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死ねない理由
わたしは「おしえてgoo」では「哲学」のカテゴリーでよく質問をしています。名ばかり、形ばかりとは言え哲学科卒ですから(苦笑) そこで頻繁に目にする質問は「みなんさんの生きる意味はなんですか?」というものです。 そこで今回は逆に「何故,死ねないのか」ということについてご意見をお聞かせください。 また世の中の大半の人は「死ぬこと」を「悪」としていますがそれは何故でしょうか? 周りの人が悲しむから、親からもらった命だから等の一般論ではなく、 ユニークな意見をお聞かせください。
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||ω・) こんばんは。 御礼をありがとうございます。m(_ _*)m あの… 私のは、ユニークな回答を御希望という事で 出てきた回答なので。 倫理的理由だって、語ろうを思えばいくらでも出てきますょ。 極度の精神病でもない限り、 「死にたい」って感情は、「生きたい」っていう前向きな感情の表出だと言えますから。 これを語ればそりゃあ、色々出ますw でも、そういう ある意味オーソドックスな(?)回答はお望みではないと感じたので 誰にもわかる物理な回答となりました☆ 物理な回答も、程々に倫理を含んでいますょ。^^ 人の死は、1人だけの死ではなく。数多の細胞の死でもある。 なので自殺の場合、それは同時に他殺でもある。 私は身体的に難しい疾患を抱えていますから 体の反射に助けられることや 体の反射に痛めつけられることを、実感する機会が多いのです。 痛めつけられるのもまた、病状を勉強し、体内の変化を理解すれば通りがわかる。 意識本体が何を考えようと、感じようと、体内の細胞たちは必死に生きようとしてるんですね。 色んな経験を踏まえて、現実的に 「どんなに辛くても苦しくても、体自体は生きようと必死に機能している。自分は、主人である。自分の意識を1つと数えるなら、体内では、1人はみんなのために・みんなは1人の為にという世界が、綺麗に成り立っている」 ということを実感しています。 数多の細胞が主人(心臓・大脳・意識)を見捨てる事はないのに、 主人の意識が数多の細胞を裏切って道連れに死ぬ(=自殺を選ぶ)というのは、とんだ暴君の所業ですw 細胞は種類によって、体内での寿命が異なっていますが たとえ寿命が3日間の細胞であっても、精一杯 生きてるんです。 寿命をまっとうさせて、意識的な行動によって良い行いを重ねて 数多の細胞も、自意識も、ともに成仏させてあげたいですよね♪
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- qwe2010
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病気の痛みで、死んだ方が楽かな? 今、このビルの3階から飛び降りたら、楽になるのかな? と思ったことがありました。 ここで、飛び降りる事を、行動に移していたら、私は死んでいたでしょう。 でも、そうしなかった。 そこに、理由とか、意味とか、何もありませんでした。 お医者さんからも、死の宣告を受けましたが、 今も生きています。 何故死ねないのか、 私の答えは、死ぬ気がないから、死なないで生きているだけです。 私は、死ぬことを、悪とは思いません。 それを悪とする人が入るのなら、それは、周りにいた誰かに、教え込まれた、洗脳されただけと思います。
お礼
こんにちは。 生命体である人間が「苦しみ」「痛み」を避けようとするのはまったく当たり前のことだと思います。それを「生きようとする盲目的な意思」と呼んだ哲学者もいます。 一方で、「こころに深い悲しみがあるときに、身体は痛みを感じないものだ」というシェイクスピアの言葉にも頷いてしまいます。 >何故死ねないのか、 私の答えは、死ぬ気がないから、死なないで生きているだけです。 「死ぬ気がない」イコール「生きる意思がある」ということでしょうか? そう簡単には結びつきませんか? >私は、死ぬことを、悪とは思いません。 それを悪とする人が入るのなら、それは、周りにいた誰かに、教え込まれた、洗脳されただけと思います。 「悪」と見做される「死」とはこの場合自殺を指しますが、少なくともネット上では「悪」ではなく「自殺」=「はた迷惑」な行為として苦々しく思う人が多いようです。 宗教的立場から、また思想史の点から、自殺を否定する論は少なくありませんが、「はた迷惑だから」という理由でそれを否定した思想家が存在するのかどうかを知りたいと思います。 アンケートにも関わらずいつもの癖で長くなりました。(苦笑) ご回答をありがとうございます。
死ねない理由は簡単です。 「体が苦しいから。苦しむから。」 ただそれだけです。 楽な自殺の方法なんて、どこにもないからね。^^; 完全に息絶えるまで、とんでもなく苦しいはずです。 安楽死、なんていうのもあるけど 厳密には安楽ではない。 その理由は、細胞の感じる苦しみです。 自殺行為による栄養不足・酸素不足などで、細胞1つ1つが死の危機を感じる。 その多くの細胞の苦しみが、痛みとして脳に伝達されるんですね。 行動を制御する脳や感情が死を選択しても、体(大量の細胞の集まり)は確実に生きようとする。 だから、否応なしに自殺行為によって苦しむ訳です。 麻酔を大量に使っても、死ぬ痛み・苦しみは厳密には0ではないでしょう。 程度の差はあれ、苦しいんです。だから、死んじゃダメw 脳死しても、痛覚は残っている。 生前にドナー登録を希望していた患者が 脳死した場合の処置において お馬鹿な医者は、脳死者に麻酔もしないで臓器を取り出そうとして 大変な光景を目にします。 そして、慌てて麻酔を使い、臓器の摘出を行うのです。 そんな実例を繰り返したのちに、 「脳死患者の摘出にも、麻酔が必須」というマニュアルができたって話だ。 馬鹿にも程がある。 医者のくせに、人体を舐めてる。けしからん。 麻酔があれば万能って見えるかもしれないけど、厳密に言えば 苦痛は感じてるはずだ。 私たちの表面の意識は、脳を含めた 体を構成する数多の細胞の主人である事を意識して行動する事が肝要ですね。 ミトコンドリア1個だって、可愛いコですw 表層意識の勝手な事情で、数多の細胞を道連れに、死を選んではいけないのです。 ><; 確実に痛くて苦しいからね。
お礼
早速のご回答をありがとうございます。 h-poirotさんの「死なない理由」は倫理的なものというよりはもっと現実的な「苦痛」だということですね。 「苦痛」 現実にはやはりそれがいちばんの理由なのかなと思います
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お礼
こんばんは、h-poirotさん。 今回も十分にユニークな回答をいただきました。 >「死にたい」って感情は、「生きたい」っていう前向きな感情の表出だと言えますから。 これは正に仰るとおりですね。でも「死にたい」と「生きたい」が表裏一体のものだと考える人は多くないようです。 >意識本体が何を考えようと、感じようと、体内の細胞たちは必死に生きようとしてるんですね。 そうですね、爪も伸びるし髪も伸びるし心臓は鼓動を止めませんね。 >数多の細胞が主人(心臓・大脳・意識)を見捨てる事はないのに、 主人の意識が数多の細胞を裏切って道連れに死ぬ(=自殺を選ぶ)というのは、とんだ暴君の所業ですw >たとえ寿命が3日間の細胞であっても、精一杯 生きてるんです。 なるほど。実にユニークなご意見ですね。 とてもいいご意見を伺うことが出来ました。 再度のご投稿に感謝します。