今回の一連の安保法制が違憲か否かについて、集団的自衛権にかかわる部分が「違憲」であるのはほぼ疑いがありません。政府与党は当然「合憲だ」と言っていますが、彼ら自身、そして安保法制に賛成する人たちも、おそらく違憲であると気づいているでしょう。ただ、彼らはそれが大した問題だと思っていないのだと思います。
理由は三つほどあると考えました。
【理由1~最高裁の能力に対する信頼の欠如】
他回答者も指摘しているとおり、法令が違憲であるか否かを決定するのは最高裁判所の役割ですが、これまでの最高裁の実績からして今回の安保法制に対しては「統治行為論」を持ちだして憲法判断を回避するだろうと予想されています。
つまり、安保法制賛成派も反対派も、わが国の最高裁判所には特定の分野に関して判断する能力がないことを知っているわけです。国会で多数を握った側が安心して違憲法案を通すことができるのは、その意味では当然です。
【憲法と法令、憲法解釈】
しかしながら、これがまかり通ってよい道理はありません。憲法とは、国の形を定めて為政者の恣意的な統治にタガをはめるために国民と交わした約束であり、議員や官僚には憲法を遵守し尊重する義務があります。言いかえれば、憲法を守ることは彼らが権力者であるための資格要件です。
当然、彼らが行なう立法や行政はすべて憲法の枠内でなければならず、すべての法令は憲法より下位に置かれます。中には外交条約はこれにふくまれないと主張する人もいますが、もちろんまちがいです。いったん締結された条約はたとえ違憲であってもただちに無効とはなりませんが、代わりに政府には憲法にかなった内容に修正する努力義務が生まれます。
もちろん憲法といえど不磨の大典ではありませんから、時勢に合わないときは変えることができますし、むしろ変えるべきものです。とはいえ硬性憲法として知られる日本国憲法の改正はなかなかにハードルが高く、その埋め合わせを憲法の条文解釈がつとめることになります。
憲法そのものの改正ではないとしても、その実質が国民との約束を結び直すことに変わりはありませんし、約束であるからには片方が宣言して済むわけがありません。双方の納得が必要です。
これは権力者が暴走しないために絶対に外せない原則です。
【自衛隊と憲法】
ところでこの手の話題になると、かならず自衛隊は違憲ではないのかと言いだす人がいます。9条だけを読むと無理からぬところもあるのですが、これまで国民の多くは従来の政府による憲法解釈を受け入れてきました。
憲法9条においてわが国は戦争の放棄と戦力の不保持を唱いながら、憲法13条は国民の生命、安全、幸福追求を守ることは行政の責務であると定めており、ここからこれが根底から脅かされる他国からの侵掠に対して日本を防衛することは行政の範囲と解され、そのための組織である自衛隊は合憲であり、同時に他国防衛のための集団的自衛権は保持しているがその行使は憲法の定める枠をこえる、としてきました。
今回、安倍政権は従来の憲法解釈の論理はそのままに結論だけを変えました。その理由として政府は「国際情勢の変化」をあげていますが、具体的にこう変わったから集団的自衛権でなければ対応できない、想定されるこのような事態に対処するにはこの安保法制でなければならない、と国民の多くが納得できる説明を提示することに失敗しました。というか、そもそもちゃんと説明したとは言えないと思うのですが・・・。
世論調査で8割の国民が「政府は説明不足」と答えている現状は、本来看過できるものではないはずです。
【理由2~国民世論のこれから】
まっとうに考えればこれだけ不人気な法案は修正するか、撤回して後日出し直すのが筋ですが、今回はそれをしませんでした。アメリカに約束したからという切実な事情(彼らにとって)はあるにしても、その前提になっているのは、国民の反対は続かないとの予想です。
安倍総理はくり返し、1960年の新安保条約のときの反対はもっと激しかったがいまではみな納得している、と口にします。内閣支持率も下がったとはいえいまだ大きく損なわれておらず、遠からず国民はこの問題を忘れる、もしくは飽きると予想しています。マスメディアをはじめそのための装置はそろっていますし、野党の体たらくは相変わらずですから、根拠のない自信ではありません。
しかし、新安保との大きな違いは、あのとき新安保条約そのものに対する世論の賛否は拮抗しており、国民の多くが反発していたのは岸政権の姿勢(強圧的、独善的、戦前的)だったという点です。法案そのものが不人気だったとは言えないのです。
この違いがこれからどう転ぶか、政府与党が楽観するほど安易だとは思えませんが、反対派が息巻いているほど批判的空気が継続するとも思えません。結局、これからどうなるかはわたしにはわかりません。
【理由3~日米地位協定・日米安保条約という法体系】
理由の三つ目は、わが国には最高法規である憲法とは別に併存する法体系があり、実質的にはこちらが優位に置かれていることです。日米地位協定と日米安全保障条約です。一連の安保法制を押しすすめた人たちはこの現実がよくわかっており、たとえ日本国憲法に反していてもこちらに合致していれば問題ないと判断しています。
日米地位協定・日米安保条約とこれが作り出す体制が日本の国益、日本人の福利にどれだけプラスになっているかは意見が分かれるところだと思います(立場によって変わるので)が、少なくとも政治家と官僚の出世、保身には直結します。これまでアメリカとの関係を改めよう、在日米軍の問題を解決しようと試みた人たちはいましたが、そのたび退けられてきました。アメリカが行なうというより、アメリカの意向を受けた日本の政治家、官僚、マスコミ、などが実行してきました。
日本には二つの日本が併存しており、これまで数々の軋轢を起こしながらも両者は棲み分けるよう努力をし、問題を隠してきました。隠せないのは沖縄など「ごく一部」です。この棲み分けに対して、だれよりもナショナリストであることを標榜しながらだれよりもアメリカ追随の姿勢をとる、という対処法をここまで徹底した政治家はかつていなかったのではないでしょうか。
【で、これから】
・・・どうなるのでしょうね。安倍総理が日本国憲法とその日本を軽蔑し、日本国民を見くびっているのは確かだと思います。原発問題を見ても、わたしの予想より世間の反発は長続きしましたが、それでも震災当時の様相とは雲泥の差があります。やっぱり見下されても仕方ない国民だったということになるのか、これを機会に少しでも賢くなれるのか。
わたし自身、これまであまり関心のなかった安全保障の問題を考えるようになりましたし、多くの国民も程度の差はあれ同じだと思います。ここから変わっていくのか、これで終わりなのか。どちらなのでしょうね。