>大阪弁は後世に渡って語り継がれる言語なのでしょうか?それとも…でしょうか?
ネットや教育や移動(学校・勤務先・婚姻・マイホーム他)等の要素要因により暮らしの中の言語はコミニケーションのツールとして変化変質しながらも、その地域性や属性における接触&会話時間や人数の多数派の影響が強く、それがいわゆる大阪地域・大阪住民なら大阪弁が後世に渡って語り継がれると思います。
また、大阪弁と言っても、厳密には北摂や船場、河内や泉州等の地域によって異なりますし、商売人と農漁業者、芸人や主婦の職業により、高齢者と若者、古くからの居住住民と比較的新しく転入してきた新住民ではアクセントやイントネーション、意味合い等で微妙に異なると思います。
さらに「歌は世に連れ、世は歌に連れ」と言われるように、「言語も世に連れ、世は言語に連れ」変質変化していく生き物だと思います。
特に言語の中でも書き言葉と違い、話し言葉は・・・過去~現在~未来、人々の位者文化に伴って、過去がそうであったように今後も変化し続けると思います。
かってのムラ社会のような人の移動が少なく冠婚葬祭をメインにした井戸端会議や近隣交際が中心の頃の言語ツールとは異なっている。
それは、情報量や交流が少なかった時代と違い、現代では学校や勤務先や各種のカルチャースクールでの交流と会話、標準語での教育やテレビ&ラジオ、ネットやメールの普及影響、情報量の増大で言語も地域や年代や職業等のボーダーレス化と共に日々刻々に変質変化していると思いますから・・・
個人的には話し言葉は標準語でも方言でもコミニケーションがとれれば自由だと思います。
言葉で会話し意思疎通とか意思伝達するのに、標標準語or関西弁・大阪弁だからと差別したりor拘り対抗するといった感覚や意識は持ったことがありません。
さらに言えば読み書きは標準語と言う、話し言葉との分類や使い分けのようなものであり、相手により目的により多少のアレンジやアジャストを意識的or無意識にしながら日常生活のコミニケーションに何ら問題なく違和感や不便も感じない。
強いて言えば、全国各地を転勤した経験からは、現地の方(特に高齢者)と話をしていると、関西の方or大阪の人ですねと、相手の方からはイントネーションや言い回しで分かるようです。
周囲が標準語の中で大阪生まれの私が関西訛りの人を見つけたり、話すと親しみや心の癒しにもなるように思いますし、ましてや大阪弁で趣味や好きなスポーツ談義にはボケとツッコミも交え、波長と言うのか(関係ないが関西は60hz:関東は50hz)何ともいえない間合いと回転のテンポ&スピードが心地よく、ノリが良いというのか、会話により熱を帯び夢中になったりはします。
そういう意味で、私は会話での方言はアイデンティティやパーソナリティの一環であり、愛着もあるでしょうから対抗したり恥じたり遠慮する必要はないと思うし、標準語か関西弁(実際には京都・神戸・大阪・和歌山とか同じ大阪でも北摂・船場・泉州・河内等で違う)かの2者択一を迫られたり強いられるなんてことは過去も現在も将来もないと思いますので地域特・ローカル色の一環のように語り継がれると思います。
お礼
TVの普及が大きく影響してるんですね。単語は死語になり、文法は生きるんですね。