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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:ただ終わりを待つだけの時間)

終わりを待つ時間-ガンで母を失い苦しみ続けた日々

このQ&Aのポイント
  • 昨年、ガンで母を亡くしました。乳がんの転移で、最後は体中に広がってしまったため、痛み止めのモルヒネを増やすまで、ただ苦しむだけの毎日でした。
  • 看病は確かに過酷なものでした。それ以上に本人の苦しみは大きく、具合が悪くなるたびに「早く殺してくれ」と泣き叫んでいました。
  • 私はいまだにこの答えが見つからず、また生きる希望を持たせることができなかったことにとても後悔を感じています。

質問者が選んだベストアンサー

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  • greenbird
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回答No.4

私は、10年前に、母を乳癌で見送りました。  壮絶な闘病生活、一緒に苦しみを痛み合う家族・・・。心中が手にとるようにわかります。 私も質問者様と同じ思いから抜け出るのに、半年あまりかかりました・・・。 発病から、2度の手術をし、9年間、乳癌と戦いました。 ある意味では9年もあったわけですから、私自身、それなりの覚悟は出来ているつもりでした。 しかし、現実は予想と違って、後悔の念に苦しみ、半年も抜け出せませんでした。 最後の1ヶ月は神経をやられ、昨日は右手、今日は左手・・・というかたちで、10日あまりで、首から下がすべて不随となってしまいました。 母には病名を告知していませんでしたので、日に日に麻痺していく現実が受け止められず、母は半狂乱の状態にまで、なってしまいました。 この時の母の気持ちを考えると、告知をすべきだったのではないか、その上でいっしょに戦うべきだったのでは・・・。という気持ちが、ありました。 そのうち、幻覚症状もでました。訳のわからないことを口走る母を、涙を見せまいと思ってもこらえることができません。下を向いて声をころして泣きながらさすり続けました。 癌との戦いは筆舌を尽し難いものです。 そんなときの家族は、なんの見返りも求めることなく、誠心誠意、必死で患者本人と向き合いますよね。 全てを犠牲にしてでも向き合いますよね。 それでも、見送った後は、後悔の念が残るのです・・・。 もっと違った言葉をかけれたのでは・・・ もう少しやさしく接することができたのでは・・・ 違った治療法があったのでは・・・ 自宅で最後を看取るべきだったのか・・・ 後悔にもいろいろな形があるでしょう。 形こそ違えど、後悔する人は、決して質問者様一人ではないのですよ。 とくに、身近な大事な人を失った時は10人中10人が質問者様と同じ気持ち、心になるものです。 質問者様だけが特別なことではありません。 経験者として言えることは、薄情に思われるかもしれませんが、   日にちが薬です。 「お母さん、よく頑張ってくれましたね。 私たちも、頑張ったよ・・・。」ってご自分を認められる日がかならず、きます。          やがてきます・・・。  大丈夫ですよ♪

glassy
質問者

お礼

greenbirdさん、ご回答ありがとうございました。 おっしゃること全てに同感です。 ガンは本人だけでなく、周りの人間も 不幸に陥れる怖い病気です。 母は最初から自分がガンであることを知っていました。 ですので、治療・薬については納得できるまで説明を受け、それをあらゆる 視点から検証したうえで、Yes/Noを自分で決めていました。 体力がなく、薬に弱い体質を熟知していた母は、乳がん・胃がんと 経験したにもかかわらず抗がん剤は一切受けませんでした。 告知・・・本人が病気を知っていることの利点はまさにここにあると思います。 影でコソコソやる必要がない分、腹をわって話ができ、関わる人全てが 一致団結して取り組める・・・。 結局は亡くなってしまいましたが、主治医の先生に「お母さんの言うとおりに してきたからこんなに生きてこれたんだね。抗がん剤を受けてたら、その半分も もたなかった」と言って頂きました。 だから、頑張ってきたことは無駄ではなかったんだと救われた気持ちになりました。 私も自分なりに頑張って看病したつもりですが、なかなか細かいことに 気を配れず、本人をイライラさせることもよくありました。 亡くなってからは、自分が頑張ってきたことよりも、そういうことに対する後悔の 気持ちばかりが大きくなって、それが自分を苦しめています。 greenbirdさんのおっしゃるようにまだまだ時間が必要なのかもしれません。 少しでもこういう気持ちが軽くなるようにと、仏前に手を合わせる毎日です。

その他の回答 (5)

