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台湾が親日だと言われるようになったのはいつから?
台湾が親日だと言われるようになったのはいつ頃からでしょうか?
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「政府」が親日路線になったのは、1990年に李登輝さんが台湾の総統に選出されてからです。だいたい中華民国は太平洋戦争の敵国なんだから、台湾市民としては親日的な感情があったとしても、政府はとても親日とはいえないレベルですよ。 特に中華民国政府が台湾に移った頃は国内(台湾)の治安安定のために国民党に批判的な勢力は弾圧していましたからね。「敵(政府)の敵は味方」で日本にシンパシーを感じる台湾市民もいました。 政府がはっきりと親日方向に変わったのは、前述のように李登輝さんが台湾総統になってからですが、李登輝さんはなにしろ日本陸軍士官学校出身ですから、さすがの台湾市民も「あの人(李登輝)は親日じゃなくて、愛日」と少々呆れ気味なほどのようです。 あと韓国が建国以来の反日っつーのもとんでもない大間違いで、朴正煕大統領時代は最大の敵国が北朝鮮ということもあって日本とは協調路線でしたし、なにより金大中大統領時代は彼が日本に亡命状態だったこともあって親日路線でした。日本の音楽が韓国で流されることが解禁になったのも金大中大統領時代でしたし、その後の韓流ブームの基礎になる文化交流が始まったのも金大中大統領によるものです。 だいたいネット右翼ってのは大阪のアホなオッサンやどっかの大臣なんかがそのいい例ですけれど「恭倹己レヲ持シ(自分の言動は慎みましょう・教育勅語より)」なんてことを子供に教えておいて自分はその教えを守らないようなのばっかりで、勉強不足も甚だしいですね。「學ヲ修メ業ヲ習󠄁ヒ以テ智能ヲ啓󠄁發シ(勉強して知識を深めましょう・教育勅語より)」ってあるのにねえ。
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- twin-dog
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1945年に国民党が台湾に乗り込んできて台湾統治を始めてから。 この時本省人によって「犬が去って豚が来た」と言う諺ができた。 日本統治時代には一部の台湾人は中国統治復帰の願望があり、実際一部の台湾人による反政府運動もあったが、実際に外省人(国民党)による統治が始まってみると、想像を絶する酷さであり、逆に本省人に日本統治時代への思いが強くなった。 そのため1947年に本省人による民衆蜂起である二 二八事件が起きたがこれも国民党により弾圧されてしまった。 このとき本省人は日本の軍隊による台湾統治奪回を期待していたが、当時の日本は連合国により占領、武装解除されており本省人の期待に応えることができなかった。 それでも本省人は日本統治時代の良さを忘れずに未だに日本に対する親近感と羨望を持ち続けている。 誰かさんの祖国である半島南部のヒトモドキ国家とはエライ違いですよ(笑) まぁ、あの国の最大の過ちと悲劇は「李承晩」とか言う「没落両藩のクズ」が率いてる何の実績も主だった活動履歴もない「なんちゃって」大韓民国臨時政府を受け入れてしまったことが最大の原因でしょうね。 クズが率いているクズ政府から始まってるから、あの国の政治は未だにクズなんですよ。 これだけ世界情勢が変わってきて、朝鮮半島情勢がこれだけキナ臭くなってきてるのに、やれ大統領弾劾だ、罷免だ、って感情論だけで国全体が内輪もめしていて、世界情勢が全く見えてない国民性は救いようがないね。 今、北のカリアゲ君が切れて南進始めたら、67年前に半島の端っこまで追いやられた時の再来になるのが全く見えてないんだから。あの時はアメリカをはじめ西側諸国が本気になって助けてくれたけど、今の南朝鮮を本気で助けてくれる国なんて無いってくらいに国際信用失墜してるのが全く見えてないんだから。
お礼
1945年からなんですね。
- ichikawa2017
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毛沢東の共産軍から逃れて中華民国政府が亡命してきて以来です。 蛇足(日台関係のおさらい) 中華民国を建国した孫文は打倒清王朝に何度か失敗して日本へ亡命していて多大の援助を受けていました。 孫文が手本としたのは日本の明治維新でした。 「明治維新は中国革命の第一歩であり、中国革命は明治維新の第二歩である」としていました。 孫文の後を引き継いだ蒋介石が日本が敗戦した直後に南京を毛沢東軍から奪回しました。 このときに台湾省としていました。 国共内戦で大陸内部の拠点を毛沢東軍に押さえられ1949年に台湾のみを統治する中華民国政府として独立しました。 1952年に日本との国交を樹立しました。 蒋介石は以徳報怨として日本に対する損害賠償請求権を放棄しました。 国連発足直後は台湾を統治していた中華民国が常任理事国でした。 毛沢東の中華人民共和国はサンフランシスコ平和条約に署名しなかったこともあり、日本は長い間毛沢東が樹立した中華人民共和国を認めず国交も断絶していました。 この間中華民国との間で日華共同反共を盛り込んだ中共対策要綱などが共同で宣言されていました。 1972年アメリカが突然中華人民共和国と国交樹立したのにあわてた日本政府が中華人民共和国との国交を樹立しました。 同時に中華民国との国交を断絶しました。 台湾を裏切ったのは日本ですのでご注意下さい。 現在は中華人民共和国を中国と呼んでいますがそれまでは中共と呼んでいました。 日中戦争で蒋介石が率いる軍と日本軍が対峙したのは、日本が樹立した満州国の皇帝として清朝の最後の皇帝であった愛新覚羅溥据え付けたためです。 打倒清王朝を目指す孫文の後を引き継いだ蒋介石としては見過ごす訳にはいきませんでした。 日本自らが清朝を選ぶか中華民国を選ぶかという選択に迫られていました。 台湾も韓国も日本の統治下にありましたが、本質的に全く違いますのでご注意下さい。
お礼
昔からなんですね。
お礼
1990年からなんですね。