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一部の医療機関などで「老衰」の再定義化がされて
昨今、一部の医療機関などで「老衰」の再定義化がなされているようですが、これって良いことだと思いますか?どうも「人がかならず病気え死ぬということからの現実逃避」として行われているようにも観えます。 昔は心臓麻痺でも高齢者の肺炎でも、権威者(近年では医者が)が老衰と断定すれば老衰でした。このあたりは結局は大往生であればみんな老衰という世間の風潮に乗ったもので、良い悪いではなく、医学的ではない科学的ではない世間としてのものの見方であり判断でした。 病気とは生体が何らかの異常を起こして機能不全からそれまでの状態を維持できなくなっている状態ですので、生き物であれば必ず病気か事故で死を迎えることになります。 昔は世間の風潮として認知症は病気ではなく老化として扱っており世間ではボケが始まったなどという言い方で表現されていました。認知症の問題が医学的に解明されてくると、認知症は病気ですとテレビや様々なメディアを使って広告される事態でした。 老衰を医学的に条件付けするようなことをしていくと、そこに様々な病気が医学的に隠蔽されてしまうのではないかと危惧します。例えば、もし過去に認知症が老化の一現象とし老衰へ向かうひとつの工程のように定義化されていたなら、現在のような認知症への医学的対処はなされないことになってしまいます。 昨今、老衰を医学的に定義化しようとする動きって、みなさんはどう感じられますか?賛成し、推進しますか?
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- jing0708
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認識が誤っています >老衰を医学的に条件付けするようなことをしていくと、そこに様々な病気が医学的に隠蔽されてしまうのではないかと危惧します。例えば、もし過去に認知症が老化の一現象とし老衰へ向かうひとつの工程のように定義化されていたなら、現在のような認知症への医学的対処はなされないことになってしまいます。< 昔の状態が異常だったんですよ。死亡診断書に老衰などという不適切なことを書く事は医療統計上、日本の保健衛生に多大な悪影響を及ぼします。事実、厚生労働省は死亡診断書における直接的な原因をしっかり書く事を現在では指導しており、心不全などの不適切な文言は使われなくなっています。 老衰と鑑別が難しい疾病はほぼありません。恒常性(ホメオスタシス)の低下を及ぼす疾病は基本的に存在せず、遺伝病などであれば早期に発見することが可能であり、感染症などの場合は血液検査に引っかかり、その他の疾病もバイタルサインの変動を示します。 老衰の定義は年齢による多臓器不全ですが、この多臓器不全は極めて緩やかに進みます。感染症や血液疾患、悪性新生物などではこうはならないのです。 ちなみに老衰と判断されても、治療法が開発されないわけではありません。その事実を裏付けるものとして、ほとんどの先進国で行われているサーチュイン遺伝子研究や抗酸化研究などは老化をいかにして防ぐか、あるいは一度老化したものをどのようにして治すかを最終的な着地点においています。 従って貴方が思っている危惧そのものが間違いです。
- bekky1
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[賛成し、推進しますか?】 賛成しても、反対しても、個体としての人ひとりが老化するのは自明です。 人一人が長生きして、200年?とかなれば、子供はもっと生まれなくなるようにしないと 生物としての均衡は保てない。 医学とはいうが、自然の摂理を曲げてまで、あるわけじゃないので、 老化=老衰と捉えらないなら、こういうものだよと、規範があってもいいと思いますよ。 こりゃ、老化なんだから、諦めなさいでも、私はそれが本質だと思うので。 今現在だって、健康寿命は平均年齢よりマイナス10年です。 子供を育てると、一人ひとりができることが誓う、その発達段階も違うし、 もちろん能力も違う。 なので、老化過程もまた、一人ひとりが違って当たり前です。 それを、どうも、認めたがらない人が多い、医者がこれは加齢ですというと、 でも、直してもらいたいから医者にかかるのに、あっちに言って加齢、 こっちに行って加齢って、なんなのカレーばっかり!?と、ジムのお風呂で皆さんがお風呂会議する。 まぁ、健康維持に熱心だからジム通いしているので、心情的にはわからなくもないですが。 今は、膝は消耗品というのが、話題になってます。 消耗品というなら、わかりやすい、納得しやすいのでしょうかねぇ。 ただ、取り替えたりデキないとは、みなさんそこまでは考えてない。 後期高齢者という言葉に嫌悪感を示す人も多いが、ババもジジも そうだと認識して生活すること必要でしょう? 車も、電気製品も、修理してパーツを取り替えると、ほかが壊れる。 人間だって、同じパーツを使い続けているなら、同じことが起きても同様と なぜ思えないのでしょう? ましてや、パーツさえ取り替えることだってできるわけでもないのに。