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昔の郵便小包って
「昔は小包が来たら、国鉄の駅まで取りに行ってた」と叔父から聞いたんですが、昔は家まで持ってきてくれなかったんですか?
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- hue2011
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ゆうパックなんかない時代ですからね。 民営化される前の郵政省という国の省でやっていた郵便局は、ご想像の通り偉く頭が高く、荷物を届けるなんていう発想はありませんでした。 郵便小包という名前のものはありましたが、これは相手先の郵便局まで届けたらおしまいです。それを、ハンコを持って受け取りに行くのです。 だけど、郵便配達が、ハガキや封筒よりでかいものを自転車に積んで届けるなんていうことはあり得ませんでした。客がとりにきて当然だという考え方でしたから。 郵便局というのは、どんな田舎でも離島でもありましたから、ものが来ないことはない。 なんて便利だろうという機関だったんです。 いまの宅配便の伝票みたいなものはなく、「荷札」というものを購入して、そこに相手先の宛名を書き、針金で荷物に括りつけました。 でも、大体運ぶものは本だとか衣類とかでした。 米は運んだら法律に触れるものでしたから、送ろうとしたら小さな布袋にいれて「小豆」などとうその品名をわざわざ書いたりしたものです。あるいは卒業証書の筒みたいなものに入れて、あたかも表彰状でも送っているようにしたものです。 こういうブサイクな送りかたが嫌だったら、鉄道荷物として送る方法があり、それを「チッキ」といいました。Checkを日本読みにしたものですが、30キロまでの荷物は送れた。 今の宅急便のサイズだと思えばよく、ちょっとしたものが一気に送れました。 だから田舎から集団就職にくる若者が、自分の着替えとかを贈るのにチッキを使いました。 当然これは鉄道で荷物を送りますから、到着したら駅に留め置くしかありません。 ほしければ、とりに行かなければいけないのです。 まあ自分も乗ってきた鉄道に積んで受け取ることもあり、これは今の飛行機の手荷物とよく状況は似ています。 こいつも、荷札を付けるのは一緒です。 これも米を移動させてはいけないという法律がありましたので米は禁止でした。この法律は「食管法」というものです。 さらに、荷物に信書を入れてはならない、となっていました。信書を入れたら郵便物になるからです。こいつは「郵便法」という縛りです。 そのため、家で作ったかぼちゃを入れて「元気かや、正月には遊びに来いや」なんか書付を添付した荷物は禁止されました。 それをやるために、文章を細長い紙に書き込んで紐にして縛ってしまうというような小細工をしたものです。
- chie65536(@chie65535)
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昭和50年頃までは「小包」は「国鉄のチッキ」か「郵便局の郵便小包」でした。 「郵便局の郵便小包」は「家まで配達」しますが、当時は「大きさ制限」があって、今の「定形外」と同等の大きさ、重さ郵便物しか送れませんでした。 「大きさ制限」は「配達の方法」が原因でした。当時は「郵便局から徒歩」か「郵便局から自転車」で配達するしかありませんでした。 なので「徒歩で運べる大きさか重さ」か「自転車で運べる大きさか重さ」、つまり「現在の定形外郵便程度」に限られたのです。 一方「国鉄のチッキ」の場合「30キロ以内、大きさ2立方メートルまで」であれば、大きな荷物も依頼できます。 しかし、国鉄のチッキは「駅のチッキ窓口で荷物を受け取る」しか出来ず、家に運ぶのは、荷受人自身が行ないました。 なお、駅構内で旅客の手荷物を運ぶ「赤帽」に依頼すれば、チッキで届いた荷物を自宅まで運ぶ事も可能でしたが、別料金が掛かるので「赤帽」は金持ちしか利用しませんでした。 「赤帽」の名前は、今では「全国赤帽軽自動車運送協同組合連合会」に受け継がれています。 そういう訳で、定形外より大きな荷物は、国鉄のチッキを利用して運送し、荷物を駅まで取りに行くのが普通でした。
なつかしい話しですね! みかん箱(わかりますか?)、りんご箱でもいいんですけど 程度の大きさから布団袋程度の大きさの荷物 これの ぶつ (郵便物) は 基本的に駅への持ち込み・引き取り をします、自分で。 もっとも、別料金でエリ限定ではありますが 配達もしてくれます。 最大の問題点は いつ届くか?それが、わからない。 差出人は、受取人に連絡をするんですが それでもスマホの無い時代。 今から考えれば、苦労しました。 で 結局無事受け取ったみかん箱、それは、子供の勉強机に変身。 お時間あるようでしたら 東京駅、見学に行ってみては? 東京鉄道郵便局専用地下鉄・・・など。
- bekky1
- ベストアンサー率31% (2252/7257)
ええ、(鉄道)小荷物というのでしょうか? 荷物が届きましたと’ハガキ’がきて、駅まで取りに行く。 もちろん、すぐに行っても、時差がありますから、それに冷蔵もないので、 母の友人が毎年、送ってくれる、広島の牡蠣やら、松茸やらが、毎回全滅でした。 何故電話で連絡が来ない? だって、電話自体が全部の家庭に家電として 普及するのが、何時だろう? 私(今65,東京圏を出たことがないです)が中学の頃にはあったけど、小学校の頃には呼び出し電話と言って、近所の人が緊急時には利用させてくださいということで、 「田中さん、電話です。 鈴木さんって女性からですって」って、子供が使いに行くんだから。 荷物を出すのも大変で、荷札という白い紙に穴が空いていて、それに針金がついているのを 2枚、住所と氏名と、送り先も含めて裏表に書いて、付ける。 もちろん、本体にも、送り先を書いた上に荷札2枚ということです。 更にヒモで縛るというのが規則でした。 荷札を忘れて、わざわざ荷物抱えて戻るというのを我が家の前の郵便局ではよくやってましたね。 郵便局で荷札も売ればいいのにと思うけど、やっちゃいけないみたいでしたし。 今みたいに、送り状に書いてペタンでおしまい、自宅まで取りに来てくれて、 相手先に時間指定で届く・・・は、夢のようですよ。 最も、車も、道路も整備されてない時代ですから。 50年前はね。 前の東京オリンピック以降全国の道路網が整備されたから。 幹線道路をトラックが走り回る。 そもそも、配達する人は、自転車です。 広い範囲、自転車なら、手紙、ハガキが精々です。 クロネコさんが出来てから、’宅配’と言う概念が定着したのでは? それ以前にも、運送会社はあったけど、 主に、日通などは、農協系の’コメ’がそもそもだから、今でもペリカン便は変でしょう?
- Gletscher
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それは郵便ではなく、チッキのことだと思いますよ。