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水神社のお題目は、いつから?
地域には、水神さんと呼ばれている社があって、昭和の頃は、毎月年寄りが題目をあげていました。土砂崩れや水資源の安全を願って続けられてきたようです。近年は、後継者が居なくなり、そのお題目は、隔月になり、年に3回となりました。続けるべきかどうすべきか。話し合いがされましたが、このようなお題目は、日本全国、いつごろから行われているのでしょうか。私たちの地域の山の上の社は、大正か、戦前に建てらたようです。
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お題目をあげていた、という内容がよくわかりません。 毎月お年寄りが集まって礼拝されていたということでしょうか。 水神さんと呼ばれているお社と地域の山の上の社は同じものでしょうか。 ご質問の文章だけからしますと。幾つかの複合した経緯で毎月お年寄りが集まるようになったのかと思います。 このような形態の祠や社というのは日本全国いたるところに太古の昔からありました。 継承されているかいないかの違いだけです。 水神さんというのは水の神様です。 飲料水などを賄う泉や井戸などにも祀られています。 多くは水田の水源になっている湧水池に祀られています。 人が大勢集まることが出来る大きさの建物があるようですが、このような性格の建物は明治期以前は村落の共有財産でした。 現在もヒョットしたら土地を含めて市か村の資産として登録されていませんでしょうか。 この村落の共有財産である祠やお堂は神様を祀る目的以外に集会場として使われていました。 毎月集まる習慣があったようですが、これは労働に従事する必要がなくなったお年寄りの一種の娯楽として集まっておられたのでしょう。 お題目と言われているのがよく分かりませんが庚申講が開かれていた可能性があります。 庚申講というのは非常に古い習慣です。 古くは徹夜で神仏に祈る行事でしたが、神仏よりも飲食物を持ち寄って楽しむ会に変わりました。 このような種々の目的が複合化して毎月の集まりになっていたのではないかと思われます。 現在は、水田も減り(皆無?)水源を維持管理する必要もなくなり、結果として廃れてきたのかと思います。 続けるべきか否かは、むしろ続けることが出来る人がいるかいないかの問題でしょう。 古くから続く習慣を残したいと思われる方がいるかいないかの問題です。 話し合いの結果だからと言って、関心の無い人まで義務化して続ける意味はないかと思います。 山の上の社がご質問の水神さんと違うのであれば、産土神か鎮守神の可能性があります。 これも来歴は相当に古いでしょう。 蛇足 神社と一言でいいましても、土着の神様や本宮を持つ神様など非常に複雑です。 これに仏教や道教の影響も加わっていますので、単純には割り切れません。 水神様も龍や蛇、亀、鯉、石などである場合もあれば、弁天様のような架空の概念上の神様の場合もあります。 詳しくは、郷土史家と呼ばれる方が情報をお持ちかと思います。 最寄りの博物館や図書館に問い合わせれが地区に詳しい郷土史家の方と連絡は取れるかと思います
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No.2です。 補足を頂戴しました。 いささか差しで口がましいですが以下のようなことを考えてみました。 ばちがあたるかどうかというよりも、水神さんと山の上のお社を活用させる方向でお考えになられては如何でしょうか。 回数は減ったとは言え地域の方々が集まられるのと、話し合いまで持たれていることがヒントかと思います。 近年政府主導の形で地域おこしなどという運動が全国的に繰り広げられていますのも、地域の人達の絆を復活させようということです。 よく経済効果がうたわれますが、本末転倒です。 現在続いている熊本の地震や先の東日本大震災や鬼怒川の決壊などで威力を発揮したのが、地域の人達の繋がりです。 咄嗟の瞬間にお互いに声をかけあったか否かで生死を分けています。 その後の復旧の際にも最も心強かったのが地域の人達どうしの繋がりでした。 このような観点から、コミュニケーションの場として水神さんの集会場所を活用する手があるかと思います。 地域の非常食や非常用具などの集積場所を作られれば山の上のお社も有効な役割を担うことになるかと思います。 地域の消防団の倉庫というのが今でも残っているところが沢山あるかと思います。 水神さんと山の上のお社を合わせて年に一度お祭りを開催することも一つの手です。 お祭りを実施するには、地域の人達の協力が欠かせません。 準備作業などで自然に繋がりができてきます。 別に御神輿だのなんだのは必要ありません。 架設テントを張った売店程度で充分です。 水神さんに集まられておられたのも「結い」と呼ばれる習慣の名残りです。 田植えにせよ道普請にせよ、いずれも地域の人々の協力が欠かせませんでした。 日本全国いたるところにありました。 この「結い」の核となっていたのが地域の社でした。 この「結い」を継承復活させるということは民俗学的にも非常に重要な意味を持っています。
補足
ありがとうございます。地域には、八幡神社があり、毎年10月に、地域のお祭り、コミュニティの場となっています。以前は、氏神なので、氏子と呼ばれる人たちだけの祭事でしたが、25年ほど前から、祭典実行委員会を毎年発足させ、模擬店、子ども神輿、子ども相撲、ゲーム、カラオケ、福引など、100世帯ほどで楽しんでいます。こちらのお祭りも、50代の男性が中心で、年齢とともに活気を失いつつあります。水神さんは、5月に、新体制で、初めての祭事となりますのでどうなることやら。
- fujic-1990
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宗教での「題目」「御題目」というのは、日蓮宗で唱える「南無妙法蓮華経」の7字のことを言います。 水神様と言えば、水難や火災から守り、田や飲料の水を支配する神様です。当然、祀っているのはお寺ではなくて神社。 神社で(たぶん数珠を手に)日蓮宗のお題目を唱えるというのは不自然だと思いますが、「祝詞(のりと)」のことでしょうか? 水神様で「南無妙法蓮華経」を唱えているから不思議なのだ。だから質問しているのだとしたら、ごめんなさい。その謂われは知りません。 謂われはわかりませんが、日本全国で行われているということはないと思います。 祝詞のことなら、記録上は延喜式が最古とのことです。延喜式は西暦905年頃とりまとめを始めて、967年施行のようです。 しかし、天皇は神々にむかって祝詞をあげるのが仕事ですから、天皇制が始まったころから祝詞は上げられているのではないでしょうか。
補足
ありがとうございます。「祝詞」ということでいいと思いますが、神社と呼べる規模のものでもなく、一間のほこらです。地域は、70軒ぐらいですが、昭和の初期は、20軒ぐらいだったと思われます。そんな地域で、いつごろ始まったのだろう。お寺の制度も明治以降と思っています。古いものを継承したい考えと、新世代の人たちの個々の考えや宗教観の違いで、続ける必要はないという話し合いががあり、「昔から続いている古いもの」と言っても、実は新しい習慣なのではと思い質問しています。
補足
詳しくありがとうございます。山の上の社は小さなもので、戦前に建てられたもので、老朽化していますが、今後立て直すといったことには、ならないと思います。おっしゃるような、庚申講に近いものだったかもしれません。関心のない人に義務化するのはよくないですね。今年は、3回、やるとして続けられる人たちが続けるべきか、いっそやらないことにしたら、罰あたりなのかとも考えてしまいます。