喜寿の祝いについて 兄弟との関係
六月に、実家の父が喜寿を迎えます。
私は嫁いで実家の近くに住んでおり、兄夫婦が離れた所にいます。
取り越し苦労になれば良いのですが、兄夫婦があまり物事を気にしない人達なので、六月に喜寿の祝いがあることを忘れているのではないかと心配しています。
父の古希は盛大にやりました。
でも直前になっても何も話がないのを心配した私が、「もうすぐお父さんの古希だけど、なにかやるのなら私達も混ぜてもらいたいな。」と電話した為に、初めて気が付いて色々手配したのです。
その後母の古希がありましたが、その頃兄との間に少し気持ちの行き違いがあったので、母の古希には兄夫婦には声を掛けず、自分だけでプレゼントをしました。
やはり兄夫婦は忘れていたらしく、その3ヶ月後に会った時にたまたま話が出て、お嫁さんが「あっ、そう言えばお母さんの古希、忘れちゃった!」と言って私を見ましたが、私はなんと言っていいのか分かりませんでした。
私にしてみると、兄夫婦は両親に本当に色々してもらっているのだから、せめて賀寿の祝い位は気が付いて、しっかりやってあげて欲しいと思うのです。
だからと言って、いつも私が声を掛けたり、ましてや音頭を取るのでは、何だか両親がかわいそうな気がします。
私は、自分の義父母の賀寿は、いつも気を付けて、心を込めて祝ってきました。
堅い考えかもしれませんが、実家の祝いなので、あくまで兄が主宰するのが筋ではないかと思います。
お嫁さんの言葉からすると全然祝う気がないのではなく、本当に忘れているらしいけれど、それでいいのか、あまりにも呑気すぎるのではないかと、少し呆れる気持ちです。
何年かに一度しかないお祝いだし、祝ってもらえなかったらどんなに寂しいでしょう。
今回の喜寿も、近づいてきても何も気配がないようなら、また前のようにそれとなく気づかせるべきか、しかしそれも差し出がましい事ではないかとも思うし、今まで書かせて頂いたように、何で私が言わないと気づかないのか、という気持ちもあります。
考え始めると何だか面倒になってしまうので、今回の喜寿も、プレゼントを贈るだけにしようかとも思います。
迷っている事もあり、まとまりのない文章ですが、皆さんはどう思われますか。
よろしくお願いします。
お礼
先般もご質問させていただいたのですが、我が家は父の老いが早く、母からみると イライラするようで、私がいても父を罵るような物言いをします。 (母は日々のことなので仕方ないですし、認知症になったら困るという意識が強く 起業してバリバリ働いていた頃の面影はありません) 私は近くにすんでいるので、覗くよう努力していますが母のヒステリーには嫌気がさすこともあります。 大きな原因は人との交わりが嫌いということです。 現役の際、嫌々、おつきあいをしていたので、今は書斎でひっそりしていたいのでしょう。 孫は兄に2人、私に一人男の子ばかりですが、溺愛していた私の息子が大学で 家を出て寂しいようです。 が、その息子の帰省が一番難しいです。 おっしゃるようにそれぞれが父への思いをしたため、食事会でもできれば 素晴らしい思い出となるでしょう。 兄の子は小さく還暦の先には産まれてもいませんでした。 それだけ時が経っているのですね。 素敵な御意見ありがとうございます。