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葛飾北斎
は昔、90歳で 240キロも旅したと言うがその道中、どのように食事していたのだろうか? その歳で旅の目的は何だったのか?エピソードなど有りましたらお聞かせ下さい。
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葛飾北斎は、80歳を過ぎてから亡くなる前年までの間に、信濃国(長野県)小布施を4度訪れました。東京から小布施まで徒歩で片道約250km。往復で500km×4回、計2,000kmもの距離を歩いたことになります。旅の目的は「弟子を訪ねる」為でした。 小布施では、寺院などに、豪華な肉筆画の天井絵を描きました。今も多くの作品が残されており、最も有名なものは、岩松院の「八方睨み鳳凰図」。亡くなる前年の89歳の年に、一年をかけて描いたと伝わる大作です。 旅の道中の食事については、記録は残っていないと思いますが、従来より料理は自分で作らず、買うか、もらうか、お茶でさえ自分で淹れることは無かったそうです。明治に入り、江戸後期に北斎と交流のあった文人、戯作者などの証言では「北斎は酒も飲まず、煙草も嗜まず、上等な茶を嫌い、大福を好む」とのこと。おそらく、旅の途中でも茶店で粗茶と大福を好んで食べたことでしょう。 北斎は生涯に、93回も転居しました。自身も娘も家を片づけることができず、絵を描き、部屋が汚れると引越したと言われていますが、絵以外では生活全般が怠惰であった北斎が90歳もの長い生涯を送ることができたのは、毎日クワイを食べていたからという説があります。また、67歳で脳卒中を煩った北斎は、自分で柚子をすりつぶし日本酒に溶かした薬を作ったり、中医学を勉強し、竜眼(リュウガン)を乾燥させて焼酎と砂糖を混ぜた自家製の薬を作り、毎日欠かさず飲んだと言われています。 ■ 90歳まで生きた浮世絵師・葛飾北斎が欠かさず食べていたものは? (サライ.jp) http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150907-00010000-seraijp-hlth ■ リュウガン https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%A5%E3%82%A6%E3%82%AC%E3%83%B3
お礼
早速、ご丁寧なご回答有難うございました。 何もかも揃って便利な世の中の現代人から見れば当時の人々は様々な不便さと様々な苦難の中を生き抜いて来られたんですねぇー? そして現代に引き継がれているんだと思いますと、一日、一日を元気良く頑張らないとあきませんね。笑い。と思う次第です。 当時の90歳以上の方は現代人に取って110歳ぐらいの感覚でしょうか? それにしても当時の人々の我慢強さを見習いたいものです。