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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:人を殺すゲームの害)

人を殺すゲームの害とは?

このQ&Aのポイント
  • 人を殺すゲームの影響について考える
  • 若年層に与える悪影響を注意すべき
  • 不条理な殺人を推奨するようなゲームが増えている

質問者が選んだベストアンサー

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  • moritaroh
  • ベストアンサー率56% (658/1172)
回答No.11

>私は以前からその種のゲームの規制が必要と考えてました。 >質問ですが、 >1、 規制が必要だ。 >2、 必要ない。 私は「1、 規制が必要だ。」と思います。 ですが、暴力や殺人などへの倫理観の教育をもう少し早めつつもっと深めるべきだと思います。 たとえば、小学校などの道徳倫理に関する教育は「生命」や「愛・友情」などを重視しますが、「死」や「憎悪」への理解や教育はほとんど行われません。 生命の誕生や尊さへの知識や理解はそれだけでは進まず、死の概念も丁寧に説明しないと十分な意味が伝わらないと考えます。それは愛や友情も一緒で、憎悪を遠ざけても愛や友情の大切さは十分には理解できません。 小中学校などでの道徳教育で「いじめ」も問題視されていますが、実際に教育の現場における優等生的な回答は大半が紋切り型の「いじめは心を傷つける暴力だからダメだ」を占めます。 これには笑いが止まりません。そのような優等生的回答を出す子供に「なぜ心を傷つけるのはダメなの?」と聞き返すと答えに窮してしまうのです。 しかし、一部のしっかりと考えている子供は「いじめってだいたいは自分と違うタイプの人を認められないから起きる」とか「仲間にはならない人を嫌がる気持ちがある」などを例に挙げ、『お互いの価値観の違いや人間性の違いを認められないことがいじめの発端で、他人との違いは自分の個性、個性を認めてもらえないことは悲しい』などと答えてくれます。 心を傷つけるのがダメなら、そもそも心を持たなければいいのです。 しかし、いじめを行う人の大半は、相手が嫌だと思ったり悲しいと感じる感情への反応が麻痺しています。 「いじめは心を傷つける暴力だからダメだ」と言うのは、結論、いじめられる側の心理だけが抽出された考えであり、いじめる側の心理には想像が働いていないのです。ですから、なんらかの理由でいじめる側が「心を持たない」ようにしていることを見逃してしまうのです。 質問者さまの挙げる類のゲームに私は興味がありませんが、それらは感情が働かない機械的な殺人を楽しむようなゲームではないか、と推測します。 そのようなものにもはやゲームとしての価値はありません。しかしゲームであるからこそ存在できるとも思います。 そのゲームの内容を現実の行動に移し替えてしまうかどうかは、ゲームの是非ではなく、ゲームに興じる以前の道徳倫理の問題だと思います。 要するに、ゲームを憎悪して罰してもしょうがないのです。 罰するべきは、架空の世界であるゲーム(それは小説や漫画やアニメも含め)で完結していればいいものを、現実へと移してしまう「個人」です。 そしてそのような「個人」を生み出してしまっている背景には、理由の説明もなく『不条理』に、暴力や憎悪をただ遠ざけようとしている社会道徳にあると思います。 ですから、倫理観や道徳観が備わるまでは、機械的に殺人を楽しむだけのゲームは規制すべきでしょう。 しかし大人になったら倫理観や道徳観が備わるのでしょうか? 「『誰でもいいから人を殺してみたい』だとか『通りがかりの見ず知らずの人を理由はないけど殺した』とか、そんな変な事件~犯人は多くが若い人」とおっしゃっていますが、それを仮定したとしても、痴情のもつれや金銭がらみなど「殺すほどの理由とは考えられない」些細な憎悪で殺人を犯す人は、若い人に限らないでしょう。 殺人事件の全体を見れば、はっきり言えば「理由が特定できない殺人」よりも「理由が特定できる(しかしそれは殺人を犯すほどの理由ではない)殺人」の方が圧倒的多数を占めるでしょう。 殺人ゲームを規制したとしても、殺人そのものの是非を丁寧に考えて幼少期に教育を施さないと、結果は変わりません。 むしろ殺人をただ日常から遠ざけて隠蔽してしまえば、「人を殺すことに興味が湧いた」などという理由で小・中学生や若者、それこそ高齢者に至るまでの老若男女が殺人を犯すかもしれません。 プレイヤーである自分が殺人者になれるゲームであろうが、ただ対岸の火事をながめるだけの殺人事件報道もテレビドラマの中の殺人も残酷なアニメや映画の殺人も、質としての違いはあれど、情報としての要素には何ら違いはありません。 質問者さまの言説は、ゲームの中での殺人や、無差別かつ理解不能な理由での殺人をダメ、としていますが、殺人事件の報道などは質の違いとして是認してしまうものだと思います。 これは、極論的には「殺人の是非」について「場合によっては是」としてしまっているのです。 要するにそれって、ゲームの中のみでの殺人であればOKよ、と考えて、殺戮ゲームを開発する側の意識と一緒ですよ。 先日起きた神奈川県相模原市の障害者施設での事件は、戦後最悪の大量殺傷事件、などと言われていますが、大量殺傷が含まれる猟奇的な事件の多くは「ゲームが生まれる」以前に集中し、犯行理由の多くは「倫理観の欠如」もしくは「偏った倫理観」で、その原因は教育の欠如でもあります。 しかし倫理教育さえ徹底していれば、そのような殺人が起きなかった、と言えます。 現在に至るまで、主に学校教育を中心に殺人が非であるとする教育を徹底的に行ってきましたが、それゆえに大量の無差別殺人は行われていなかったとも考えられます。 しかし、私は『臭いものに蓋』的に、ただ殺人を遠ざける倫理教育の仕方であったのではないか、と思います。ゆえに、殺人を架空の空間で楽しめるゲームや漫画が流行するのでしょう。 結論、個人の倫理観を鑑みて、殺人ゲームや殺戮ゲームは規制すべきでしょうけれど、根本的な倫理教育の行い方や社会道徳が変わらない限りは、殺人は今後も行われ続けていくでしょう。 ですから、ゲームを不可解な殺人の理由として規制することもまたナンセンスな発想だと思います。 なお、韓国のネットゲームは私はやったことないですが、ゲーム業界では90年代頃に、人件費の安さ(に反しての教育水準の高さ)から、ゲーム開発、特にグラフィック分野で韓国のスタッフが大量に起用されていました。今はマレーシアやベトナムなどにそれは移っていますが。 韓国のネットゲームに殺人ゲームが多いと仮定したとしても、そもそもそのゲームをつくるだけの技術や資金力を間接的に韓国に提供したのは、他でもない日本、またはアメリカなどです。ですから、仮に韓国のネットゲームを「殊に」と抽出して非難したところで仕方がありませんし、そもそも意味もありません。

