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ふとした疑問「フイギュアスケートの演技後の花束」
昨日まで行われていたNHK杯で羽生・宮原選手をはじめ男女ともに素晴しい成績と演技で感動しました。 その中で、いつも疑問に思うのが、演技終了時にリンクに投げ入れられる花束とそれを拾い集めーるシーン(ボランティアらしき人と選手本人)です。 なんだか、 (1)恵みと物貰いのようで競技会の雰囲気、演技への称賛にはそぐわないように思うのは考え過ぎでしょうか? (2)何時から始まったのでしょうか&世界の大会でも同じようにリンクに無造作に投げ入れているのでしょうか? まるで、歌謡ショーの紙テープやプレゼント、芸能ショーでの”おひねり”を連想してしまうのですが・・・
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1. 昔からの慣習です。どのくらい昔からかっていうと、少なくともアラフォーのおっさんである私が小学生のときにNHK杯の中継をやっていた頃から投げ入れられていたので、30年以上はあるでしょうね。 2. オリンピックでもどこでもやってますよ。 >まるで、歌謡ショーの紙テープやプレゼント、芸能ショーでの”おひねり”を連想してしまうのですが・・・ それに近いと考えていいと思います。元々フィギュアスケートは「スポーツか?」というとちょっと疑問ですよね。派手な衣装を着て音楽に合わせて踊って、それに審査員が点をつける「主観のスポーツ」です。「あっちからこっちに、一番速く着いたやつが勝ち」とは違いますよね。 ですからエンタテイメントの側面が強いです。考えてもみてください。普通のスポーツは、ユニフォームが決まっています。少なくとも同じ国の選手はお揃いのものを着るのが基本です。体操や新体操もそうですよね。だけど、ことフィギュアスケートに限ってはオリンピックでさえ個々の選手がきらびやかでオリジナルな衣装を身につけて滑ります。そういうものなんですね。「ブスは金メダルがとれない」のがこんなに明らかな競技は他にありません。男子選手でさえ、佐野稔さんの昔からプルシェンコからパトリック・チャンからユヅ君に至るまで、少女マンガに相応しいイケメンばかりです。 だから、フィギュアスケートだけだと思いますよ。オリンピックも含めた国際大会で競技が終わった後に上位入賞者が「エキシビション」というショーを見せるスポーツは。
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- chiychiy
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こんにちは 日本ではお花が多いようですが 海外ではぬいぐるみなどが多いみたいです。 お花も散らばらないようにとか よく飛ぶようにおもりを付けたり 色々工夫されていて 今では独占の花屋さんが制作しています。 花束の数は人気の象徴と演技への拍手と一緒だと思います。 http://hbol.jp/67214 http://spotlight-media.jp/article/213156124937915676 http://haya1111.com/way-to-throw-the-bouquet-in-figure-skating/
お礼
ご回答を賜りまして誠にありがとうございます >日本ではお花が多いようですが 海外ではぬいぐるみなどが多いみたいです。 お花も散らばらないようにとか よく飛ぶようにおもりを付けたり 色々工夫されていて 今では独占の花屋さんが制作しています。 花束の数は人気の象徴と演技への拍手と一緒だと思います。 貴重な情報と鋭い観察による分析考察で、おかげさまで理解納得できました。 私は、オリンピックに対し、どこかにアマチュアリズムや精神的な美化のイメージ&願望が強く、フイギュアスケートに於いても商業主義の行き過ぎや見世物興行的なものを意識し嫌悪忌避していたのかもしれません。 仕方がないのかもしれませんが、花を粗末にし、選手にも拍手やスタンディングオペレーションがあれば称賛感動の意思表示には十分だと思うのですが・・・ 何か下品、野暮な行為&情景のようで、華麗な競技の後の感動の余韻に浸るのに似つかわしくないと思っています。
お礼
ご回答を賜りまして誠にありがとうございます 1.昔からの慣習です。 どのくらい昔からかっていうと、少なくともアラフォーのおっさんである私が小学生のときにNHK杯の中継をやっていた頃から投げ入れられていたので、30年以上はあるでしょうね。 2.オリンピックでもどこでもやってますよ。 オリンピックも含めた国際大会で競技が終わった後に上位入賞者が「エキシビション」というショーを見せるスポーツは。 貴重な情報と鋭い観察による分析考察で、おかげさまで理解納得できました。 私は、オリンピックに対し、どこかにアマチュアリズムや精神的な美化のイメージ&願望が強く、フイギュアスケートに於いても商業主義の行き過ぎや見世物興行的なものを意識し嫌悪忌避していたのかもしれません。