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今は亡き親友が忘れられず誰に向かって思いをぶつけて
3年前の年初め頃に大切な友人を亡くしました。その時はまだ自分も10代でその友人と毎日のように遊んでいました。毎晩毎晩夜中遅くまで遊んでいて帰り途中で別々の道に別れて帰るような感じでしたがその日珍しく遠回りだけど一緒に帰らないかと誘われたのですが自分はとても眠たかったので断りました。翌朝になりある1本の着信で起きました。警察からでした。当時はやんちゃでしたので何か悪さでもしたのかと不安になり恐る恐る電話に出たのですが思いもよらない報告でした。それは友人が明朝に事故で亡くなったという電話でした。自分と別れて30分ぐらいの出来事みたいです。その日から何か自分の心にぽっかり穴が空いてしまった気分で自分が自分でないようです。あの時一緒に帰っていればとか朝方まで一緒に話していればとか後悔ばかりで今まで話した馬鹿話や夢や沢山の思い出が鮮明に思い浮かびます。誰かにこの話をしたら楽になるとか言われたんですが誰かに伝えたところでどうにもならないし言ったところでなんなの?って思われるのも嫌でここで同じような境遇の人がいるのを知り投稿させていただきました。3年たった今ですが時間が解決するという感じでもなく自分の住む環境を変えた所ですがなんともしっくりきません。親に頼るって年でもないですし、中学を卒業したくらいで家もでてずっと連絡もとっていないので何をどうしたらいいのか何を目指せばいいのかやりたい事は決まっているのですが脱力しかないです。やる気が起きません。 長々とした文章になり伝わりにくい部分もあると思いますが沢山の意見及び解決策をお願い致します。
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- zabusakura
- ベストアンサー率14% (2427/16191)
私も、もう10年前になりますが、親友を病気で、あっという間に亡くしました。 彼女のお父さんが病気で、その看病や自身の離婚の話でバタバタしている間に、自分の 病気に気付かず、あっと言う間でした。 県外に嫁いだ友人も、お見舞いに行く予定にしていましたが、結局その日まで持ちません でした。 その2か月後、知り合いのお子さんが事故で亡くなりました。 もうショックで毎日、泣いていました。いまだに涙が出てきます。 夫も彼女とは友達だったので、気持ちを誰かと共有すること、お墓詣りに行くこと、 彼女は離婚の話し合い中だったのですが結局、離婚せず夫方の、お墓に入ったので、ちゃんと 供養されてるのか心配で夫実家の、お寺の住職さんに話を聞いてもらって、お経をあげて 頂いたら、随分、気持ちが楽になりました。 共通の友達とかは、いらっしゃらないのでしょうか?同じように大切な方を亡くされた方と 話すことは、いいと思います。 あとは、泣きたい時は泣けばいいと思います。 何かに忙しく没頭している方が、いいと思います。 御家族と関係が悪くないなら帰って話を聞いてもらえば、いいと思います。何歳でも親に とって子供は子供です。 親友からは1度、そのお子さんからは何度かメッセージが、あって(波長が合うようです) そういうのも救われました。 目の前で、まだ10歳ほどのお子さんを事故で亡くされても、頑張られてる方もいます。 気持ちを誰かと共有して事故現場ではなく、お墓や、お仏壇で手を合わせてあげてください。 彼(でいいのかな?)の、御家族と話すのも、いいかもしれません。
