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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:気持ちは分かる・・、そんな歴史的事件)

昭和の革命心!映画「動乱」の魅力と時代背景

このQ&Aのポイント
  • 映画「動乱」は、昭和恐慌や二・二六事件という歴史的な出来事を背景に、青年将校と元娼婦の恋愛を描いた作品です。
  • 高倉健さんと吉永小百合さんの共演は特筆すべきものであり、二人の魅力が引き立っています。
  • 二・二 六事件は、日本経済の閉塞状況や政治・軍事上の対立が背景にあり、青年将校たちの決起は社会の不条理に抗う一つの方法となりました。

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回答No.5

イソケンさんこんにちわw 先日映画「226」は観たのですが、もっと勉強しなきゃと思ってます。歴史は俯瞰で見ることと、それぞれの立場に立って追体験することと両方大事かなと思います。その結果何が正しいのかわけわかんなくなるんですけどw >特に世を憂う青年将校達の目に映った姿は、娘を売らねばならぬほどに窮した一般庶民特に農村に於ける荒廃、 リーマンショック後仕事が激減して精神的に追い詰められた私は、戦前戦中の日本人に思いを馳せました。姉や妹、娘を売らなくてすむなら兵隊でもなんでもなるし、家族の暮らしを守れるなら特攻隊にも志願すると。 実際大して窮地でもない私がそう思うのだから、当時の当事者たちの気持ちも少しは分かった気になります。 前回「ステージ~」の質問のときも書きましたが、結局人間は、与えられた環境の中でもがいて頑張るしかなく、その評価は歴史の後の判定にまかせるだけです。 ただおっしゃる通り、226事件の首謀者は賊軍とされながらも。その後政治にプレッシャーを与えるのに軍部が利用したのは皮肉な事です。 しかし、226でターゲットにされるもギリギリの所で一命を取り留めた鈴木貫太郎が後に総理になってギリギリの終戦を成し遂げる。これも不思議な運命を感じます。 さて、その終戦間際に起きた「宮城事件」を私は挙げさせていただきます。 「日本の一番長い日」の小説と新旧映画を観た程度で、畑中少佐たちの気持ちがわかるってほど勉強できてないのですが、陸軍としては「徹底抗戦」を叫び続けながら、一転して降伏を受け入れることは、軍事教育が芯から刷り込まれた若い将校には耐えがたい事だったのでしょうか。 私は何度か書いてますが、絶対国防衛圏を破られた時点で戦争をやめられれば大平洋戦争の犠牲者の多くが生き残る事ができたはずで、そこが悔やまれて仕方無いのですが、その時点での降伏が許されない当時の状況もわかります。 ですから、二発の原爆とソ連侵攻という最後の終戦チャンスにあって、宮城事件を起こした畑中少佐たちは歴史的にすごく危ない存在です。阿南大臣が話に乗ってたら完全に本土決戦になってたでしょう。 しかし、「本土決戦」が当時既定路線だったのも事実。もちろん口には出さずとも有識者達が裏で終戦工作を進めていたわけですが、厚木航空隊はじめ、本土決戦のための戦力が実際かなり温存されていて、現場の将校がそれを残したまま降伏が受け入れられないのもわかります。 筋から言って、絶対国防衛圏を破られても戦争を止めなかったのなら、本土決戦までやるべきなのです。一体何のために特攻隊が時間を稼ぐために散っていったのか。大和や武蔵も何のために特攻したのか。 しかし、それらの特攻も終戦工作の一部だったという見方もできる。航空機による特攻は「こんな特攻作戦やるまでになったら、さすがに天皇陛下が聖断を下してくれるだろう」という思惑で始めたという説があります。しかし関大尉が大戦果を上げて天皇が「まことに遺憾であるが、よくやった」と褒めてしまって、思惑とは裏腹に多くの特攻隊員が命を散らすことになってしまった。 また大和や武蔵は、これらを残しての降伏は継戦派が許さないだろうと、終戦派の工作で死地へ追いやられたってのも間違いないでしょう。 何だか色んな思惑が複雑に絡んで、一体何を相手に戦争してるのか私にはもうよくわかんないです。これから昭和天皇独白録なんかも読まなきゃいけませんw いつもと同じくまとまりませんが、イソケンさん総括おねがいします♪

