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路面電車はなぜ東京にはないの?

地方に行くとバス代わりに路面電車が便利に動いてますが なぜ東京はないのでしょうか? 狭いからですか? 一応、都電荒川線が有りますが あれは王子駅付近で邪魔をしているだけで 便利ではないですよね。

質問者が選んだベストアンサー

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  • gsmy5
  • ベストアンサー率58% (1452/2496)
回答No.9

当時の国の方針で、公営の路面電車は廃止すべきと言ったニュアンスの時代があったからです。 バスと言うのが大量輸送機関として実用化されたのは早くて戦後で、それまでは都市内、都市間を問わず、ある程度の人を輸送できる乗り物は鉄道(路面電車を含む)しかありませんでした。そのため戦前からある程度の規模をもつ都市には、ある程度の輸送力を持つ乗り物として路面電車が作られました。都市内では道路以外に線路を通す場所がなく、路面電車が重宝されたのです。 ちなみに、西日本では古くから人口集積が見られたので、最初から経営が成り立ったのか民営の路面電車が多くみられ、東日本では公営の路面電車が多くみられました。大都市では、大阪は市営から開業しましたが、多くの都市では民営で開業したものを後に公営としたものが多かったです。 戦後は都市の復興に、路面電車が大活躍しました。しかし、昭和30-40年代になってまず都市部からマイカーが普及しだすと、多くの大都市で渋滞が見られ始めました。その原因は道路整備が車の増加に追い付いてなかっただけで、路面電車に直接の原因はないのだけれど、当時の国などは、渋滞の元凶は路面電車にあると決めつけていました。 また、戦後すぐの老朽化した車両や施設の更新時期を迎え始めた時期に、渋滞の悪化による経営悪化が見られ、これらの更新が思うに任せられなかったところが増えだしました。そんなことも原因にあったのか、世間でも「路面電車は時代遅れ」と言うイメージがありました。 そこで、国は公営交通の経営改善と言う名目で事実上路面電車を廃止してバスや地下鉄に切り替えた場合、地方交付税配分などで優遇する、路面電車廃止推進策をとりました。 これに伴い、多くの大都市と市営路面電車を持つ市が、路面電車廃止へ向け動きました。実際今でも残っている公営路面電車と言うのは、全廃へ向けて進んでいたのに後述の路面電車見直しの流れに沿って全廃しなかっただけです。(少なくとも札幌、函館、熊本などは全廃のつもりで進めていたのが方針転換になったはずです) これはあくまでも公営に関する施策だったので、当時既に大規模な路線を持っていた広島、長崎などの民間路面電車は廃止の対象となりませんでした。しかし、規模の小さな都市では旭川のように市や市民から廃止するように要望された都市もありました。 花巻などのように都市内だけでなく郊外と結んでいた路線の場合は、単純に経営悪化でバス化された場合もあります。 しかし、路面電車を廃止しても渋滞は減るどころか増える一方で、実は路面電車は渋滞の主要原因でなかった(一因にはなりえるが、廃止されたことにより「走りやすくなったと」より車が流入して渋滞悪化になったところの方が多い、近年では京阪京津線が廃止された三条通りなども渋滞が悪化したとされる)ことがようやくわかり、さらに石油ショック後は省エネルギーの面、路線のわかりやすさの面など多くの面で(バスやマイカーより)路面電車にメリットがあることが分かってきて、路面電車見直しの風潮となりました。 これにより、全廃を進めていたあるいは廃止を検討していた都市では、廃止(全廃)を棚上げし、残るようになりました。(しかし、わずかな延長を除き、新設されることはありませんでした。) つまり、東京など大都市の公営路面電車は、国の方針により意図的に廃止された。 地方で残っているのは、市営でないためその方針に関係なかったか、マイカー転移が遅れるなど、国の方針に沿う必要がなかったなどが理由でなんとなく残ったのであって、市が積極的に残そうとしたというわけではないとも言えます。(もちろん広島等でも廃止の動きはあったようですが、国策による廃止ではないので、市としての代替策が事実上とれず、とりあえず現状を改善する方向で進んだのが、廃止できなくなっていったという感じです。路面電車会社はもちろん残すために多大な努力をしました。) 荒川線が残っているのは、仰る通り路面の区間がほとんどなかったのが災いして(幸いして?)、無理してバス化するよりそのまま残した方がよいと判断されたためです。でも当時の東京はあくまでも「全廃した」と言いたかったようで、都電全廃(路線状況の異なる荒川線を除く)みたいな言い方をしていました。

その他の回答 (8)

  • kuni-chan
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回答No.8

 もし昭和30年代の地図を見る事ができれば路面電車(東京都が運行していたために都電と呼ぶ)がたくさん走っていたのがわかります。  東急も路面電車(玉電)を運行していました。  その後は車の増加で道路の混雑が激しくなります。路面電車を廃止すればその分道路が広がるので廃止すべきというのが広がり急速に廃止されていきました。  荒川線が残っているのは専用軌道が多く道路交通に影響をあまり与えない事から残りました。  私は便利に利用しました。地下鉄は階段が多いから。