相手の願いを叶えられる位置にいたのに、僅かに届かず 逃してしまった機会・・・。 結果の変化については可能性の域を出ないとはいえ 辛いですよね。 実は私も 8月下旬に似たようなことがあって、落ち込んでいました。 暗に将来的に決めていた約束を、私は果たせなかったのです。 まさかそんなに早く旅立ってしまうとは思わず・・。 周囲に話しても、当事者ではない以上 私の感情に付き合える余裕の人はいなかったのです。 ただ一人、上手に付き合ってくれそうな人も、 その時は仕事が忙しく、タイミングが悪くて話せなかった。 結果、私はどうして立ち直ったかと言いますと 私の家の宗派ですが 9月のお彼岸に、お寺でお塔婆供養をしたのです。 日蓮正宗なので毎日、家で読経と追善供養はしていますが お盆やお彼岸にはお寺へ行き、故人のお塔婆を立ててもらい お寺で住職さんと一緒に読経して、故人のお塔婆の前で御焼香。 故人の冥福を祈ります。 私の場合は、亡くなられたのが8月下旬で 彼女の御主人からSNSで知らせを受けたのが9月に入ってからでした。 色々な思いを抱えながらも、ひとまず お彼岸で塔婆供養をしたところ、スッキリしました。 相手の宗派がわからない場合や 私の友人のように、相手が寺院による葬儀を行わない宗派(創価学会だった凹)の場合は、戒名がわかりませんから、お塔婆を立てる時(お寺に申し込む時)は、俗名でも良いのです。 次のお彼岸(春のお彼岸)には時間がありますから 御友人のお墓参りか、命日にお寺でお塔婆を立ててあげると 残された私たちも、気持ちの上で落ち着きますよ。 大丈夫です。 今頃は質問者様の御友人も、空の彼方でゆっくり休んでいるか やり残した課題のために、早々に転生しているかもしれませんよ? 前世の記憶などの本を読むと、時折、そんな内容も出てきます。 個人差のようですが、あまり早く他界すると あの世で「そんなはずじゃなかった! もうちょい、やることあったじゃん!?」と自覚したり、何者かに言われたりして、転生が早くなる事もあるようです。 冥福と共に、来世の幸せを祈ってあげましょう☆ 未来志向が、質問者さん自身を救います。また、それが故人にとっても為になります。 幸せに。どうか、お大事に・・☆
- bowowow3
- ベストアンサー率43% (29/67)
私も同じような経験があります。 しかし、たどり着いた答えは 多分あなたもうすうす感づいておられると思いますが、 いつまでその事を言い訳にして自分のふがいなさをごまかしているのか? と言う事です。 辛いのはわかります。 でもその友人が今のあなたを見ていたとしたらどう思うでしょう? 逆にあなたが亡くなってずっとぐずっている友人を天国から見ていたらどう思うでしょうか? ショックというのはなかなかぬぐい去れません。 でもそれは自分の弱さを回りにひけらかしているだけに過ぎないと思うのです。 多少無理矢理でも力強く一歩ずつ歩き出す必要があるのではないですか? ここが頑張り時なのではないですか? 正直に言うと、へこたれている時には誰も助けてはくれません。 自分自身は自分で奮い立つしかありません。 あなたが頑張ればきっとそのがんばりを誰かが見てくれてます。 頑張っている人には助けてくれる人がいっぱい集まります。 そう信じてその友人の分も強く生きて欲しいです。 生きていればいい事も悪い事もあります。 気持ちの持ち方次第でいつまでも強く生きて行くほうが、 だらだらへこたれてるより必ずいい人生になります。 あなたの悩みや苦悩など、 地球レベルで考えたらどうってこと無いです。 明日も生きられるかどうかわからない人は世界中にごまんといます。 病気だけでなく、飢餓や紛争、災害など、 まったく本人に関係ない災いで苦しむ人たちが山の様にいます。 あなたは悩めるだけ恵まれています。 明日からすっぱりと頭を切り替えて楽しい人生をおくり、 友達の霊前に花を手向ける事もできます。 思い出に浸る事も出来ます。 笑顔で日々を過ごす事だって出来るはずです。 頑張ってください。
- SPS700
- ベストアンサー率46% (15297/33016)
僕も「竹馬の友」みたいなのがいたのですが、何年か前、手紙の返事がお嬢さんから来て「父は亡くなりました」との知らせに、ぽっかりとどこかに穴の開いた思いでした。 思い出したのは、蓮如上人の「我やさき、人やさき、きょうともしらず、あすともしらず、おくれさきだつ人は、もとのしずく、すえの露よりもしげしといえり」の言葉でした。