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大魔神の暴走に疑問

 「大魔神」三部作の第一作「大魔神」では、武神像から変身した大魔神は、自分が仕えていた城主一家を謀反で陥れ、新たな城主に居座っていた左馬之助に天誅を下します。  と、悪役を罰したそこまではいいのですが。  大魔神は、その後、里の方に向かい、あろうことか、救出された城主の息子の懇請も聞き入れず、逃げ遅れた里の者を投げ飛ばしてしまいます(生涯を失わせたかどうかは不明ですが、相当な悲鳴です)。  第二作、第三作では「弱者の味方」「救いの神」として描かれている部分が多いことを考えると、第一作でのこの乱暴ぶり、「魔の神」というタイトルそのままの荒々しさには、どうしても違和感を感じてしまいます。  第一作と、第二、第三作とでは、ストーリー自体は全く関連していませんし、監督も違いますが、それにしても大魔神の変貌ぶりが大きすぎるのが疑問です。大魔神の性格(?)の設定が異なるのでしょうか?  「こういうことも考えられますよ」という想像でも構いませんので、ヒントや情報をお願いします。

質問者が選んだベストアンサー

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  • ujikun
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回答No.4

 質問に対する答ではありませんが、私も一言。「大魔神」は私の少年時代、最も好きだった映画の一つで、中でも実は一作目が一番のお気に入りだったりします。  その理由はまさに大魔神が単純な正義の味方などではなく、タイトル通り「魔神」的な活躍をしてくれるからの一言に尽きます。  当時「大魔神」に限らず、特撮ものは必ずしも子ども向けに作られたとは限りませんでした。「ゴジラ」もそうですし、「大魔神」と同じ大映でシリーズになった「ガメラ」も2作目あたりまではそうです。だから基本的に子どものキャラクターなどは出てこないのですが、蓋を開けてみたら子どもがわっと飛びついたわけですね。  そこでどの会社も特撮ものは子ども向けに狙いを定めた方が受ける、結果的に子どもだけでなく両親を含めた家族客を呼び込めると踏んで、特撮もの=怪獣ものと変化していき、ヒーロー怪獣みたいなキャラが次々と生み出されていったわけです。  それでいけば最初の大魔神は完全に大人の客を狙っていた作品です。だからけっこう残酷な場面も出てくるし、誰かも書かれていたように「荒ぶる神」の凄まじさを表現していたと思います。実際、悪領主について城を守る兵士だって、仕事だからやってるわけであって、立場的には支配される側の民衆とそんなに隔たりはないはずですもんね。  だから野に放たれた魔神は、悪領主を殺してもその怒りは収まらず、結果的に魔神を鎮めるのは高田美和の涙だったりします。その直前、自分の足に取り付いた高田美和を魔神は踏み殺そうとするのですが、あれは言うなれば荒れた海を収めるために処女が海に飛び込んだという、人身御供と同じ形式を踏んでいるのでしょう。  2作目以降はそういう世間の潮流を受けて大魔神も優しくなっていき、3作目などは完全に子ども向けの話になっていますが、それでも2、3作目ともに己の死を賭けて魔神の怒りを鎮める役割のキャラが出ていたはずです。この作品がたとえばゴジラに子どもができたり、シェーをしたりするというような、とにかく時代(子ども)に迎合するような路線を突っ走ったのに対し、一線を画していたのはそういう部分だったかもしれません。おかげで短命にも終わったわけですが(T.T)

heatpump
質問者

お礼

 ありがとうございます。  「興味を持った観客の年齢層を配慮して、作り手側がキャラ設定を変更した」説ですね。当時の特撮映画事情もふんだんに説明して頂き、興味深く拝読しました。 >まさに大魔神が単純な正義の味方などではなく、  大人になってから再観賞し、私も「単純な勧善懲悪ものではない」と感じました。 >それでいけば最初の大魔神は完全に大人の客を狙っていた作品です。 >だからけっこう残酷な場面も出てくるし、  はい。大魔神が、自分の額に刺さった釘で左馬之助を磔にしたシーンは、子供にはちょっと見せたくないですね。私は見てしまいましたけれど。(笑) >3作目などは完全に子ども向けの話になっていますが、  そうですね。少年達が大活躍でしたから。それでも、金太が激流に飲み込まれて行方不明になったりと、悲しいシーンもあることはありますが・・・。父親となった今、身内を心配して掟を破ってまで様子を調べに行こうと決心した子供が命を落とす(?)シーンを見るのは、つらいものがあります。(苦笑)  大作だって、兄ちゃんに会えませんでしたし。 >2、3作目ともに己の死を賭けて魔神の怒りを鎮める役割のキャラが出ていたはずです。  2作目は早百合、3作目は鶴吉ですね。確かに、単純な「最後に正義が必ず勝つ」ではなく、「人を想う、清らかな心」がキーになっている作品であると私も思います。  ちなみに、私は、第二作「怒る」が最も好きです。(笑)

その他の回答 (4)

  • memoko
  • ベストアンサー率23% (453/1905)
回答No.5

悪魔に粗相してもバチはあたりませんが、神さまに粗相すると神罰がくだります。 なにかと神さまは作法がムズカシイです。 そのため、「さわらぬ神にたたりなし」という言葉があるくらいです。 一作めの「いったん怒ったら敵も味方もなく暴れ回る」のがもしかしたら基本設定で、それに対して「ついていけない」「理解できない」という意見が出たのかもしれませんね。 憶測ですが、それで2作目以降の方向性が変わったかもしれません。

heatpump
質問者

お礼

 ありがとうございます。  「世論に押されて、キャラ変更を余儀なくされた」説ですね。 >「いったん怒ったら敵も味方もなく暴れ回る」のがもしかしたら基本設定  そう考えるのが分かり易いですね。  実は、私は、大人になってレンタルビデオ屋で借りたのですが、第一作がたまたま貸し出し中だったので、第二作「怒る」→第三作「逆襲」→第一作の順で見たのです。ですから、「第二作、第三作では、どちらかといえば善玉なのに、第一作では何故・・・」と思い込んでしまいました。(笑)  そして、この質問をするまで、「はじめに第一作ありき」ということに全く頭が回りませんでした。(笑) 皆様にそのことを気付かせて頂き、感謝します。