  • Ichitsubo
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回答No.7

いや、ご自身で答え書いてますよね。 路面電車はなぜ東京にはないの、という質問の前提が間違っていて 東京にも路面電車があるんですから。 都電荒川線のほか、東急世田谷線も路面電車ですね。 世田谷線は道路上を走る軌道はありませんが、れっきとした路面電車です。 ということで、質問の前提が大間違い。

noname#252929
noname#252929
回答No.6

あなたが答えを書いていますけどw >狭いからですか? >あれは王子駅付近で邪魔をしているだけで >便利ではないですよね。 道路が交通量に対して狭く、道路交通の邪魔になるからです。 地方だと、逆で、道路が交通量に対して広く、交通の邪魔にならないから置いておけるわけです。 路面電車に乗らなくても、地下鉄のほうが移動時間は早いですし、細かいところは路線バスでたくさんのエリアをカバーしていますからね。 路面電車のほうが便利、というのはその路線周辺でしか言えなくなっています。

  • hue2011
  • ベストアンサー率38% (2801/7250)
回答No.5

東京都は、昔は市電、のちに都電と呼ばれるものが縦横無尽に走っていました。 あの漱石の「坊ちゃん」が教師をやめたあとに就いた職業が市電の運転士でしたから、一応花形職業だったのです。 クルマといえば人力車の時代だったのですが、大震災の大正12年以後、自動車と言うものが現れてきました。 そうすると、同じ道路を電車と自動車が平行に走ったりすることになります。正面衝突はないけど、すれすれで危ないこともよくあった。 道幅が狭い所では自動車が譲ってバックする必要がありました。 なぜかというと電車は逆走してはいけないという法律があったからです。 自動車から言わせたら、迷惑な存在です。 だけど、自動車を持って運転している人間は少なかったし、カネモチだと思われていたので、戦前は電車の天下でした。 戦後もしばらく、焼け野原、復興の地域でしたから、電車は便利だった。 電車は、駐車スペースはいらない、給油する必要はない、必ず走る、というものでしたから。 だけど、実際の道路を走りますから、まれに事故が発生しました。 転んでその足の上を電車が走って行って大けがになって松葉づえをしばらく使わなければいけなかった人に三代目三遊亭金馬という大師匠がいました。 この人はそれ以後も高座の前に上方みたいなテーブルを置いて足を隠して芸をしていました。 こういう有名人以外にもいろいろ怪我をしたり事故にあったひとは居たはずです。 でも自動車でも起きる事故だし、人力車に轢かれた人もいるという話もありますから電車だけをワルモノにはできない。ただあれが一番重たくて鉄だということが問題なだけです。 電車の動力は電力ですから、パンタグラフというものを使って、張り巡らされた電線からパワーを供給していました。 そうするとどうしても道の真ん中に電線が引いていないといけないことになります。 電車は、3.5メートルぐらいの高さがありますので、地上4メートルぐらいのところに電線がないといけないことになります。 こういう道路に、車高4メートルを超しそうなタンクローリーだとかは走ることができません。 トラックで荷物を積載する場合もそうですけど、何かがこの電線にひっかかったら大事故です。 ましてやクレーン車だとかは論外になります。 消防車もいざというときには通行に支障が出ます。 で、やめちまえという話が最初に出たのは1963年です。 この年号でお分かりだと思いますが、翌年が東京オリンピックです。 道を広くしたい、高くしたいというニーズが沸騰したのです。 それで廃止が始まりました。 次に、やはりオリンピックと連動したものと少し遅れたものがありますが、そのころ地下鉄の工事が盛んになりました。 営団線が下を通るから要らない、ということで1963年に1経路(今の丸ノ内線の上)が廃止、都営6号線(今の三田線)のため、大手町をタテに通るもの1966年に廃止。 東京都の財政問題があって、地下鉄があるならいらないや、不便だというところには都バスを走らせよう、ということで1967~1972までどんどん廃止していって、荒川線以外の全部がなくなりました。 都市部の路面電車で、今はないものとしては京都の市電がありますね。 年代がわかりますけど、私が修学旅行のときは、京都は市電であちこち回って見たものです。 今の、同じ名前の停留所が300メートルも離れておいてあるようなバスにくらべて不便だとは思いませんでした。京都は人気観光地だということにあぐらをかいていると思います。 ただ、京都に比べて都電はすごかったのだなと思うことがひとつあります。 傾斜や坂があるところでも電線を引きまわして電車を走らせた点です。 坂だらけの長崎だって、市電が走っているのは平地ばかりでしょう。

noname#211894
noname#211894
回答No.4

>あれは王子駅付近で邪魔をしているだけで >便利ではないですよね。 そのまんまですよ。

  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7193/21843)
回答No.3

地価が高いからです。 路面電車などをあちこちに走らせていたら、 ただでさえ狭く高価な土地を有効活用 できません。 それで、少なくなったのです。 その代わり地下鉄が発達しました。

  • SPS700
  • ベストアンサー率46% (15297/33016)
回答No.2

 むかしは各所にありましたが「あれは〇〇付近で邪魔をしているだけで便利ではないですよね」という人が居て、少しずつ廃止され、都電荒川線が残りました。  歴史は、下記などをご覧下さい。  http://homepage2.nifty.com/toden/line/map_line.html

  • sailor
  • ベストアンサー率46% (1954/4186)
回答No.1

以前は東京にも40路線ほどの路面電車があり、路線の延長も200Km以上あったんですよ。 ただ、交通の主体が自動車に移るにつれ廃止されていったのです。 路面電車は法律によりその最高速度が40Km/h以下に規制されますし、決して広いとは言えない都内の道路事情で路面電車のために車線を割くことが難しくなったためでしょうね。 その代わりに発達したのが地下鉄ではないかと考えています。地下鉄はほとんど場合幹線道路の直下を走っていますので、地上交通を阻害することなく割と緻密な交通網を提供できるので、地下鉄+バスという方式に移行したのでしょう。

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