- 締切済み
自分は冷たい人間なのでしょうか……
自分が冷たい人間ではないかと、とても不安です。 子どもの時から、薄々、そんなことを思っていました。 例えば、マッチ売りの少女やフランダースの犬の物語を聞いても、泣きませんでした。 誰かが困っていても、何というか、自分では心配しているつもりだけど、果たして本当に心の底から心配しているのか、分からないんです。感情が高ぶった時に感じる、胸の奥から何かがせり上がってくるような感覚や、気が付いたら眉間が動いている感覚etc。これらが無く、「大丈夫?」「これは大変ですよね」と言葉をかけて手助けをしても、何だか、表面上だけやっているような、お面を被っているような、良い人に見られたくてそうしているような、虚ろな感覚に陥るんです。 また、自分ではそんなつもりは無いのに、どうやら他人の目には、私は「自分本位な人間」に思われているようです。言われてみると、思い当たる節があります。集団で何か作業をしていても、自分が任された作業に没頭したり、何か共同で制作していたりしても自分の予定を優先したり。言い訳は決まって「〇〇が忙しい」「△△に集中していた」etcと、その場しのぎに聞こえる事ばかり述べています。でも、忙しいのも集中していたのも本当の事なんです。自分は普通の人よりキャパシティーが小さく、一度にあれもこれもできない性格です。だから、一つ一つこなしていかないと難しいのです。しかし、全てが終わった後になって振り返ってみると、他人の負担より、自分の負担になることばかりに優先順位を置いている気がしてならないんです。「客観的・合理的にに考えれば、自分の事を優先するべきではなかった」と落ち込みます。そうして「次はそうならないようにしよう!」と気持ちを持ち直します。しかし、同じようなことを繰り返します。自分は、冷たいだけではなく、反省もしない人間なのかもしれません。 「自分は冷たい人間だ」と本気で悩むきっかけは、友人の病気です。 私はその友人の事を本当に尊敬・信頼しています。しかし、それは「つもり」でしかなかったのではないか、と自問自答しています。 友人は、盲腸を悪化させて腸閉塞を引き起こしていました。私がそれを知ったのは、腸閉塞の手術も済んで、あとは退院のタイミングを待つだけの時でした。LINE等で「大丈夫?」「しばらく食事が大変だよね」といったやり取りをしていました。同居している母にこれらの事を告げると、「お見舞いに行った方が良いんじゃない?」と言われました。お見舞いに行こうにも、どの病院に入院しているのかわからないし、前もってどこか聞いて行くのは相手に申し訳なく思わせてしまうのではないか、自分は進路などの事を考えるのでいっぱいいっぱいであまり余裕がない、とウジウジ考えていたら、とうとう退院していまいました。母には「行けって言ったのに! 言った方がよかったのに!」と何度も言われました。 そして極めつけは、友人と同じ飲食店で働いている弟が、実家で友人の話をしたときでした。弟が「うちの姉ちゃんが、〇〇(友人の名前)ちゃんの退院祝いどうしようかな、て悩んでる話を〇〇ちゃんにしたら『あいつがそんなこと言うんだ(笑)』っていっててさ!」というような内容の話をしました。すると、母が「やっぱり行くべきだったよ。あんなに何回も『行った方が良いんじゃないか、行った方が良いんじゃないか』って言ったのに、何で行かなかったの?」と、怒っているわけではないけど、相手を咎めるような話し方で私に言ったんです。「あんたは入院したことないからわからないのかもしれないけどさ、病院にいるときってこっちがイヤだ、鬱陶しいて思うくらい誰かに来てほしいものなんだよ。それにね、自分が弱ってるときにそばに寄り添ってくれた人の事は忘れないよ。〇〇ちゃんのさっきの口ぶり(『あいつが~』のこと)だと、〇〇ちゃんはあんたの事、本当の友達だとは思ってないよ。あんたは自分中心主義すぎるんだよ。自分のことばっかりで他の人の事考えない。冷たい人間だよ。よく、サイコパスって人の言葉聞くけどさ、それってあんたにもいえる事だよ。いつまでもそんな甘ったれて冷たいままだと、友達無くすよ」といった内容を母に言われました。ある程度言ってから、少しキツ過ぎたと思ったのか「確かに、あんたの気持ちもわかるけど」と何かフォローの言葉をかけようとしてくれました。しかし、私は堪えきれずに「いいよ! あたしは冷たい人間だった! それだけだよ!」と言って、自分の部屋に引き上げました。すぐ隣の部屋にいた弟が「ごめん。笑い話のつもりだったのに、お母さんがあんなに過敏に反応するなんて」と謝ってきてくれましたが、「いいよ、謝らなくて! あたしが冷たい人間だったってだけ! あんたも災難だよね。こんなとんでもない姉さんを持ってさ! 一緒に外に出るのが恥ずかしいでしょ!」とヒステリックになってしまいました。 その友人に本当の友人に思われていない、という言葉に、心臓のあたりが冷えるような感覚がしました。そんな風に思われたくない、と思いました。 でも、見舞いにもいかないなんて、やっぱり私は人として持つべき「何か」が欠けているのかもしれない、と思いました。何より、一番傍で自分を見ている母にそのように言われるという事は、そういう事なのでしょう。 それならば、こんな心に血の通わない冷たい人間ならば、友人を名乗る資格なんてないとすら思えてきました。 それどころか、自分が夢を描くことも、自分の為に何か投資することも、まともに就職して働くことも、結婚して子供を産んで育てることも、ふさわしくない、馬鹿げている、と思うようになってきました。 私は冷たい人間なのでしょうか。 冷たい人間なら、この先どうすれば良いでしょうか。 暖かい人間になれるでしょうか。 生きている価値はあるのでしょうか。 母の言う通り甘ったれなのでしょう。 でも、どうかこの愚図に、何かアドバイスを下さい。 宜しくお願い致します。
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- timuly
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前もってどこの病院なのか訊くのは、訊かなければ分からないし、訊くべきだったんだと思います。でも、申し訳なく思わせてしまうのではないかというのは、あなたの温かい心遣いなのではないですか? 冷たい人間ではないのではないですか? お母さんは入院をした経験があったのでしょうね。 でもその経験がなければ、どう振る舞っていいか分からないのは仕方ないと思います。 退院祝いを持ってそのお友だちに会いに行って、お見舞いに行けなくてゴメンね、と素直に伝えれば、友情は続くと思いますよ。 お母さんにどんなトラウマがあるか知りませんが、その言葉だけであなたのことを友だちだと思ってないというふうには思えません。 最近思うんですが、人は経験したことしか共感できない。 マッチ売ったこともなければ、貧しくて身寄りもなく孤独に生きた経験もないのなら、泣けなくても仕方ない。泣ける人は、自分の経験のうちの何かに重ねて共感しているんだと思います。 あなたはたぶんまだ若いんだと思います。いろんな経験をして、欠けている部分はどんどん補っていけばいい。誰だってそうですよ。 大丈夫!真剣に悩んでここで相談していることは、あなたの温かい心がさせていることだと私は思います?︎
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