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男尊女卑
男尊女卑について 平成時代以前の男尊女卑はどういったものが挙げられますか? また男尊女卑は合理的で差別ではなかったんですか?
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男尊女卑は差別以外の何ものでもありません。 男が尊く、女が卑しい もし男女の合理的区別があるとすれば、それは男尊女卑とは別物です。 平安時代の男尊女卑について、詳しいわけではありませんが、無い知識を総動員して まず、女性が家の繁栄のために使われていた事実はあります。 天皇家や権力者との繋がりを作るために、本人の意思に関係なく結婚させられることは珍しくありませんでした。 しかし、これは女性自体は大事にされていたし、男でも養子について出されたりしていたので、男尊女卑とはちょっと違いますかね。 政治の表舞台に女性が出て来ることは、あまりなかったように思いますが、そのかわり文化面では男性に引けを取っていません。 物語や歌詠みで、女性のものがこれほど残っていることからも、明らかです。 逆にそれ以降のもっと新しい時代にそういったものが、あまりないので、おそらく鎌倉期ころから武士が、台頭し、女性は夫を支えるものという思想に変わっていったのではないかと。 平安以前の女性は(主に宮中のですが)、けして男に負けていません。 八代六名の女性天皇、藤原薬子は謀反がばれて服毒自殺、文学では紫式部、清少納言、和泉式部、藤原孝標女 小野小町は絶世の美女で、求婚してきた深草少将を百日通わせたあげく、99日目で殺しています。(嘘です。死んじゃったといわれていますが、殺してはいません) この小野小町、恐ろしいことに、自分の詠んだ歌で雨を降らすことができたとか。 とまあ、平安以前の女性の名前が現代にこれだけ伝わっていることが、少なくとも男尊女卑なる意識は大して強くなかったことの表れではないかと。
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- ithi
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perxxj さん、こんばんは。 過去、選挙権は男性のみで男性は徴兵義務と引き換えだったから女性に選挙権が無かったのは合理的で差別では無かったと意見を目にした事があります。 これはどうなのでしょうか? それはフランス革命やナポレオン時代のお話です。つまり、19世紀全般までのお話です。 20世紀に入ると、第一次世界大戦がはじまります。男たちは兵隊になってしまい不足を女性で補いました。その時の女性労働運動が参政権や様々な権利をほぼ男性と同等にまで高めたといわれます。
- Michael-M-Peter
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実はね、今言われている男尊女卑は江戸時代以前にはさほど強いものじゃなかったんですよ。むしろ男尊女卑が広まったのは幕末からです。更に偏見で歴史を語り始めたのは明治以降です。そして現代の感覚で、分かりもしない古代の人々の心情を勝手に解釈して批判しているものが如何に多いかという事です。 例えば日本は男系の天皇でつながっています。ご存知のように今ですら天皇家に娘が嫁いだというだけで横暴なふるまいをしているものがいる。美智子妃も実家は公害を撒き散らかしていたのに責任などロクに取っていませんし、小和田は東宮を我が家のように使い、挙句に外国で問題を起こしたので譲位を急ごうとしている。 天皇が男系だから女性が嫁ぐわけで別に男尊女卑だからではありません。男に男を嫁がせても子孫は望めませんからね。それに嫁となる比売の家の男はとんでもなく努力して地位を得ているわけです、平民では嫁げませんでしたから。 戦国時代に他家に政略結婚で嫁がされたのもやはり女には女の戦いがありました。男だけのものじゃない。男尊女卑というのならそれは信長と秀吉と家康が元凶でしょうね、それくらいですよ。三成なども嫁ぎ先を守るために謀反を起こし滅びた。元々嫁がせるのは安泰を願ってのことです。それは入り婿でも養子でも同じ。家光の弟は江に殺されるのを避けるために地方に出された。このように過去の歴史ではことさらの様に男尊女卑を説いています。一方で坂本龍馬などは3人も許嫁を持っていても一言も批判はされません。 