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一部の医療機関などで「老衰」の再定義化がされて
昨今、一部の医療機関などで「老衰」の再定義化がなされているようですが、これって良いことだと思いますか?どうも「人がかならず病気え死ぬということからの現実逃避」として行われているようにも観えます。 昔は心臓麻痺でも高齢者の肺炎でも、権威者(近年では医者が)が老衰と断定すれば老衰でした。このあたりは結局は大往生であればみんな老衰という世間の風潮に乗ったもので、良い悪いではなく、医学的ではない科学的ではない世間としてのものの見方であり判断でした。 病気とは生体が何らかの異常を起こして機能不全からそれまでの状態を維持できなくなっている状態ですので、生き物であれば必ず病気か事故で死を迎えることになります。 昔は世間の風潮として認知症は病気ではなく老化として扱っており世間ではボケが始まったなどという言い方で表現されていました。認知症の問題が医学的に解明されてくると、認知症は病気ですとテレビや様々なメディアを使って広告される事態でした。 老衰を医学的に条件付けするようなことをしていくと、そこに様々な病気が医学的に隠蔽されてしまうのではないかと危惧します。例えば、もし過去に認知症が老化の一現象とし老衰へ向かうひとつの工程のように定義化されていたなら、現在のような認知症への医学的対処はなされないことになってしまいます。 昨今、老衰を医学的に定義化しようとする動きって、みなさんはどう感じられますか?賛成し、推進しますか?
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