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幽霊が見える方、宗教を学ばれている方にお聞きしたいです。
幽霊が見える方、宗教を学ばれている方にお聞きしたいです。 ふと疑問に思ったのですが、よく死んだら、魂が肉体から離れて、病気だった人は病気が治るというか、病気する前の健康な状態に戻るというか、そんな感じのことを言いますよね。 と、考えると、身体ではなく、精神を患っている人は、死後、精神病に罹患する前の状態に戻るのでしょうか、また知的障害の人はどうでしょうか。 また、自殺は良くない、成仏できない、と言いますが、うつ病などで、冷静な判断ができないような精神状態で自殺してしまった場合はどうでしょうか? こういう人までも、神様は「自殺は悪いことだ」と判断し罰するのですか? とても苦しい思いをし続けたのに、死んでも尚苦しまなければならないのですか?
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- michael-m
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自分の判断力を完全に失っていたら、それは自殺ではありません。病死です。
- rurubonpp
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病気で死んで、死んだら病気が治るということはありません。 死後の世界は「想念」が何よりも優先されますから、病気で死んで、その死んだ人がまだ自分は病気だと思っていたら、死後も生前と同じ病気で苦しみます。 当然「うつ病」の人も自分が「うつ病」であると思っている限り、「うつ病」のままです。 だから、死んだ人には、「死後の世界は自分自身の心の状態で、どのようにでもなる世界だから、病気などないと思えば、病気は無くなるんですよ」ということをわからせないといけません。 とらわれのない自由な心にならないと、すべての苦しみは消えないということです。 そういう、とらわれの心を無くして、自由な心になってもらうために供養をするわけです。 神様が死者を罰するということはありません。生前に行った自分自身の業によって苦しんだり、楽しんだりするわけです。あらゆることは、自らの業で決まるのです。 自殺は自分を殺したわけですから悪業ですが、どういう気持ちで殺したかで業の深さも決まると思います。 ついでに言うと、死者が前世で死んだ時、あの世の世界に行かずに、現世に止まって、成仏しないで生まれ変わって、また今世で死にます。すると、前世と今世の業が加算されて、あの世での苦しみが増します。 だから、どういう状態で死んだとしても、あの世へ行った方が良いわけです。そして、死者の心が早く自由になれるように供養することが大切なわけです。 神は空気のようなもので、何か特別にお前は悪いからと罰するようなことはしません。また、善い事をしたからと言って、特別扱いもしません。空気がなければ生き物は生きていけませんね。そういう存在なわけです。 人間に善悪を教えたり、褒めたり、叱ったりするのは、宗教家や預言者の仕事です。あの世では天使とか神霊の仕事ですね。あくまで教育なんです。
- cznut9
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自殺はよくないというのは標準の話ですよ。 仮に神様が直接聖書を書いたとしてもケースバイケースで 詳しく書いたら膨大な量になり人間は読まないので ダイジェストに決まってます。 自殺してもよい例外はとうぜんありますよ。
お礼
ご回答ありがとうございました。 簡潔で非常に率直な回答で、わかりやすいものでした。 >自殺してもよい例外はとうぜんありますよ。 私もこの辺りが非常に気になるところでした。 時代背景から、うつ病のことを例に挙げましたが、 大昔は、武士の間で切腹などがありました。 人生を途中で投げ出したいから自殺する、という理由ばかりではないと思いました。 また、殺人なども、やはり、時代によって、対象によって、理由によって、 色々な解釈があるものだと考えていました。 「行為」そのものではなく「意図」や「動機」の部分と言うか、 しかもそれさえも、自分の真意ではなく選び取ったものである場合はどうなのかと。 ご回答ありがとうございます。
- conntian4
