エホバの証人は 神を信じているか?
表題のとおり 特定の宗派のことがらについて問うものです。
その問いを ヨハネ福音の解釈をとおしておこなおうとします。
次のくだりの解釈を示してください。特に《人間の意志によってでもなく》と《神によって生まれた》とに焦点を当てています。
▼ (ヨハネによる福音書 1:1~18 新共同訳) ~~~~~
http://www.bible.or.jp/read/titlechapter.html
11: 言は、自分の民のところへ来たが、民は受け入れなかった。
12: しかし、言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた。
13: この人々は、血によってではなく、肉の欲によってではなく、人の欲によってでもなく、神によって生まれたのである。
△(新世界訳=エホバの証人の聖書) ~~~~
http://www.jw.org/ja/%E5%87%BA%E7%89%88%E7%89%A9/%E8%81%96%E6%9B%B8/nwt/%E5%90%84%E6%9B%B8/%E3%83%A8%E3%83%8F%E3%83%8D/1/
11: 彼は自分のところに来たのに,その民は彼を迎え入れなかった。
12: しかし,彼を迎えた者,そうした者たちすべてに対しては,神の子供となる権限を与えたのである。その者たちが,彼の名に信仰を働かせていたからである。
13: 彼らは,血から,肉的な意志から,また人の意志から生まれたのではなく,神から[生まれた]のである。
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すなわち:
▼ (ヨハネ福音 1:13) ~~~~~~~~~~~
▽ (1:13)
http://www.blueletterbible.org/Bible.cfm?b=Jhn&c=1&t=KJV#s=t_conc_998013
οἳ οὐκ ἐξ αἱμάτων οὐδὲ ἐκ θελήματος σαρκὸς οὐδὲ ἐκ θελήματος ἀνδρὸς ἀλλ᾽ ἐκ θεοῦ ἐγεννήθησαν
▽(KJV 1:13) Which were born, not of blood, nor of the will of the flesh, nor of the will of man, but of God.
△(新世界訳) 彼らは,血から,肉的な意志から,また人の意志から生まれたのではなく,神から[生まれた]のである。
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ところが この《人間の意志からではなく 神によって生まれた》というくだりは 《感性や理性ではなく・つまりは感じたり考えたりすることによるのではなく 信じること・すなわちその名を受け容れること》を言っており つまりは信仰のことだと考えられます。《思考に非ず》なのだと捉えられます。
しかるに エホバの証人の側では 《信じる》をたとえば次のように用いています。
△ (エホバの証人はイエスを信じていますか) ~~~~
http://www.jw.org/ja/%E3%82%A8%E3%83%9B%E3%83%90%E3%81%AE%E8%A8%BC%E4%BA%BA/%E3%82%88%E3%81%8F%E3%81%82%E3%82%8B%E8%B3%AA%E5%95%8F/%E3%82%A4%E3%82%A8%E3%82%B9%E3%82%92%E4%BF%A1%E3%81%98%E3%82%8B/
はい,信じています。
イエスは,「わたしは道であり,真理であり,命です。わたしを通してでなければ,だれひとり父のもとに来ることはありません」と述べました。(ヨハネ 14:6)
わたしたちは,イエスが天から地上に来て,完全な人間としての命を贖い(あがない)の犠牲として差し出してくださった,という信仰を抱いています。(マタイ 20:28)
イエスの死と復活により,イエスに信仰を働かせる人は永遠の命を得られるようになりました。(ヨハネ 3:16)
わたしたちは,現在イエスが天で神の王国の王として統治しておられ,まもなく地球全体に平和をもたらすことも信じています。(啓示 11:15)
とはいえ,イエスが述べた「父はわたしより偉大な方」という言葉もそのとおりに受け止めています。(ヨハネ 14:28)
イエスが全能の神であるとは信じていないため,イエスを崇拝することはしません。
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☆ 端的に言って 問題とすべきは 次です。:
(あ)
△ わたしたちは,イエスが天から地上に来て,完全な人間としての命を贖い(あがない)の犠牲として差し出してくださった,という信仰を抱いています。(マタイ 20:28)
☆ これは あくまでもオシエです。信仰ではありません。そして 《天から地上に来た》というのは 経験事象になります。すなわち これはその名を受け容れる信仰ではなく オシエの内容を考えることです。この思考としてのオシエを理解し知ったという《人の意志から エホバの証人が生まれた》ことになります。そういうことにしかなりません。ヨハネ福音1:13とは 矛盾です。
(い)
△ イエスの死と復活により,イエスに信仰を働かせる人は永遠の命を得られるようになりました。
☆ すなわち《信仰を働かせる》のは 《人の意志》です。聖書の言っていることと矛盾しています。
(う)
△ わたしたちは,現在イエスが天で神の王国の王として統治しておられ,まもなく地球全体に平和をもたらすことも信じています。(啓示 11:15)
☆ こんなことは 経験世界を超えたこととしては 想像であり 経験世界のこととしてなら思考の対象として考えるべきことです。《信じる》とは何の関係もありません。
想像や思考をほどこすということは 《人の意志 または 肉的な意志》であり 決して《神から生まれた》と言えるようなことではありません。聖書とは 矛盾します。
さしづめ以上を問います。どうでしょう。
お礼
こんにちは 天皇陛下の死因については「血液の闇」という本を参考にした知識です。 もっともらしい本なので本当だろうと思っていますが 絶対唯一ではないと思います。もっと正しい情報があれば見たいです。 親鸞は肉食妻帯を実行して 人間に上下はないと教えています 善人なおもて、、、 の文も深い意味があるでしょうが圧倒的に心に響いてきます そんなところが好きです 高校生の時に読んで好きになりました その後とくに仏教を勉強したわけではないので 知識はありません 宗教に限らず組織が大きくなるとデメリットのほうが大きくなるようですね 親鸞のころは戒名とか葬儀代なんてなかったはずです だから現在の親鸞の末裔がそんなことをしているんなら 地獄に落ちていただきたいです 心の底から 死んだ人に対して 良いお葬式をあげたい と思う方だけ豪華にやればいいはずです 社長さんとか芸能人とかの裕福な人です その他の一般の とくに中流以下の人に対しては お坊さんが 「どうですか戒名に10万くらい出せますか 葬祭場も30万くらいかかりますよ 無理しないで5万円の戒名にしますか 借金などはありませんか 大丈夫ですか」 というふうに聞いてくるのが慈悲の心です その心なくして僧侶とはちゃんちゃらおかしいです お客の顔色を見て ふところぐあいさぐりながら打合せするのは 我々企業戦士のやることです またまた興奮してしまいました 回答者さまの宗派は 自分でできる範囲の出費を旨としている とのこと たいへんいいお話です 慈悲の心でこれからも我々を救ってください 我々も救われるように努力します なにか事があったっときに「これくらいならいいだとう」と勝手に判断すると仏様もキリストさまも悲しむはずです 知識をひろく集めて正しい判断をしていきたいです いろいろ書きましたが 要するに 「一般常識から大きく外れないで 思いやりの心をもって笑顔の絶えない家庭をつくりたい 周りの人とも仲良くお付き合いしたい そのための努力もします 生きていることに感謝もします それを邪魔する人がいたらその人は常識外のひとだから地獄に行ってください」 というのが私のスタンスです ごく一般的です