• 締切済み

臨死体験?について

半年ほど前に経験したことで気になって仕方ないことがあります。 お恥ずかしい話なのですが半年ほど前、服薬自殺を図りました。その際に初めて、幻覚のようなものを見ました。私が大量に服用してしまった薬は筋肉の働きを弱めるような薬だったのですが、飲んで30分くらいしてから体に変化が生じました。 まず足の力が抜けて立てなくなり、体から何かが出ていくような引っ張られるようなかんじがして、その場に倒れ込みました。隣の部屋に家族がいたのですが、声が出ませんでした。 窓の外を見ると、庭が一面砂漠に見えました。そして男の人の声がして、おまえは死というものがわかっていない、おまえは苦しみ足りない、寿命はおまえが決めるのではないと言われ、朦朧とする意識の中でサバンナをかける動物の群れや、病院で治療を受けている人などを見せられました。 這うようにして布団に行くと、今度は黄色の壁の両側に永遠と絵画が飾ってある部屋の幻覚を見ました。そして、おまえは妄想の世界を生きたいのか現実の世界を生きたいのかどっちだと言われました。体を起こそうにも起きれず、足を何かに引っ張られるようなかんじがありました。死は無念であるということと、自分が生まれたくて生まれてきたのだということも言われました。そういった状態が半日ほど続きました。 今まで大量服用をしてもすぐに意識を失ってしまい目覚めると覚えていなかったりしたので、そんな体験をするとは思っておらず、驚きました。 死後の世界とか、神仏論も信じていなかったので、聞こえた声が自分の滞在意識か何かなのかなと考えました。 ただの幻覚に妄想が膨らんでいるだけかもしれませんが、砂漠や黄色い壁の世界(静寂とはかけはなれ、シンバルのような音が絶えず響いていました)といったワードが頭から離れません。信じてもらえるかはわかりませんが、似たような体験をしたり、文献で読んだりしたことがある人がいれば、お話をお聞きしたいと思い投稿しました。 よろしくお願いします。

みんなの回答

  • 783KAITOU
  • ベストアンサー率43% (1758/4022)
回答No.4

あなたの体験は、薬による幻覚が起こったのです。臨死体験ではありません。臨死体験は、2番の方がおっしゃっているとおりの記憶になります。最初は身体と精神の両方で生きようとして身体をバタバタという感じで動かします。 しかし、それが無駄な抵抗だと分かると身体の動きを中止します。その次に精神が働きます。生きようとします。しかしこれも無駄な抵抗だと悟ると全てが無抵抗状態になります。このときに、2番の方がお書きになっているように子どもの頃から今までの事を走馬燈のように思い出します。流れに身を任しているときです。そして、親しい人にお別れの言葉を言います。(無意識にです) その次に、美しい世界にからの招きを受けてそこに行こうとしますが中々いけないのです。この状態が、2番の方がお書きになっていた、顔を叩かれているときの状態です。又はその人の生きようとする無意識の働きです。そして、ついにあちらに行けずに現実の世界に戻る。と、いう生死の狭間をさまよう臨死体験をしたのです。尚臨死体験は4工程を経ます。身体と精神が2回ずつ抵抗とあきらめを繰り返します。

noname#210766
質問者

お礼

回答ありがとうございました。 かなり詳しく臨死体験について書いてくださっていて、勉強になりました。読んでみて、私が体験したことはやはり臨死体験の手前の幻覚だったのかなと思いました。 自殺未遂後入院したときに、火事を起こしてICUで10日意識不明だった人に出会いました。(自殺目的ではなかったそうです)その人は意識不明の間、川の向こう岸に亡くなった家族がいるのに渡れないというような夢?臨死体験?を見たと話してくれました。 他にも薬の多量服用で意識不明になった人、川に飛び込んで意識不明になった人などもいて話を聞かせてもらったのですが、臨死体験?をした人はいませんでした。何百錠も薬を飲んで胃洗浄をしても何も覚えてないので繰り返してしまうという人もいました。(信じていただけるかわかりませんが;) 人に感謝の言葉を残せるような生き方と死に方をしたいと思いました。 教えてくださってありがとうございました。

