婚前交渉はなぜ当たり前に?
なぜ、近頃婚前交渉というものが当たり前になってきているのでしょうか?
コンドームやピル、IUD(避妊リング)やペッサリーなど様々な避妊方法があることを知りましたが、どれも100%の避妊率ではありません。(それに、この確率さえ使用したすべての人のデータではないので、どこまで信用していいのかわかりません。)
つまり、性交渉をしてしまえば、どんな避妊方法を取ろうとも、妊娠してしまう可能性があるということですよね?
にも関わらず、学生時代に性交渉をしていてもおかしくない、という認識や、恋人になったら性交渉するのが当たり前、性交渉を経験していないことが恥ずかしい、という考え方が広まってしまったのはなぜなのでしょう?
学生時代は、子供ができても自分で責任が取れない年齢なので、性交渉はするべきではないと思いますし、
大人でも、責任をもって行動するべき年齢で、軽々しく子供ができてしまうかもしれない行いをすることは間違っていると私は思います。
なのに、性交渉をしていないことが恥ずかしいという認識が広まったのでしょうか?
むしろ、無責任にそのような行いをすることのほうが恥ずかしいように思います。
もう少し気になることを書きますと、恋人がいない、または、恋愛経験ゼロや、恋人がいた経験がない、ということも、恥ずかしいことだという認識が広まっているように感じるのですが、なぜ恥ずかしいのでしょうか?
恋人がいないのは、好きな人がいないから、または、好きな人がいても両思いではないから、という理由が普通だと思っています。
けれど、付き合う理由が、そこまで好きでもないけれど、なんとなく好みだから付き合ってみた、気があったから付き合ってみた。
こういう理由で、人と恋人関係になる人が、どうしてそういうことをするのかがよくわかりません。
好みなだけでなぜ付き合うのでしょう? 気が合うのなら友達のままではダメなのですか?
恋愛に積極的なのが悪いことだとは思いませんが、軽々しく人とお付き合いするというのは、不誠実な行いだと思っています。相手にも、自分にとっても良くないことだと思うのです。
長々と書き、少し支離滅裂になってしまいましたが、ここで質問したいのは、なぜ婚前交渉が当たり前なのか?(もちろんそうじゃない人もいると思います)
そして、なぜ、性交渉をしていないことや恋人がいない(または、いた事がない)のが恥ずかしいという認識が広まってしまったのか? です。
お礼
ご意見ありがとうございます。 どうも交渉というのは、最初から始まるものではないみたいですね。 交渉する前に提案があって、それで一致を得られないときに初めてそこから交渉が始まるのですね。それとも提案はこじれる可能性があるので、その提案も含めて交渉というのか・・・ちょっと言葉の定義の問題になってきました。 しかし、提案の仕方によって、その後の展開も左右されるように思うので、正解はやはり後者の方でしょうか。 つまり、提案⇒折衝⇒合意 この一連の流れを交渉というのでしょう。 あとは、提案が的確であれば、折衝をスキップできるという補足が付くくらいでしょうか。 この定義が正しいと仮定するなら、私の場合、提案の段階で怒られてます。それは相手が最初に感情的になったのだから、それに責任を感じなくてもよいという考えも支持されるべきでしょうね。しかし、嫌われてしまったり、空気読めてないとか、立場を弁えてないという印象を相手に与えてしまうという事実からは逃れられそうにありません。そして、更に厄介なのは提案の時点で怒る人は決して少なくないということです。 おそらく、ご回答者さまの仰る”交渉しようという発想が無い人”というのは折衝が面倒くさいとか、折衝しなくても済むように提案して欲しいという考えの人のことかと思います。それが如何にも日本人的なんでしょうね。 島国でみんな大体同じ価値観で暮らしてきたことの積み重ねが、多様な価値観に対して感情的になってしまうことに繋がっているんだと思います。