  • simonjj
  • ベストアンサー率50% (2/4)
回答No.6

glassyさんの心痛お察し申し上げます。 ふと、質問文を何気なく読んだのですが思わず何かを書かねばと言う気になりました(回答ではありません)。 「そんな状態でも、私は生きていてほしいと思っていました。」という部分は本当によく分かります。 私の子供の頃に母親から「私が死んだらどうする?」という意地悪な質問をされて、「押し入れにしまっておく」って思わず答えました。「そんな事したら腐ってくるよ~?」って言われて、「それでも。。」って答えたのを何となく思い出しました。 痛みが強かったのは本当につらいですね。 その状態で「何を希望に生きたらいいの?」と聞かれても難しいですよね。 おそらく(短絡的な私の思考回路では)その答えは「ない」のだと思います。 だまって、傍にいる。。 これで良いんじゃないですか? もう少し気の利いた人もいるかも知れませんが、私にはこれしかできないと思います。

glassy
質問者

お礼

simonjiさん、ご回答ありがとうございます。 「押入れにしまっておく」・・・ですか、かわいいですね。 子供ながらに、本能的に手元においておきたいと思ったんでしょう。 私も母の亡骸を見ながら、「この安らかな顔をずっと見ていたい」と 思っていました。 母の意に添えない看病の連続でしたが、お別れの言葉をかわしたとき 「あんたがいてくれなかったら、こんなに長生きできなかったと思う」と いう言葉を聞いたとき、それなりに私の努力も無駄ではなかったんだと 救われた気持ちになりました。 意識がなくなってからは手や足をさすることしかできませんでした。 聞こえてるかどうかわからないけど、いろいろ話しかけたりもしました。 最後の最後は、ホントにこれしかできなかった。 でもよかったんですよね? ・・・そう思いたいです。

  • lovein
  • ベストアンサー率30% (47/155)
回答No.5

時々、生きることは死ぬより辛いと思う事があります。 絶望することは、本当にあります。 けれど、なんて言えば良いのか解らないのですが、 それでも人は生きなければなりません。 誰かに助けて貰っていても、動けなくなっても 愛する人、大切な人がいるなら生きる努力を・・・ 努力とまでは言いません。生きていて欲しいそう思うのです。

glassy
質問者

お礼

loveinさん、 ご回答ありがとうございます。 そうなんですよね。  大事な人を亡くしても、お腹は空くし、眠くもなる。 仕事もしなくちゃいけない。  私は生きているから。。。 そして、こういう私でも生きていてほしいと思っている誰かがいる。 だから、私もその人たちのために生きたいと思う。 今はそんな気持ちでいっぱいです。

noname#7546
noname#7546
回答No.3

わたしは、もう8年まえになりますが、大事な人をガンでなくしました. そのとき、最後の数日、生きていてほしい、頑張って、が、どうしても、いえなかった… もう 充分頑張ったから、いいじゃない、痛みが、終わってほしい… 看病がいや、なのではなく、 。。。。。痛みを、替わってあげることも、ましにしてあげることもできない… わかってあげることすらできない. 気丈なひとが、顔をゆがめて、痛いともいうことができずに、 大丈夫、きっとよくなるから、、、という(本人も、多分、治らないということは、気がついている) 状況に、答えることができず、励ますこともできず、抑えられなくて、涙が出てきてしまいました… 絶対に、わたしが泣いてはいけない場面だったのに、、、 今でも悔やんでいます. ただ、そういう人が実際に生きていたおかげで、自分がいる、 自分は 彼のことを忘れないし、彼は、なくなったけどわたしを支えてくれてる、、、 それだけしか、わからないです. 答にもなっていないし、解決にも つながらない書き込みになりましたが、 自分の努力ではどうにもならないことがあるということ、 どういう形であれ、人は必ず死ぬのだということ、 もちろん自分だって死ぬのだということ… それをはじめて実感したのが かれの死によってでした. だから、亡くなる前の状態だけで、生きていたことすべての尊厳が失われたのではない、、、と思いたい、です. 生きていてほしい、と思えたご質問者さんに、敬服します. 自分は、それすらいえなくて 後悔してるので… あなたに どういう状態であれ、生きていてほしい. そう言ってもらえたお母さまは、うらやましいと思う部分もあります…

glassy
質問者

お礼

96148さん、 ご回答ありがとうございます。 私も亡くなる一ヶ月前に、「早く楽になりたい」という母に「そうだね、私も 楽にしてあげたいよ」と言いました。「もう十分がんばったもんね」と。 そうなんです、どう頑張っても痛みや苦しみを代わってあげることができない。 そのやりとりのあと、母は自分の意思でホスピス病棟にはいりました。 そして痛みに耐え切れず、意識がなくなることを承知で主治医の先生に モルヒネの増量を依頼しました。 その投与の前夜、私たち家族は意識があるうちに・・・ということで 母とお別れの言葉を交わしました。 まだできることはあったかもしれませんが、私たちの結論は母が望むとおりに してあげようということでした。 母がいなくちゃなにもできなかった私が、今母と同じように料理をしたり 障子を張り替えたり、漬物を漬けたりしていることが不思議ですが、 全て母のおかげだと感謝しています。 それ以前に母の子として 生まれてきたことも。 96148さんが何も言えず、ただ泣くだけだったということですが、 気持ちは十分お相手の方にも伝わっていたと思います。 一緒に泣いてくれるだけで救われるのよ・・・と母は言っていました。

