賦払い(ローン)で高額なものを買う人は、無理して見栄を張っているなぁという時代感覚です それがバブルぐらい(1986~)から、普通に低所得者もカードローンや住宅ローンなどが使えるようになり、お金がなくても簡単に高額なものが買える時代になりました 昔で言う、無理して見栄を張っているなぁという感覚は薄れ、当たり前の感覚です なので、同じモノを揃えようとすれば、普段の生活費に差が出るのは当たり前で、野党が格差社会という言葉を作り出しました ※小泉政権期のあいだに一種のブームとして種々のメディアを賑わせた言葉 このような不安を野党やマスゴミが煽った結果、老後のためにと財布の紐が固くなっていますが、未だに、一定の生活水準(ぜいたく)をローンに頼っています しかし長らく、モノが売れれば給料も増えるので、モノを買う人が増える・・・という夢の循環を元に、政争の具として政治が動いていますので、庶民感覚も麻痺しているのだと思います
お礼
私は、知識も理解力も貧弱なのですが、それにしても本当に難しいものだと思います。
- doraneko66
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共産主義の国、王様が政治をしている国で暮らしたら良いのでは? ま、そうなると身分階級になりますけど、奴隷扱いだけど食うに困らないでしょう。
お礼
共産主義がうまくいかないというのはやはり民主主義と矛盾するからなのでしょうか。
- migiug
- ベストアンサー率19% (22/111)
> 社会のすべての人がぜいたくをしないで能力に応じて身の丈に生活す > れば物価が上がらなくても安定した社会になるというのは庶民の願い > でもないのでしょうか。 社会のすべての人は去年より今年の方が豊かで、今年より来年の方が豊かである社会を望んでいます。また政治が国民に「ぜいたくをしないで能力に応じて身の丈に合わせて生活するように」と求めることは、事実上の身分制度を国民に要求することを意味します。 > 現在でも多くの主婦は食材買いに一円でも安いお店に出かけますし、 >男性だって我慢我慢で暮らしています。 これは主にデフレが原因であり、デフレを容認し続けて来たここ20年の政府の経済政策の責任です。 > いわゆるぜいたくを皆がしてくれないとうまくいかない社会という > のは、だれのためなのでしょうか。自分は倹約してほかの人には浪 > 費をしてもらうことを望むというのも庶民感覚なのでしょうか。 贅沢というのは単に現在のお金持ちが行っていることを”贅沢”と定義しているだけのものです。昔はバナナやメロンを食べるだけで贅沢と言われました。昔はテレビを買うことが贅沢と言われました。昔はファッションを楽しむだけで贅沢と言われました。 日本はここ20年の経済政策によって富が極端に偏在してしまい、世の中に回らなくなってしまいました。 「金は天下の回りもの」とは元々は『金は上で回るばかりで、庶民の手元へは回ってこない」ということを意味していました。ここ20年の原理主義的な経済政策によって「金は天下の回りもの」となってしまいました。 お金は人が作っているものであり、いくら使っても無くならないものなので、いわゆる金回りというのは政治政策次第でいくらでも変化します。経済というのは政治政策であり、その内容により国民生活を大きく変化させるものです。
お礼
改めて勉強させていただきます。お金はいくら使ってもなくならないものであるというご教示を特に意識して勉強してみたいと思います。
物が安いのは誰かが無理をしてるから安いわけです。 すでに適正価格とは言えないレベルまで物の価格は下がってます。 そうしないと売れないからです。 実際もやしや豆腐が利益が出る販売価格では無くってしまってるってニュースも出てますね。 これが適正価格まで上がりそれらの生産者などが余裕を持って暮らせるレベルになるなら可能かも知れません。 現状が誰かが無理をしてる状態なのです。 これは競争の末の社会なんでしょうね。
お礼
適正価格というのも難しいですね。経済学者にもわからないのかなとも思います。社会を支えているのは、新しい価値を生み出す人の努力だと思いますが、お金がないと、このような人が価値を生み出す可能性がなくなってしまうということでしょうか。
- tknkk7
- ベストアンサー率11% (378/3310)
誰も困らない社会は作れないものか。出来ません政治家に聞けば良いだろう そんな”夢か天国みたいな国が、有れば良いですが、無理に決まっている。 社会は、国民の納税金が、総て経済活動の根幹だから、では、逆質問。 (1)投稿者は、何処に住んでいますか、持家か、賃貸かどちらですか。 (2)毎日仕事をしていますか、給料を幾ら戴いてますか。 (3)愛する家族は、何人いますか。(4)毎日、何を食べていますか。 (5)子供は、いますか、成人は何人・家族構成は、どうなってますか。 (6)服装・化粧・趣味・音楽・ボランティア等、何に関心ありますか。 取り敢えず、これ位でいい、総て、逆質問だから答えられますか。? それからだろうに、まるで、思い付き無知で有りながら・性も無い事・誰も正確に等、答えられないのが、解っていながら、駄々っ子相手じゃあ、無い物ネダリなのだろう。