江戸時代、これまでは男からしか離婚できないとされてきましたが、最近の研究では、確かに形式はそうですが半分以上が町年寄りなどより男が書かされていたことが明らかになっています。 さらに言えば売春行為も公然になっていて知らぬは亭主ばかりなりってことになっていたそうだし、寺では小坊主が春を売ってもいました。要するに町が子を育てるという事を実践していたんですね。 また花魁などが死んだら投げ込み寺に・・とありますが個人墓が建てられ始めたのが江戸中期、それでも単身江戸に出てきているものが多かったので男だって死ねば寺に共同で葬られるのがせいぜいです。それに出世すれば女郎も花魁になり武家でも一目置く存在になるわけです。数少ないと言っても頂点はいつの世もわずかのものしか登れません。 一方で静養に目を向けてみましょう。いわゆるレディーファーストですね。 実はこれ、女性を先に進ませて男の身の安全を確認するためのものだったってご存知ですか?日本では男が先に行く。これは子孫を残せる女性を守るための手段です。そう考えると西洋と日本のどちらが女性を大切にしていたのかが分からなくなりませんか。 西洋で男尊女卑がなくなり、女性を守るためのレディーファーストになったのは多分船旅ができるようになってからではないですかね。
- ithi
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perxxj さん、こんばんは。 平成時代以前の男尊女卑はどういったものが挙げられますか? また男尊女卑は合理的で差別ではなかったんですか? 会社の中で女性が総合職という管理職候補生になれなかったのを男女雇用機会均等法で総合職につけられるようになった。欧米だって、20世紀になってから、選挙権が認められたり、大学への入学が認められました。でもまだ男尊女卑の考えは70年代まではそうだったんですが、日本でも80年代半ばにやっとこんな法律ができました。男尊女卑は合理的で差別ではなかったというのは違うと思います。
- fujic-1990
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> 平成時代以前の男尊女卑はどういったものが挙げられますか? 例えば、富士山その他の霊峰には女性が登ってはいけない、船が沈没するから女を船乗りに採用してはいけない、とか。 そのほかにも、例えば女性は家を相続できない(男児だけが家を継げる)などと言われてきましたが、今年のNHK大河を見れば分かる通り、必ずしもそうではないですし、女性を戦闘の場に出さない仕組みだから女尊男卑だと言えなくもナイです。 あるいは、天皇位も「男系」の子が継ぐことになっていますので、男尊女卑に数える人もいますが、逆に女性には自分の子孫を天皇にするチャンスがあるのに、男性はそのチャンスがないのだから、女尊男卑だと言えなくもナイです。 見方の違いで、難しいところですよね。 > 男尊女卑は合理的で差別ではなかったんですか? 「で」があるので、この文は難しいですが、A・Bどちらに近い意味でしょうか。 (A)男尊女卑は合理的で、差別ではなかったんですか? (回答)いいえ。差別です。男尊女卑思想に合理性はありません。 (B)男尊女卑は合理的差別ではなかったんですか? (回答)はい。男尊女卑は合理的差別ではありません。男女の取り扱いの違いに合理性があれば、それは差別ではない(区別である)と考えられています。 「男尊女卑」つまり「男性は尊く、女性は卑しい」という「思い」ダケで男女の扱いを変えたら、差別ですね。合理的な取り扱い差は、男尊女卑ではありません。 例えば、欧米のように「男女は平等であるから」という理由で夫婦別姓にするなら、合理的な姓の区別であり、男尊女卑ではありません。 が、韓国・北朝鮮のように、「他姓の女ごときに、栄誉アル我が一族の姓を名乗らせるわけにいかない」という理由で夫婦別姓にしていたら、それは合理性を欠き、男尊女卑となります。
- tzd78886
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何をもって男尊女卑と判断するかは時代背景や文化によっても違いますから一概には言えません。
補足
回答ありがとうございます。 過去、選挙権は男性のみで男性は徴兵義務と引き換えだったから女性に選挙権が無かったのは合理的で差別では無かったと意見を目にした事があります。 これはどうなのでしょうか?