isoken
質問者

お礼

mikasa さん、こんばんは。 >先日映画「226」は観たのですが、もっと勉強しなきゃと思ってます。歴史は俯瞰で見ることと、それぞれの立場に立って追体験することと両方大事かなと思います。その結果何が正しいのかわけわかんなくなるんですけどw 仰る通りでね、歴史とは光が当たる一定方向からのみ俯瞰すべきものではない・・、私もそう思います。 その観点から二・二六事件に関して申し上げれば、先ずは軍隊の政治への不介入という大原則が完全に崩れ去り、軍国主義化への傾斜をより強めて行く切っ掛けになったという客観性に由来する負の遺産、その一方で国を憂う若手将校の気持ちが痛いほど分かるという主観とのせめぎ合いですね。 思うに政治と軍隊との因果関係は、その国の民度を推し量る尺度でもある、昨今の我が国を取り巻く極東の軍事環境にも、興味深いものがあります。 例えば中国の人民解放軍を正確に言えば、シビリアン・コントロールではなくパーティー・コントロールと呼ぶべきもの、故に天安門事件で国民に銃を向けちゃう、つまり国家国民のものではなく中国共産党の軍隊という事でしょう。 他方北朝鮮・・、世間一般では金一族と朝鮮人民軍とは一体との見方が為されているようですが、正確に言えばそうじゃない、故に金日成・金正日は文民統制を強固にする一方で、食料・燃料他を優先させるなど実に気を遣って来たんですが、頭を刈り上げたおでぶちゃんにはその辺りの機微がどうも分かっていない。 その点誉めたくはないが、アメリカが持つシビリアン・コントロールの歴史は見事です。 >リーマンショック後仕事が激減して精神的に追い詰められた私は、戦前戦中の日本人に思いを馳せました。姉や妹、娘を売らなくてすむなら兵隊でもなんでもなるし、家族の暮らしを守れるなら特攻隊にも志願すると。 今の時代に生きる我々にとって、女郎屋に売られて行く身内というのは現実性に乏しいのでしょうが、当時農村出身の貧しい兵隊さんにとっては、それこそ他人事じゃなかったでしょう。 そんな世の中なら暴発でも何でもしてやれ・・、そういう気持ちになったとしても何の不思議もなかったと思います。 ところで御指摘のリーマンショック・・、実のところ我が国への直接的な影響は当初軽微だった、何せバブルが弾けてこちら何れの金融機関も青息吐息、依って殆どサブプライムローン関連に手を出していなかったというか出せない状況下にありましたから。 ただ世界的不況と円高傾向が先ずは輸出産業に大打撃を与え、次いで連日の報道が GDP の6割に相当する国内個人消費のマインドを決定的に冷え込ませた・・、それが大きかったのでしょう。 >ただおっしゃる通り、226事件の首謀者は賊軍とされながらも。その後政治にプレッシャーを与えるのに軍部が利用したのは皮肉な事です。 統制派は当然の事ながら、皇道派も上層部はそれは見事な掌返し、いつの世も切り捨てられるのは下の人間・・と相場が決まっているようです。 >さて、その終戦間際に起きた「宮城事件」を私は挙げさせていただきます。 これはもう、畑中少佐以下の気持ちが分かり過ぎるほど分かるその一方で、いみじくも mikasa さんが後段で述べておられる通り、戦後の復興へと至る最低条件すら消し飛ばしてしまいかねないほど、危うい綱渡りの局面でありました。 >「日本の一番長い日」の小説と新旧映画を観た程度で、 あの映画に登場する迫水久常という実在の内閣書記官長がおりまして、戦前は大蔵省銀行証券局長を務めたキャリア官僚なのですが、戦後政治家に転身した後、先の質問で記した例の瀬島龍三氏と自衛隊の次期主力戦闘機導入計画 ( 第一次FX ) で繋がります。 このお二人は戦前から面識があったようですね、それも終戦の詔勅を決定した御前会議の場に於いて、つまり宮城事件と全くの無縁ではありません。 