昔は、家系は男によってつながると考えられていたからです。
つまり、畑にキュウリの種を撒けばキュウリの苗が生じ、やがてキュウリの実がなり種ができます。そのキュウリの種を撒けばキュウリができ、代々キュウリ一族が繁栄します。
他方、その同じ畑に大根の種が撒かれれば大根ができてしまいます。キュウリの種を撒いたのに大根が稔るということはないハズなのですから、大根が稔ればキュウリ一族としてはビックリ仰天なのです。
つまり、何が稔るかは種(父)で決まり、畑(母)で変わることはナイ、という農耕民族的思想がベースになってきたからです。
しかし、建前的にそうは言っても実際には、母親似の子供というのが(確率としては)半分いるわけで、畑も大事だ・・・ 血はつながるとは認識していました。
だから、女なら誰でもいいとは考えず、相応の身分・家柄の嫁を迎えましたし、息子がいなければ娘に婿を取ったわけです。「娘は畑だから、他人の娘でもいい」とは思わないわけです。
ついには、例えば大阪の商家では、娘が生まれるのを喜んだという話もあります。
息子は選べませんが、婿なら選べるからです。仕事に向いたマジメな三番番頭などを娘の婿にして家を継がせ、ダメな息子は分家に出すというようなことも、それほど珍しくなかったという話です。
大店のイトはんが、美男のデッチに恋をして・・・ 大番頭が怒って出ていく、というような小説も珍しくありません。
ちなみに、その場合の家財はあくまでも娘のものです。婿は、商売用の資金の範囲で使用権があるだけでした。使い込めば追い出されました。現代でも、家付きの娘は怖いです。
(^_~;;