  • tonamoni
  • ベストアンサー率20% (91/434)
回答No.3

日本を始めとする多神教の文化においては、 一神教の神=善という絶対的な体系的な価値観ではなく、「荒ぶる神」としての善悪を超えた圧倒的な力としての神の存在があります。 あらぶる神は力による裁定を下すときには善も悪もなく半分は殺し、その反面で救うような両義性を持つなかでその神性を発現しています。 これは自然現象に対する畏れとそこから得られる恩恵と符号しています。 土俗信仰的な神には絶対的な救いよりも、このような善悪を超越した圧倒的な力を崇拝する傾向にあるのではないでしょうか。 大魔神もまた「荒ぶる神」として描かれ、いさかう人間たちに懲罰を加えるかのように暴れるのでしょう。 弱者の味方というのも人間社会のなかでの基準であって、大魔神の前には人間などみな弱者なのではないでしょうか。

heatpump
質問者

お礼

 ありがとうございます。  「大魔神が元々荒ぶる神であることを考慮すると、乱暴なのも頷ける」説ですね。 >自然現象に対する畏れとそこから得られる恩恵と符号しています。  う~む、確かに。第一作では「火」、第二作では「水」、第三作では「雪」。特に、第三作「逆襲」の冒頭では、大吹雪の中で大魔神が暴れ狂っていたシーンがあったように記憶しています。 >大魔神もまた「荒ぶる神」として描かれ、いさかう人間たちに懲罰を加えるかのように暴れるのでしょう。  第一作では、まさしくその象徴のように思えます。  第三作では、うってかわって少年達を守り救うかのように行動しますが、他のご回答にあるように、第一作は大人、第三作は子供を対象にしたという事情もあるのかも知れませんね。

  • runnext
  • ベストアンサー率38% (866/2245)
回答No.2

まったく回答になってはいませんが続き物の作品というのは悪役で出てきても自作移行一転して正義側になりますよね。 ゴジラも初めは悪役でしたが移行は正義の味方と言えるか分かりませんが地球を守る側になったり外国でもターミネーターも正義側になりますよね。 大魔神は元々は悪の神様じゃあないですよね? 守護神と言うか守ってくれる神様のはずです。 主君の恨みを晴らす為(?)に怒り暴走してしまったと・・・ 神様は怒らせてはいけませんよと言う戒めでしょうかね。 自作以降はやはり怖いというイメージより「守り」と言うイメージを優先したのではないでしょうか? 実際悪から寝返り一転正義になるというストーリーはいまだに使われている手法ですよね。

heatpump
質問者

お礼

 ありがとうございます。  「悪役が正義に目覚めた」説ですね。 >大魔神は元々は悪の神様じゃあないですよね?  そこがですね、私も知りたいんですよ。(笑)  ただ、第一作では、確か「武神によって岩に封じ込められた魔神」という設定だったと思います。あの巫女さんの仕事は、魔神を封じ込めておくことだった・・・と思いますが・・・自信がありません。(苦笑) >神様は怒らせてはいけませんよと言う戒めでしょうかね。  私個人は、「神はこの世に本当に存在するのか!?」という庶民の悲痛な叫びと、その答えを絶妙にマッチングさせた見事なエンターテイメントだと勝手に思っています。(笑)

  • kuma56
  • ベストアンサー率31% (1423/4528)
回答No.1

全くの推測ですが・・・ ゴジラもガメラも最初は、人間界を恐怖に陥れる怪獣でした。 ストーリー的にも、困難に直面した人類が協力して、化学の力で怪獣をやっつける・・・みたいな感じでした。 その後の続編になると、人類の味方をして悪役怪獣をやっつけたりしました。 (ゴジは時々悪役もやってたけど・・・) そうすると、大魔神だけが特に変わった設定だとも思えません。 最初の登場で、キャラクターの力の強さを印象付けるために"悪役デビュー"なのかもしれません。 困難には人類で協力して立ち向かったり(ゴジ・ガメ)、純粋な気持ちで祈る(魔)など、ちょっぴり勧善懲悪のメッセージがこめられていたのかもしれません。 ひょっとすると、当時の時代背景もなにか関連していたのかもしれません。

heatpump
質問者

お礼

 ありがとうございます。  「性格は個々の作品で独立していて、作品同士での関連性はない」説ですね。言われてみれば、「あっ! そうか!!」です。(笑) >最初の登場で、キャラクターの力の強さを印象付けるために"悪役デビュー"なのかもしれません。  幾つのときだったか、小学校低学年だったとは思いますが、テレビで放送されていたのを偶然に観た記憶があります。そのときは、仰るように、「完全無敵の恐怖の存在」という強烈な印象を受けました。  でも、その当時は、「恐怖の存在」というイメージの方がかなり大きかったですね。  後のご回答にあるように、そもそもは子供向けの作品ではなかったのでしょうが、子供だった私には、「恩義を忘れて謀反を起こすような悪人には、必ずその報いが訪れる」ではなく、「眠っている神を起こすと、恐い目に遭う」という訳の分からない教訓が残ってしまいました。(笑)

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