さてロッキードにグラマン、伊藤忠・丸紅・日商岩井、政界に於いては岸信介・大野伴睦・河野一郎、そしてフィクサー児玉誉士夫辺りがごちゃごちゃに絡み合い、当時自衛隊の戦闘機購入を巡る争いは常に複雑怪奇ですが、そのサイド・ストーリーにインドネシアへの紐付き円借款、日韓基本条約及び韓国国軍の戦闘機選定問題、更にその延長線上に後のロッキード事件やダグラス・グラマン事件がある事を思えば、実に興味深いものがあります。 >私は何度か書いてますが、絶対国防衛圏を破られた時点で戦争をやめられれば大平洋戦争の犠牲者の多くが生き残る事ができたはずで、そこが悔やまれて仕方無いのですが、その時点での降伏が許されない当時の状況もわかります。 私も何度か mikasa さんの質問に回答している、依って貴方が言わんとする御趣旨は鮮明に記憶しておりまして、全ての前提条件を敢えてクドクドと述べませんが、まあ非常に微妙で難しい問題でしょう。 思うに政府首脳に日米開戦を決意させた危うい前提条件の一つが、欧州戦線でのドイツの勝利という希望的観測にあった、つまりはなから全面的勝利は眼中に無く、日露戦争型の終戦をイメージしていたんだろうと思います。 ところが1944年7月初頭、マリアナ沖海戦での敗戦・サイパン島の玉砕が確定するに至り、絶対国防衛圏を破られて以降 B-29 に依る本土空襲が物理的に可能となる、奇しくもこの時期は欧州戦線に於けるソ連反転の時期と重なってしまう。 ノルマンディー上陸作戦もほぼこの頃、つまりドイツの調停に依る理想的な講和条約の締結が事実上不可能となり、降伏を考える初期段階としてこれ以上ない絶好のタイミングではあった・・、後世の目で客観的且つ冷静に考えれば確かにそうでしょう。 その一方で、戦力の枯渇以前の段階での降伏という意思統一が難しかったのも、仰る通り。 何せ若手将校にそういった教育を施し尻を叩いていたのが、他ならぬ軍上層部でありましたから・・。 >筋から言って、絶対国防衛圏を破られても戦争を止めなかったのなら、本土決戦までやるべきなのです。一体何のために特攻隊が時間を稼ぐために散っていったのか。大和や武蔵も何のために特攻したのか。 ドイツがそうでしたね、この大陸国家最後の生命線がノルマンディーにあるというのは、恐らくドイツ & 米英の共通認識であった訳で、連合国側の思惑も1944年中に、ドイツを完全降伏へと追い込む事にありました。 ところがパリの解放に繋がり、且つベルギー・オランダを通過してドイツ国内への進撃可能になったこの上陸作戦の成功を以ってしても、ドイツは降伏せず、敢えて逆説的に述べれば、東側から侵攻して来たソ連に有利な条件を与えてしまう事となる。 つまり40数年に及ぶ民族分断というドイツの悲劇は、終戦の時期を誤った点にこそある訳で、その比較に於いて、我が国はまだしも幸運であったのだろうと思います。 >また大和や武蔵は、これらを残しての降伏は継戦派が許さないだろうと、終戦派の工作で死地へ追いやられたってのも間違いないでしょう。 太平洋戦争に於ける幾つかの海戦を振り返れば、海軍の主戦力は既に空母という時代に突入している、つまり戦艦の有用性が「 三笠 」 の時代とは決定的に異なっていたにも関わらず、言うなれば時代遅れの産物を国庫を傾けて建造した事になります。 さて仰る通りで、幾許かの戦力の保全は或る意味無条件降伏への足枷でありました、故に戦艦大和の出撃及び撃沈は、国内継戦派に対するセレモニーであり我が国を終戦へと誘うメルクマール、且つ軍国主義に決別を告げるレクイエムでもあった、或いはそういう事かも知れません。 >いつもと同じくまとまりませんが、イソケンさん総括おねがいします♪ なんの、私も似た様なものです。 今日は天気も良くなかったのに、家内がブーブーうるさい為泣く泣く隅田川に参りました、勿論花見です。 その後浅草の寿司屋で一杯やりまして、以降ずっと飲みっ放し・・、宮仕えも辛いが家庭サービスも中々厳しいものですね。 ・・という事で、回答ありがとうございました。