お礼
厳しいご指摘に接し、恐縮するばかりです。
- KoalaGold
- ベストアンサー率20% (2539/12475)
生産行動と消費行動、その間に流通や販売などがあります。 自給自足した離島を考えてみてください。魚を捕り、網を作り、リアカーで運び、畑を耕し、病気は薬草で治す。贅沢はぜずにここだけで幸せに暮らす。電気もなく暖冷房もなく教育もない。 農作物は多めに作って売り、サービスを生み出す。利益が時間の余裕を生み、教育ができる。教育が大きなシステムを動かし、政府や法的機関、医療機関が存続できる。 世の中は個人の消費ではなく生産活動の余剰があってこそ回っていくのだと思います。みんながカツカツに暮らせる社会は最低限ですが、将来を明るくするものは余裕です。余剰を貯めていくことで次世代に回す余裕ができるのです。 無駄金は使いたくないですが、作ったものは誰かが買うことで次の資金ができます。スタジオジブリの映画も皆がダウンロードしているだけでは次が作れず倒産するんです。
お礼
難しいものですね。お金以上の価値を生み出すことが社会を豊かにするのかなとも思いますが・・・
- iwashi01
- ベストアンサー率17% (187/1051)
誰もぜいたくをしない それは 誰もよいサービスや商品を提供せず 身の丈はその程度だと思って あきらめて暮らす そういう社会でしょうか 生きていて楽しいのでしょうかね・・・ 安定した社会というよりなんだか絶望的な社会のような ぜいたくをできる人間は 余裕があるわけですから 余裕がある層がぜいたくをしてくれれば 富が庶民の方に分配されます ぜいたくをできるのに浪費だといってぜいたくしなければ 富が偏るだけですよね つまりぜいたくは再分配の手段だと思うのですが 自分の親の世代、田舎では しかるべきときにはしかるべき消費をすることにより みんなの生活が成り立っていたようなところがありますね 身の丈に応じたぜいたくをすることで 上手く回っていたわけです そういう関係を破壊して 一円よりも安く倹約倹約に走り、 昔からある商店より 安売りスーパーが重宝されるようになった結果 昔からある商店は生活が成り立たなくなってしまいました みんなが倹約しかしなくなると もっと経済が縮小して 結局苦しい生活の人が増えるばかりです 身の丈に合ったぜいたくをして 経済を回す、ということも必要なのではないでしょうか
お礼
私の言葉が足りませんでした。身の丈に応じたぜいたくをするというのは豊かな社会のことでもありますね。スーパーは倹約だけするための仕組みなのでしょうか。その裏でお金だけが大切ということになっているのかなとも思います。
- lions-123
- ベストアンサー率41% (4360/10497)
>景気が悪くても誰も困らない社会は作れないものなの? 仰っている内容や意味は分かりますが、原始ユートピア社会は別として、現実には総論賛成なれど各論or利害で人は自己中に成ったり、格差を感じたり、向上心がエネルギーでもあり、自己実現の追求欲求から→「社会のすべての人がぜいたくをしないで能力に応じて身の丈に生活すれば物価が上がらなくても安定した社会になる」というのは天与の十二分の資源があり、その形成への寄与&付加価値に応じた皆に納得される配分ができない限り、そこに不平不満や格差が生じ実現困難だと思います。 人には向上心や競争意識や自己顕示欲があり、働きに於いても自己評価と他人評価、絶対評価と相対評価があります。 その自己実現・向上心が人生のエネルギーであり、建前と本音、マズローの欲求の5段階説にもあるように、欲求の進化や変化となり個人差&価値観のプライオリティとして、現実には誰も困らない社会も同床異夢、アプローチや評価や満足に対する思いや仮想ゴールに対する充足度・距離感は人それぞれだと思います。 http://www.motivation-up.com/motivation/maslow.html
お礼
金が金を生むというのが問題なのかとも思いますが、すべての人が能力に応じて社会に貢献できるようになればよいと思うのですが、これもやはりおかねの問題になるのでしょうか。
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お礼
深い内容のご教示と思いました。平等というのは向上心などと原理的に矛盾するのかもしれませんね。お金を離れた価値観にしても各人各様であればなおさら満足等という言葉の意味もあいまいになってくるように思います。