これはわからないこともない。
大きな会社の一員の場合、ときどき発生する思いのはずです。
それも部長だったり役員だったりするならともかく、なーにやってるんだろうと自分でわからないような現場の仕事の場合は充実した思いがないのは当然です。
具体的に何を作ったとか何をしたという思いもないままに過ぎる1日があり、それでも給料は出るが、それは何か社会の役に立っているのだろうか。そういう思いもあるでしょう。
あなたの年齢の問題だと思うのですが、ある年齢になると、あ、そういうことかと気づくことがある。それをこれからいいます。
複雑な機械を作る工場で、たとえば時計だとか計測器ができてきて箱に入れられる、それがちゃんと入っているかどうかをチェックしてチェック表を埋めるだけだという仕事だったら、こんなもん、やったってやらなくたって一緒じゃないか、カラの箱がくるわけないし、見ても見なくても製品は一緒だと思うかもしれない。
これは品質チェックの仕事です。確かにほとんどの場合、モノが入っていない箱がくることはまずない。
だから、じゃ、この作業はいらないことにしよう、人件費も一人分助かるし、とやったら何が起きるか。
出荷後の製品で何かの問題が起きたとします。もちろんそれは箱がカラだったということではなく、機械自体の何かの問題だとしましょうか。
当然そこで、製造工程は問題がないかなどの資料の提出を求められます。
このとき、出荷時に梱包内容のチェック工程の資料が一切なかったとします。
即問題になり、営業停止などの措置になる可能性があります。
やるべきことをひとつやっていないくらいだから他の工程に関しても信頼できないという判断からです。
くだらない、やってもやらなくても同じじゃないかと誰かが思ったことが大問題になったわけです。もし、くだらないくだらないと思いながらチェック表だけは記録されていたら、評価は全然違ったはずです。
おわかりでしょうか。自分の目から見て無駄だ何もしていないという仕事がやられていないと、そこで全社を巻き込む大問題になるのです。
仮に1日事務所に居て特別に伝票操作もしなかったし文書も書かなかったとしてもあなたがそこに1日いたと言う記録が非常に意味を持つことがあります。
ショップなんかで、まる一日お客が一人もこなかったとしても、店は開いており従業員はいたという状況で「年中無休」を言えるわけです。
年中無休を主張している販売店の信用は、個々の店が流行っているいないとは全く無関係につくのです。
結論を言いますと、会社というのは組織であり、陳腐なたとえでいえば皆が歯車となってかみ合って成果を出しているものです。
1つの歯車、ギアが、俺は何もしていないじゃないか、という理屈はないのです。
これが、年齢を経るとわかってきます。そして、1塁主じゃなく外野にいたとしても野球のチームの役にたって勝利に貢献しているというのが実感できるようになります。