  • zebura23
  • ベストアンサー率30% (252/820)
回答No.3

おそらく、何度も服毒自殺未遂をしておられるようなので、最後の極めつけとして あなた自身がある目的のために、 自分自身で選んだ人生であることを理解させようとして 慈しみとともに見せられたものだと思われます。 いわゆる私たちの言う「死」とは、肉体的な死の意味でしかなく、 そこに宿っていた私たちの本質である意識には死というものはなく、 ただ自分という意識が肉体を出て行く時の移行があるだけです。 私の体験は臨死体験と呼べるようなものではありませんが、 お産の時、帝王切開をした時の小さな経験でしかありませんが。 切開手術の時、体のあちこちに麻酔の針が刺されたことは覚えています。 メスがザクザクと、下腹を横一文字に切り開き始めても痛みがなかったので、 麻酔が良く効いているなと思いました。 最初のメスの入った部分が少し固くて、医者の手に力が入ったのも知っています。 私は目を閉じて死んだように横たわっているのですが、 意識だけははっきりとしており、回りの会話もすべて聞いていました。 その会話から、その麻酔医が、私の緊急事態のために急遽呼ばれたことを知り、 私の体の上で謝礼が手渡されたことも知っています。 手術が終わり、私は別室へ移されて、昏睡状態になったようです。 その時見たものですが、黒と黄色の尖ったギザギザ模様ばかりが延々と うごめく非常に不快な場所に導かれて行きました。 そこで聞かされたのは、 「この世界には何の意味もない」というものでした。 ですが私は「それは違う」と思ったので、 「そんなことはない! この世界は生きるに値する世界だ!」と語気を強めて 何度もそう繰り返しました。 見たのはそれだけでしたが、 意識が戻った時、なぜか泣けて泣けて仕方がありませんでした。

noname#210766
質問者

お礼

回答ありがとうございました。 極めつけということは自分でも感じました。その前の自傷行為ではあまり痛みも苦しみも感じなかったのに、半年前の一件ではのたうち回るような苦しみと無念さと恐怖がありました。私は無宗教で死んだら終しまいという感覚で生きてきたのですが、自分が祖母や家族に会いたくて生まれてきたなどという声が聞こえてきて驚きました。夢ともまた違う、不思議な体験だと思ってしまいます。 ご自身の経験も話してくださってありがとうございます。私の周りではそういった体験をした人がなかなかいないので、勉強になりました。 回答者様が大変な思いをして生まれたお子さんが、回答者様に会いたくて生まれてきたという事実が本当にあればいいと思いました。そういう目に見えない縁とか愛情とか慈しみを、今は信じたいです。 ありがとうございました。

  • aria1881
  • ベストアンサー率10% (3/30)
回答No.2

初めまして。 服薬自殺と認識し、お恥ずかしいとの解釈を持たれるまで回復された・・ですよね。 私が体験したのはトピ主様と違い、自殺ではなく交際してた彼に首を絞められた時です。 その経緯は省きます。 抵抗しても力が緩まらないので、もういいや~的になりました。 ふっ~っと意識が遠のき、産まれてきてから(覚えてる)これまでの出来事が走馬灯のように、まるで映画を観てるような感覚でした。特に苦しいとかの感情はなかったと記憶しています。 その間がきっと数分程度だったのでしょうか、誰かが名前を呼んだんです。 その声は絶対に彼の声ではありません。 実際意識を失ってグッタリした私に驚き、顔を何回も叩いて名前を呼んだ・・と後からききました。 意識を取り戻した時にもの凄い疲労感・・・。 当然その彼とは終わりました。 が、それ以来なのか定かではありませんが霊感?を持ってるのかなと思う事が度々あります。 余計なお世話ですけど。 主様が体験されたことは、どんなことでも今後の為に必要だったんだ・・と思ってください。 無駄な体験などありませんから。

noname#210766
質問者

お礼

回答ありがとうございました。ご自身の大変な経験までお話してくださって、ありがとうございました。思い出させてしまって申し訳ないです。 自分の意思で死に挑む場合と、自分の意思に反して死に直面してしまった場合とは、全く違う体験をするのかなと思いました。私の場合はとにかく苦しく、走馬灯ではなく恐ろしい景色ばかりを見ました。 無駄な体験などないという言葉が心に響きました。 どうもありがとうございました。

  • catpow
  • ベストアンサー率24% (620/2527)
回答No.1

そういう臨死体験をした方は、世界に沢山いらしゃいますよ。 書籍としてもでていますので、大きな書店で探せばいくつかみつかるはずです。 そして、あなたが信じる信じないに関係なく、「あの世」や「神様」は存在します。 それは、あなたが月を見なくとも、月が存在するのと同じです。 なお、あなたが聞いた声は、たぶん守護霊の声でしょう。

noname#210766
質問者

お礼

私の話を信じて回答をくださってありがとうございました。 神も仏も死後の世界も一切を否定してとった行動だったのですが、初めて不思議な体験をしてかなり戸惑いました。守護霊が一人一人についてくれていたらいいなと今は思います。 ありがとうございました。

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