jipin
質問者

お礼

ありがとうございます。

その他の回答 (12)

  • trytobe
  • ベストアンサー率36% (3457/9591)
回答No.2

そんな議論は、2005年のカリフォルニア州の規制の前から、20世紀からずっと言われてきた話です。 ゲーム 規制 暴力 議論 - Google 検索 https://www.google.co.jp/search?q=%E3%82%B2%E3%83%BC%E3%83%A0+%E8%A6%8F%E5%88%B6+%E6%9A%B4%E5%8A%9B+%E8%AD%B0%E8%AB%96 いよいよ規制が本格化? 4都県がゲーム規制を共同実施へ - 4Gamer.net http://www.4gamer.net/news/history/2006.01/20060113145654detail.html 平成25年度諸外国における有害環境への法規制及び非行防止対策等に関する実態調査研究報告書(HTML版) - 内閣府 http://www8.cao.go.jp/youth/kenkyu/hikou/h25/index.html 第2章 規制に対する世論 2.映画・ビデオ・コンピュータソフト等 http://www8.cao.go.jp/youth/kenkyu/hikou/h25/2_02.html ゲームが理由ならば若い人には限らないほど、これらのゲームが前世紀から存在している以上、 「ゲームのような行為を」「現実世界でやってしまう」という現実世界での振る舞いに対する自制について、精神医学的な検証と対策をするためにも、「ゲーム」が最大要因であるという先入観こそが、これらの犯罪の防止を遅らせている可能性も自覚すべきであろうと思います。規制してもいいけど、それだけじゃ防犯にならない、という意見です。

jipin
質問者

お礼

ありがとうございます。

  • asmasa
  • ベストアンサー率29% (18/62)
回答No.1

はいはい。規制が必要ですよね。 人間を殺すなんて、もってのほかです。 そうなんですよ。 だから、刑事ドラマなんて放送しちゃいけません。 殺人をテーマにした刑事ドラマなんて、殺人の方法まで解説してくれているんです。 民間の公共放送で、殺人のやり方を、説明しているんですよ。 その他、刑事ドラマなんかだと、泥棒のやり方、犯罪のやり方なんかを、ゲームのようにお金を取らない人にまで、ご親切に無料で教えているんです。 すごい国ですよねぇ。 なので、ゲームだけじゃなく、ドラマ、事件ドキュメント、ニュース報道などもすべて強い規制をかけるべきなんですよ! ゲームだけが悪影響なんてことは無いんです。 そういうことを教えるような内容を公共放送などで伝える方がよっぽど悪影響なんですよ。

jipin
質問者

お礼

「自分でするゲーム」と「TV画面で鑑賞する番組」とでは、雲泥の差がありますよ。 TVでいくら殺人シーンを見せても、自分で人を殺すわけではなく、他人が殺人しているのを眺めてるだけです。 だが殺人ゲームになると、殺人するのは当の本人なのです。 自分で行動を起こすか、ただ見ているだけか。そういう大きい違いがあるので、比較にはなり得ません。 どうですか? ちなみにTVや映画の残虐シーンは次第にソフトになってきてます。年齢制限かかるケースもありますね。お歳が分かりませんが、ずっと昔のTVや映画は今と比較にならないほどの残虐シーンがあったが、今ではそれらに規制がかかってます。

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