その他の回答 (12)

こんにちは。 その2・26事件のときにクーデターを起こした青年将校たちに、実際に、「お前らの気持ちは良く分かる。」と言った閣僚もいましたね。何人かは知りませんが・・・・・ 血を流さなかった事件なのであまり知られていませんが、モナコ公国での出来事です。世界一の富豪と言われた海運王の「オナシス」はモナコ公国を象徴するカジノと、ホテル・ド・パリの株を買い占めたことがあります。なぜそのようなことをしたかというと、「オナシス」はモナコ公国の高官らに「成り上がり者」だとなじられて激怒したからです。 カジノとホテルの経営権を手に入れた「オナシス」は、世界中から大金持ちを3000人も集めれば、モナコにあるモンテカルロは永遠に繁盛するぞと考えました。そのためには現代のおとぎ話が不可欠なことに気が付いたのです。 そして、1956年に「オナシス」が仕組んで、モナコのレーニエ3世とハリウッドの人気女優であるグレース・リーと結婚させることに成功しました。「オナシス」の企み通り、モナコ公国は世界中から注目を浴びだし、カジノもホテルも大いに繁盛することになったのです。 しかし、レーニエ3世は単なる飾り物の君主ではありませんでした。側近から「オナシス」の企てを知らされ、権謀術数を駆使して「オナシス」から全ての経営権を取り上げてしまったのです。そのときに「オナシス」は、またもや「お前は所詮、成り上がり者だ。」とレーニエ3世からなじられるのでした。そのためさすがに「オナシス」はモナコ公国から身を引くことになりました。 一度目は、お金を持っているがゆえに「成り上がり者」となじられ、二度目は、金儲けのためとはいえ、モナコ公国の繁栄に貢献したのにもかかわらず「成り上がり者」となじられてしまった「オナシス」の無念の気持ちは分かるのですが、あまりにもエゲツのなささに同情の余地はありません。

