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バルセロナ

サグラダファミリアの空撮を見たとき、サグラダファミリアよりも、その周囲の街並みの統一性に驚きました。 全てのブロックが、正方形で、上から見ると「ロ」の字です(中庭風か?)、ロの字が、規則正しく並んでて、見事すぎます。屋根は全部オレンジでね。 どうして、こんなに美しく街を作る事が出来たのでしょう?。

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  • kifimi
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回答No.2

お礼コメントありがとうございました。 >日本にはない、ダイナミックな発想です。 >都市デザインにおいて、決定的に日本人は下手くそだと思うんですよね。 バルセロナの景観とはちょっと違うかもしれませんが、道路がまっすぐな区画で整備され、建物の区画も統一的で…というのは、日本で言えば、平城京とか平安京の建造時、それと、16世紀の豊臣秀吉による京都の都市改造、そして江戸の都市整備がそれに匹敵するのではないかと思います。 その後の大規模な都市改造の機会としては、戦後、焼け野原になった町を再整備するときだったでしょうが、敗戦によって計画的な都市改造ができなかった、という関係もあるかと思います。いま各地で都市中心部の再開発が行われていますが、遡ると、戦後の混乱期にぐちゃぐちゃになった区画の再整備が多く、戦後の混乱は影響が長引いていたんだなあと思ったりします。 これは私の想像であり、蛇足ですが、地形の問題もあると思うんですよね。日本はヨーロッパに比べると山や丘陵地帯が多く、すぐに川や坂にぶち当たります。東京も歩いてみれば坂だらけの町ですし、京都や大阪も、すぐに山にぶつかります。ある程度発展済みの都市をもっと拡張したくても、ヨーロッパで19世紀に行われたようなデザインでの都市拡張は難しかったのではないかなと想像します。 また、ヨーロッパでは、古い旧市街は城壁に囲まれていて、都市部と農村部がはっきり分かれていました。その城壁を壊して、都市部を農村部に拡張する、というのが19世紀の都市改造です。 それに比べると、日本には都市を囲む城壁というものがなく、都市と農村部は緩やかにつながっています。もしヨーロッパ式の都市拡張をやろうとしたら、既に存在している「都市と農村の中間」の町並みを破壊して再整備、ということになったでしょう。それをやろうとしたら、かなり強権的に、立ち退きとかやらないといけなかったのでは。

その他の回答 (1)

  • kifimi
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回答No.1

サグラダ・ファミリア周辺の統一された区画は、19世紀後半の大規模な都市整備によるものです。産業革命等による人口増加に対応するため、旧市街の城壁を取り払って都市を拡張して、まっすぐな大通りを整備し、碁盤の目状の区画を整備したのです。 イルデフォンソ・セルダという政治家による都市計画です。参考までに。 Wikipedia-イルデフォンソ・セルダ https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%AB%E3%83%87%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%B3%E3%82%BD%E3%83%BB%E3%82%BB%E3%83%AB%E3%83%80 同じバルセロナでも、ゴシック地区のあたりはいわゆる旧市街で、このあたりには19世紀以前のゴチャゴチャした路地が残っていますね。 ちなみに、バルセロナの他にも、ヨーロッパの主要都市では19世紀頃に人口増加に対応するために大胆な都市整備・都市拡張を行っていることが多く、例えば広場を中心として放射線状に延びる広い大通りや、碁盤の目状の区画が見られる都市は、その頃の都市整備によるものだと考えて良いです。

MONKEYMONKEY
質問者

お礼

ありがとうございます。 はー、凄い話ですね。 日本にはない、ダイナミックな発想です。 都市デザインにおいて、決定的に日本人は下手くそだと思うんですよね。

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