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死後の世界は「無」です。 暑くも無く寒くも無く、お腹もすかず美味しいものも解らず、臭わず、眠くも無い。 自死を選ぶ事は、与えられた命を完全燃焼しないわけで、それだけで罪深いという事です。 さまよい落ち着く先も無く、何の為にさまようかも解らないのです。 ですから自身の人生は輝くように生き抜き、生を全うしあの世に旅立つ事が大事なのです。 うつ病は怠け病とも言う人物が居ます。 しかし、脳が正常に動かない現象と私は思います。 自死を選ぶまでの中で、解決できない「何か」があるのだと思います。 それはその人の周りにも罪があると思います。 「気づく」ことの大切さを失う現代人は、他人を思いやる心の余裕まで無くしています。 思いやるどころか、自身のストレスを弱者に向け発散し攻撃対象とするのは子供とて同じ。 イジメに走る人々は現世で最も酷いことが後々自身に降りかかるでしょう。 因果応報。 天網恢恢祖にして漏らさず。
お礼
早速のご回答ありがとうございます。 細かい種類までは勉強不足で恐縮なのですが、死後の世界は「無」という概念は仏教のものでしょうか。 >うつ病は怠け病とも言う人物が居ます。 >しかし、脳が正常に動かない現象と私は思います。 正しい認識だと思います。うつ病は怠け病どころか、人一倍生真面目な方が罹患しやすいと言われていますし、過度のストレスがキッカケでホルモンのバランスの崩れによって起こることが多いためです。 うつ病の方の自殺は、回復に向かっている途中、少しも動けない状態から、少し元気になった時に、「こんな風になってしまって私はもう生きているだけで人に迷惑を掛けてしまう。」と思い詰めてしまうことによって、起こってしまうと言われています。 ですから、こういったことが原因でも、自殺をすると成仏ができないのだろうか、と日々疑問に思ってきました。そうであれば、私は非常に不憫でならないのです。 勿論根本に様々な恩恵によって生かされているという確固たる感謝の思いがあれば、そもそもストレスにも強い心を持てるような気がするのですが、今の世では、そういう考えを持つこと自体が、大変難しいのを感じます。全てが、「あるのが当たり前」のように考えてしまうというか。 いじめに関しては、私もニュースなどを見て、死を選ぶ若い命を非常に痛ましく思います。 人としての尊厳を傷つけられ、どんなに傷ついただろう、と思うと尚更に。 また、いじめる側も、穏やかで安心感ある人間関係を結べないという意味では、不幸に思います。 ご回答頂き、どうもありがとうございました。
お礼
ご回答ありがとうございます。 色々と意義深いお話をありがとうございます。 >神は空気のようなもので、何か特別にお前は悪いからと罰するようなことはしません。また、善い事をしたからと言って、特別扱いもしません。空気がなければ生き物は生きていけませんね。そういう存在なわけです。 これは私にも納得の行くところで、疑いの余地がありません。 太陽の光や雨は誰の元にも降り注ぎ、空気も隅々まで行き渡っており、その恵みによって私たちも生命を頂いていると考えれば、また自然の美しさ、生命そのものの美しさに思いを馳せれば、 本当に創造主とされる方の御心と愛情の深さは計り知れぬものと思います。 神と人との間に、「天使」「神霊」と呼ばれる方々がいらっしゃる、ということでしょうか。 >死後の世界は「想念」が何よりも優先されますから、病気で死んで、その死んだ人がまだ自分は病気だと思っていたら、死後も生前と同じ病気で苦しみます。 これは、一瞬ですが、私も考えたことがあります。 例は違いますが、例えば困っている人を、自分の身可愛さに見て見ぬふりをすれば、誰が責めずとも、自分の良心が「本当にこれで良かったのか?」と責めます。 生きている間中、人の足を引っ張ったり陰で罵ったりすれば、別の部分で成功を収めても、安心感の無い人生で終わってしまうと思うのです。これはある意味では生き地獄のようだとも思います。 こういった気持ちは、そうする必要はなかったんだ、違う自分も選べたんだ、違う生き方もあるのだ、と本心から気づくまで解放されないと思います。 そういうことは、ぼんやりと考えたことがありました。 ただ、心の病、精神疾患などは、本人の意思ばかりではない部分でも起こりうるものなので、 どうなのだろう、と思います。特に精神疾患は、自覚のないものもありますので、 身近なところではアルツハイマーなどもそうですし(ただ、時々冷静に戻ったりすることもありますが) こういう場合どうなるんだろうかと疑問を持って気になり出してしまいまして・・・。 ですから、供養を通じて、苦痛や悲しみ、不安に終止符を打てるということは素晴らしいと思いました。 今まで、その言葉の意味をほとんどわかっていませんでしたので。