※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:私は音楽科の生徒の一人です。)
音楽発表会の変更による失望と困惑
このQ&Aのポイント
音楽科の生徒たちが楽しみにしていた音楽発表会の開催形式や内容が大きく変わり、失望と困惑が広がっている。
新しい発表会の開催日が休日に変更され、全校生徒の前での披露の機会が減った。
さらに、選ばれた者しか演奏できなくなり、音楽科生徒たちは演奏研究の授業の意味を見失っている。
私は音楽科の生徒の一人です。
私の通う高校には年に一度、音楽発表会という学校行事があります。
音楽科の時間割りには3種類の音楽の授業が組まれており、その中でも演奏研究という授業では、年に一度開かれる音楽発表会のために日々練習を重ねています。
音楽科の生徒全員が、1年間の練習の成果を音楽発表会にて、全校生徒の前で披露します。
私もこの音楽発表会で自分の演奏の腕前を皆へ披露するのが楽しみで、演奏研究の授業では毎日演奏の練磨に励んでいます。
開催日は来年ですが、今年もそろそろ音楽発表会が差し迫っています。 来たる音楽発表会を、音楽科の生徒のみならず、普通科や別科目の生徒までもが楽しみに待っています。 授業が無いから、という理由でこの音楽発表会を好む生徒もいますが、それとは別に私達の演奏を、音楽科の音楽を、皆楽しみに待っている・・・はずでした・・・。
しかし、今年からこの音楽発表会の発表形式、内容、開催日などが大きく変わりました。
それは、私達音楽科の生徒にとっては決して良い変更ではなかったです…。
新しい音楽発表会の開催日は、平日から休日へと変更になりました。 まずこの時点で、私達の演奏を全校生徒が見てくれる可能性が大幅に落ちました。
授業の一環として、嫌でも体育館に集まり大勢の演奏を聴く、そんなことがなくなってしまいました。
一週間の授業がやっと終わり、疲れを癒したい休日に、私達の演奏を聴くためわざわざ朝早く起き、制服に着替えて学校に登校し、一人一人の演奏に耳を傾ける、そんな生徒はほぼいないでしょう。
来てくれると言っても、音楽科の生徒に誘われた友達くらいでしょう。
しかも、休日なのにも関わらず、全体の演奏時間や行事自体の時間帯が去年までの音楽発表会よりも減らされてしまいました。
休日くらい、たっぷりゆっくり演奏しても構わないでしょう?…
そして、音楽科の生徒達にとって何よりショックだった変更点が、選ばれた者しか演奏出来なくなったことです。
今までの音楽発表会は下手だろうが上手だろうが、強制的に参加しなければいけませんでした。
確かに中には皆の前で発表するのが恥ずかしい、まだ未熟な演奏で、皆に聞かせられるレベルではないから舞台には出たくない、そう思う人もいるとは思いますが、私達音楽科の生徒は皆の前で演奏することを何より楽しみにしていますし、どんなに下手だろうと、皆の耳にこの音楽を届けたい、下手な音楽などない、音が出る限り、音を出せる限りそれは全て音楽なんだ、そういう想いが音楽科の生徒全員にあったから、音楽発表会に強制的に出されることを嫌がる生徒なんて一人もいませんでした。
ですが、今年の大きな変更をもって、音楽科生徒たちの皆の団結力は薄くなり、みんな、ではなく選ばれた者しか舞台に立つことは出来なくなりました。
何よりも、この音楽発表会に向けて組まれた演奏研究の授業の意味が全く無くなってしまいます。
何のために演奏研究という授業があるの?、音楽科の生徒たちは口を揃えてそう問います。
流石に授業の意味が無いと懸念した先生達は、「なら次からは演奏研究で課題曲を用意して、その演奏を聴いて評価する。」と考えていました。 しかし、今の今まで課題曲を渡されたことは一度もありません。
今年に入ってからの演奏研究はずっと、皆弾きたい放題、好きな曲を好きな時に弾くだけです。
音楽発表会で弾く曲なんて、たまに聴こえてくるくらいです。
さらに、先生達は皆の演奏に対しては一切アドバイスをしません。職員室でずっと、デスクワークをするだけです。 生徒を見ると言っても、学期末、生徒達の成績を付けるために一度聴くだけ、たったそれだけです。
先生はアドバイスもくれずに、黙々と出席簿に数字を書き入れ、評価のための演奏を聴き終わったら足早に職員室に戻り、パソコンに成績や細かな数値を打ち込む…
ただそれだけです。
練習する意味が無いと思ってか、何もせずに寝ている生徒もいれば、スマホをずっといじっている生徒も増えました。 そんな練習を放棄する生徒が一人、また一人と増えていき、気付けば上手い人、才能がある人、つまり音楽発表会へ出場する見込みのある者の演奏だけが響く、そんな授業となってしまいました…。
私はこの1年間、変わり果てた音楽発表会を目の前にしても、今日のひと時さえも無駄にせず、一生懸命練習してきました。
しかし、私は選ばれませんでした。
先生から、音楽発表会の舞台に立てる生徒を発表する際、残念ながら私の名前は挙げられませんでした。 その瞬間、私の1年間の苦労は徒労に終わってしまった、全て水の泡になってしまった、そう痛感しました。
悲しい気持ちはありません。
なぜなら、選ばれたとしても、学校の生徒皆が聴きに来る、そんな行事ではなくなったからです。
私の彼氏でもあり、クラスのリーダーでもある生徒は言いました。
「俺達はただ、音楽を皆に届けたかっただけ、このボロクソな俺の演奏を聴いて欲しかっただけ。」
しかし、その想いは先生達や校長先生には伝わりませんでした。
心無しか、音楽科の生徒一同の共感や団結力も希薄して来ているように感じます。
この音楽発表会の大きな変更を、皆さんはどう思われますか?
また、私達はこれから何をもって音楽の授業、特に演奏研究の授業に励めばいいのでしょうか?
また皆の演奏が聴きたい、全校生徒が拍手するあの光景、弾き終えた後の達成感、1年間の努力が詰まった音楽を、自分でも味わいたかった・・・・・・
補足
この変更は、他の科目の生徒からの意見によって変えられたものではなく、完全に音楽の先生達が独断で決めたものになります。 また、変更した理由も、下手な演奏を聞かせない、舞台に立つに相応しい演奏を聴かせるため、という理由ではなく、ただ単に勉強時間がなくなるから、という理由で変更した、と言っていました。 中には下手な奏者もいると言いましたが、音楽科の生徒は普通に最後までしっかり曲を完全させて弾くし、レベルの高い「下手」ということです。 流石に皆の前で弾く状況になったら、皆本気でやるでしょう。 しかし、皆の前で弾かないなら、本気もクソもありません。 しかも、ただ一曲通して弾けるだけでも、音楽の知識がない一般生徒からしたら、上手く聞こえます。 別にプロの審査員を前に弾くガッチリとしたオーディションではありません。 あくまでもライブ的なイベントですよ。