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ハートで感じる
タイトルにある言葉は、元タレントの島田紳助さんがNSCで芸人見習いの若手たちに講義した時に使った言葉です。「バーで流れるピアノの演奏に(嘘でなく)本気で感動し涙を流せるような奴が売れる。ハートで感じられる奴だ。」こんな文脈だったと思います。 つまり彼は、周りの人を惹き付ける人というのは、感受性が強く、色んな物事に対して興味を持ちそこに潜り込む事の出来る人間だ、と言っています。そして、その感受性を努力して育てろと若手にアドバイスします。 このアドバイスは、芸人を目指していなくとも納得できるものだと思います。 そこで質問ですが 1.あなたは日常生活の中で、自分の感受性や物事に対する好奇心を意識して鍛える事がありますか? 2.鍛えている場合、どんな方法でやっているかお聞かせ頂けると嬉しいです。 3.紳助の話に意見や付け加えたい事があれば、何でもいいので書いていって下さい!
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- dottimiti
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>お金を稼ぐ事と感受性を強くしておく事は矛盾する、とdottimitiさんは言っいると思うのですが、どういう点でそれらは矛盾するのでしょうか? 芸能界で売れる・売れない と 感受性が強い・普通・鈍感 ということは別々のことです。 島田紳助さんが「感受性が強い人が売れる」と言いきっているのは、そこに意図はないにしても、作り出す笑いの中に倫理観を挟むことを一旦やめさせる効果があるんじゃないかなと思うのです。 笑いは、緊張と弛緩。緊張が弛緩したときに笑いが生まれます。マイク1本に芸人さんが2人。このほとんど何もないステージに素早く笑いを作り出すためには、大衆がもっている差別心を使うことです。 ステージの上に1本のマイク、マイクの向こうに芸人が2人。聴衆は「この2人の芸人が何か話すぞ!この人たちの言うことを聞いてやるぞ!」というモードですが、2人のうちの1人がおかしなことをします。聴衆は「なにか変なことが起きているぞ」と緊張します。そして、2人のうちもう1人の頭をはたかれるのをみて「変だと思ったこの感覚は大丈夫だった」と、緊張がゆるみ笑います。 でもこのスタイルの笑いは「おかしなことをする人(誰かを下にみること)」「頭をはたくこと(暴力)」を聴衆に許容させます。ある程度倫理観のある人はできないので、違う方向へ行くか、笑いの対象となるおかしなことをする人物を「偉い人」に置いて権威をこきおろしたりするでしょう。 ところが「感受性が強くてどんなことにも潜り込める人」はここに疑問を差し挟まないで笑いを作っていくことができると思います。
- sakura-333
- ベストアンサー率10% (952/8905)
1.ない。 3.感受性に限っては努力して育つものなのか?
お礼
回答ありがとうございます。
- dottimiti
- ベストアンサー率12% (286/2363)
1.2. 「『鈍感であること』のやめ方」を鍛えるということが必要かなと思っています。 本来、シンプルで大半の人がたいしたことないと思っているものでも感動しようと思えばできるのですが、目標を高くすることと相反すると思いました。 シンプルな感動に対して目をつぶって、豪華なもの・たくさんお金を払わないと手に入らないものを目指さないと目標が低くて生きていけないんだなと思ったんです。 つとめて鈍感にしている時期がありました。 でも、いろいろありまして、あらためてそうでなくてもいいやと思ったとき、切り替えの仕方に戸惑うようになりました。 3. 売れるために感受性を育てろって言わないといけない紳助さんって、ずいぶんと冷たい人なんだなと思いました。 紳助さんにとっても、感性に頼る人というのは扱いやすいんじゃないか?紳助さんの周りは、賢い人が尊敬されてキャスティングされるんじゃなくて、賢くない人感性の人が使いやすいからキャスティングされるという現場なのかなって思ってしまいました。
お礼
回答ありがとうございます。 お金を稼ぐ事と感受性を強くしておく事は矛盾する、とdottimitiさんは言っいると思うのですが、どういう点でそれらは矛盾するのでしょうか?
- eroero4649
- ベストアンサー率32% (11072/34514)
1 元々好奇心が強いタイプなので、意識して鍛えたことはありません。 3 「チキンライス」の作詞を命じられた松っちゃんがそれを書いて、槇原敬之さんに渡されたときに作詞家ではない芸人が書いた歌詞ですから槇原さんもちょっとヘラヘラしながら受け取ったのですが、一読したら涙をボロボロ流して「すごいいい歌詞。この歌詞に負けない曲を作ります」って言い出したとき、やっぱり芸術的才能がある人って感受性が豊かなんだなあと思いました。実際、チキンライスの歌詞はいい詩だと思います。
お礼
回答ありがとうございます。 チキンライス調べてみます。
お礼
ありがとうございます。 非常に納得のいくご意見です。 また、非常に参考になる考え方です。 頭のいい人というのは物事を多角的に捉えるんですね。 私は紳助の話を聞いてから、言葉というのは究極的には何らかの感情や意思を表現するための手段にすぎないのではないかと最近考えています。(もちろん、言葉がある事によって初めて漠然とした感情や事象を表現できるようになるという側面もありますが、日常生活の中ではやはり言葉は主に感情表現、意思表示のための手段だと言えると思います。) 紳助は、感情移入していない事象をうまく言葉を使おうとして人に説明するより、感情移入した事象を不恰好でもそのまま伝えた方が人には伝わると言います。 同じ話でも、整った言葉を使ってつまらなそうに話すのと、言葉は足りないが楽しそうに話すのでは、それらの言葉の「意味合い」「周囲に及ぼす効果」がかなり変わってきます。言われてみれば当たり前の話なんですが。 言葉というのはそのさらに奥にある感情の代替品のようなものにすぎず、誰かと誰かが言葉を交わしていたとしても、そこで実際に起きているのは感情の交換ではないでしょうか。 本題ですが、感情は言葉で表現しきれるものではないように思います。1つ目の理由は、人は自分の感情を正確に表現する能力を持ち合わせているとは限らないから。2つ目の理由。dottimitiさんの仰った倫理観という言葉を考えていて思いましたが、「お金持ちになりたい!強くなりたい!(倫理1)」「だらだらマイペースに楽しみたい!(倫理2)」この中間の漠然とした場所で揺れているのが感情なのであって、その漠然としたものを言葉が説明できるとは思えません。 お笑いを分析した緊張と弛緩という言葉は個人的にはしっくり来ていなくて、紳助の話を聞いた後では、「複数の倫理観の狭間にある感情」がお笑いの根本にはあるような気がします。ただの勘ですが。複数の倫理観を強く持ち合わせている人に、芸人に限らず、私たちは魅力を感じるのではないでしょうか。 いろいろ考えて書いていたら長くなってしまいました(笑)