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時間はいつも足りないものでしょうか

物事を完璧にやろうとすると、無限の時間が必要なのだから、 物事を計画するときは、時間はいつも足りないものと考えるべきでしょうか。

みんなの回答

回答No.8

欲を満たそうと思うと時間が足りない事にぶつかります。 欲を捨てる事に成功すると、十分な時間がある事に気づきます。

  • mink6137
  • ベストアンサー率23% (595/2500)
回答No.7

マーフィーの法則というのがあります。 当初に計画した時間での完成度は90%、 残りの10%を仕上げるの同じだけの時間がかかる。 多くの開発現場でこのようなことを実感しています。

noname#225485
noname#225485
回答No.6

仕事の場合なら納期はほぼ絶対です。 その中で完璧を目指さなければなりません。 無限の時間があったら多分その計画は成されないでしょう。 多くの場合ケツが決まってるから頑張れるんです。

  • E-1077
  • ベストアンサー率25% (3258/12620)
回答No.5

完璧もない、無限もない。 よって時間が足りないということにはならない。 要するに要領が悪いだけ。出来る人は時間内に完璧に出来るようになってる。 テストがそうだし仕事もそうだし、限られた時間内でベストを尽くすことで、結果が得られるというなら「無限の時間が必要だ」というのは間違い。 時間は平等に流れているのだし。 完璧に対する定義づけは出来るだろうけれど、誰の目から見ても100%の完成度を求められても、世の中は時間が限られているとする方が、やりやすいと思う。 無限の時間が必要だとしておくなら、どこをもって完璧で完成したとするのか? それは計画そのものを見直す必要があると思う。 最初からそういう考えだと何も出来ない。

noname#235638
noname#235638
回答No.4

私たちはガウディじゃないので 時間を無条件に使えません。 そんな考えでは、給料をくれるところはありません。 生きてゆかれません。 時間内で計画することが、大事。 物事を完璧にやろうとすると、無限の時間が必要 ですが 無限の時間は、僕にはない。 なので 物事を計画するときは、限りある時間を意識するべき。

  • hue2011
  • ベストアンサー率38% (2801/7250)
回答No.3

完璧なんていうことばを平気で使うようでは、仕事ができないという宣言に等しいと思います。 どんな優秀な人間でも、今日の仕事はややましな出来だったと思う程度のことしか体験しません。 本日の仕事は完璧だったと思うとすれば、それは何かがおかしくなって、頭のヒューズがとんだ状態だと思います。 職人とか芸術家という人たちの仕事をみて驚き感動し、よくあんなことができると周辺が尊敬したとしても、その当人には「まだ足りない」「だめだ」という思いがあるのが普通です。 仕事は所詮仕事にすぎません。 ちゃんとなされていることが要求されることであり、完璧だなんていうものはもとめられません。 経験上いえることは、時間がやや足りないと感じたときが最高の成果を生むということです。 もう1日ほしかったとか1時間あればなあ、と思うときは、リミットに対しアクセルをかけて、しかしそこにピタリと止まれるようなブレーキさばきをして仕事を仕上げてます。 その、タイムリミットに対しておこなったさばき方が成果をきれいに仕上げているはずです。 時間が足りないと思っている以上、やり過ぎてはいません。 そういうことだと思います。 時間が無現に欲しいなんて発想するなら時間の使い方もわからないと言う意味です。 砂糖が無限にあったら完璧なケーキが作れるなどと思っている人間は救いようがないと私は思います。

回答No.2

>物事を完璧にやろうとすると・・・ この前提が間違っているので、「無限の時間が必要なのだから」も間違い。よって、「時間はいつも足りないものと考えるべきでしょうか?」という問い自体が成立しない。 そもそもが人が物事を達成する際に目指す完璧さは、絶対的なそれではなくて相対的なそれ。なぜなら、各個人は、時代の制約、個人としての制約から逃れることはおよそ不可能。だから、それぞれが到達した相対的な完璧というものは後世の者に乗り越えられるもんです。

  • trytobe
  • ベストアンサー率36% (3457/9591)
回答No.1

完成度を80%から100%に上げるのは、完成度を0%から80%に上げるよりも時間がかかるので、それなら別の仕事に一旦着手するほうが、同じ時間でより多くの項目をこなせますよ。 時間はあるだけ使ってしまう、のは、怠惰な人間には放置しておいても簡単に実現できますから、嘆いても仕方がないです。

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