isoken
質問者

お礼

asacusa さん、こんばんは。 >その2・26事件のときにクーデターを起こした青年将校たちに、実際に、「お前らの気持ちは良く分かる。」と言った閣僚もいましたね。何人かは知りませんが・・・・・ 先ずは将官佐官級にも当然彼等若手将校のシンパがいたであろう事、次いで無用な兆発と更なる暴発を避ける手管として・・、最後に・・これは私の勝手な想像なのですが、維新以降の帝国陸軍の歩みが、幕末に於ける長州の影響を少なからず受けていた事と無縁でないのかなとも思います。 はてどういう意味か・・、幕末の長州は藩主敬親公以下のお歴々が、跳ね返りの若手に途方も無く甘かったという事でありまして、御存じの通り明治中期以降の帝国陸軍は法王と呼ばれた長州出身の山県有朋が牛耳った、故に軍隊用語のみならず、その種の伝統も受け継がれたんじゃなかろうかと・・。 >血を流さなかった事件なのであまり知られていませんが、モナコ公国での出来事です。世界一の富豪と言われた海運王の「オナシス」はモナコ公国を象徴するカジノと、ホテル・ド・パリの株を買い占めたことがあります。なぜそのようなことをしたかというと、「オナシス」はモナコ公国の高官らに「成り上がり者」だとなじられて激怒したからです。 ほ~~う、それは知りませんでした。 現在モンテカルロのカジノは、政府系企業が運営しておりますね、過去にそういった経緯があったからでしょうか。 一方のホテル・ド・パリは、ロビーに入る事すら憚られるほどの豪華さにして、モナコへの旅行者の誰もが憧れる超高級ホテル、それにしてもヨーロッパの老舗ホテルはドレス・コードに気を遣わねばならず、正直言って私には少々敷居が高い。 さて海運王として・・それ以上にケネディ未亡人のジャクリーンを娶った男として世に高名なアリストテレス・オナシスですが、彼の先見性を物語る逸話として、早い段階でのスーパー・タンカー化構想が挙げられるんじゃなかろうかと・・。 経済紙の紙面を賑わせるほど派手ではありませんが、実は昨今の原油安のお蔭で大型タンカーのフレイトが5割方値上がりしましてね、スーパー・タンカー業界は今現在大変な活況を呈しているんです。 何せ産油国の連携が大きく崩れてスポット・オイルがどんどん出て来る、それをトレーダーが買い叩くと共に、ペルシャ湾岸付近で直ぐにローディング可能な大型タンカーをチャーターし、プロビジョナル保険を掛けて例えば欧州や日本に向かわせ、その間に買主を捜すという図式。 株価のチャートを見て頂ければ分かりますが、タンカー部門に強い海運会社の株は何れも強含み、それと同じ現象が今から60年前に起こりました、そう!スエズ動乱です。 ひょっとしたらエジプトの政変を予見していたのでしょうか、オナシスは世界に先駆けて喜望峰を航行可能な超大型タンカーを数隻発注、その後ナセル大佐が断行したスエズ運河の閉鎖に依り、フレイトを少しでも抑えたいメジャー・インディペンデント・商社に依るスーパー・タンカー争奪戦が巻き起こり、それが彼に巨万の富を齎せた訳です。 >そして、1956年に「オナシス」が仕組んで、モナコのレーニエ3世とハリウッドの人気女優であるグレース・リーと結婚させることに成功しました。「オナシス」の企み通り、モナコ公国は世界中から注目を浴びだし、カジノもホテルも大いに繁盛することになったのです。 なるほど、世紀のシンデレラ・ストーリーの裏側にそんな深慮遠謀があったとは・・。 元々モナコはカジノに依存した小国でしたが、イメージ戦略が大成功を収めたといったところでしょうか、今や世界有数のブランド・イメージを持つ国家へと変貌を遂げましたねぇ。 >一度目は、お金を持っているがゆえに「成り上がり者」となじられ、二度目は、金儲けのためとはいえ、モナコ公国の繁栄に貢献したのにもかかわらず「成り上がり者」となじられてしまった「オナシス」の無念の気持ちは分かるのですが、あまりにもエゲツのなささに同情の余地はありません。 これは欧州社会をチラ見した勝手な印象なのですが、「成り上がり者」に対するネガティブなイメージは確かにあるようです。 イギリス辺りでは200年続く伯爵家が 、新興貴族と呼ばれたりしましてね、200年前と言えばワーテルローの戦いに敗れたナポレオンが、セントヘレナに流された頃なんですが・・。 加えて階級と生活水準とがセットという意識は強いですね、例えばキャバクラでお金を稼いだお姉ちゃんが、高級車を乗り回し高級ブランドを身に付けるなんて事は軽蔑の対象でしかないようです。 モナコに関するあれやこれや、とても勉強になりました。 回答ありがとうございます。

noname#224724
noname#224724
回答No.1

最近あった川崎で老人3人殺したやつ。 過酷な労働環境、搾取される若者、社会保証費を使いまくる役に立たない老害。 殺したくなる気持ちはわかる。 でも、その前に仕事やめようぜって思いました。

isoken
質問者

お礼

phoenixevil さん、こんばんは。 恐らく嘘偽りのない本音を賜ったとは思いますが、人間の生命は重い物です、依って当該事件の犯人には一部どころか一厘の理も抒情酌量の余地も無く、極刑に処せられて然るべき、私としてはそう考えますが・・。 まあこれ以上の言及は差し控えさせて頂きます。 回答ありがとうございました。

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