  • newton100
  • ベストアンサー率37% (301/800)
回答No.2

私の父はすい臓ガンでした・・・ 患者本人(自己)の事だけを考えたら、痛いだけ、食べる事さえも出来ない状況では死んだ方がましと考えるのは当然です。 しかし、人間は一人では生きていけないので、必ず周囲に影響、関わりを持っています。 ですから、どんなに苦しい状況でも生きている事を望むあなた(方)の為に、寿命が尽きるまで生きるべきです。 V.E.フランクルの本に、その生きる意味が書かれています。これ以外にも生きる意味について書かれた書籍は沢山ありますので、いろいろ読んで、自分なりの解釈、考えがはっきりすると思います。 V.E.フランクルとか生きる意味とかで検索すれば沢山見つかるはずです。

glassy
質問者

お礼

newton100さん、 ご回答ありがとうございます。 本人もまだ元気なうちは、「そうだよね、生きなくちゃだめだよね。孫の顔も 見てないし」と前向きだったんですが、痛みが強くなり、動けなくなってきて からは、「もう生きている意味がない」という思いだけが大きくなってしまったようです。 とにかく動くのが好きで、料理や家庭菜園、洋裁となんでもこなせる人だったから 余計にそう思ったのかもしれません。 「殺してー」と泣き叫ぶ一方で、「私だってこんな歳で死にたくないわよ」 (56歳でした)と口にすることもあり、やはり心底では生きたかったんだと思います。 でも、それ以上に痛みや苦しみが大きかったんでしょう。 私は多分一生このことを考えながら生きていくと思います。 ご紹介して頂いた本やまたさまざまな方と出会いながら、自分なりの 結論がいつかだせるようになりたいと思います。

  • myeyesonly
  • ベストアンサー率36% (3818/10368)
回答No.1

こんにちは。大変でしたね。 私は医療分野の技術者なので、ちょいと回答するのに不適格かもしれませんが。m(__)m 今、医療は病気を治す事だけに集中するのではなく、治療中、あるいは、残された時間をいかによく、人間らしく尊厳を持って生きられるかという部分がテーマになってきています。 ですので、痛みを押さえる治療も大変進歩し、昔よりも積極的に使われていますし、モルヒネなどは逆に、長い歴史のある薬なので、どのようなタイミングでどう使えば中毒や依存症、禁断症状などの心配なしに痛みが止められるかというのがよくわかってきています。 また、脊髄前核切除という手術など、痛みの部分の神経だけを切ってしまうという方法も、使われています。 昨年というレベルでしたら、そういう治療はかなり広く実用化されている時期ですので、大変残念だったと思います。 ですので、私なら医師に積極的な疼痛治療をお願いしたでしょう。 ただ、人を送るという事は本来、質問者さんが感じられたような事であり、昔は誰でも家庭で年老いた者から順番に家族で見取っていたわけで、今の、見送る人は付き添いの僅かな人だけ・・・という状況になったのが異常なのではないかと思います。 一つだけ余計な部分ですが、現在、患者負担が増える方向で制度がいじくられており、結局、いい治療を受けるためにはお金という現状があります。 逝く人も苦しんで、残された者も借金漬けにされて・・・ではたまったものではありませんね。 そういう点では、医療行政の仕組みそのものを何とかしてほしいです。

glassy
質問者

お礼

myeyesonlyさん、ご回答ありがとうございます。 乳がんが腹部リンパ節に転移し、そこから脊髄に浸潤したことにより 痛みが激しくなり、緩和ケアもうけておりました。 しかし薬に過敏な母に対して、適切なモルヒネの量を決めるのは難しく、 神経ブロックも試みましたが、その治療の最中に急性麻酔中毒になるほどでした。 本人もよく「痛みさえなければ」と言っておりましたが、その一方で 日に日に増えるモルヒネの量に「薬漬けにされるのはいや」という思いもあり バランスをとるのがなかなか難しい状況でした。 痛みをとることも大切なことですが、それと同時に心理面をどうケアするかが とても重要だということを学びました。 本人の痛みや苦しみを100%理解することは不可能ですが、少しでも 笑顔になれるようにすること・・・笑顔になれなくても、その苦しみを 共有してくれてるという安心感を与えられるようなケアが、今後ますます 求められるのではないかと思います。

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