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【電車・東急電鉄の謎】かつて東急電鉄は関東の東急線

【電車・東急電鉄の謎】かつて東急電鉄は関東の東急線だけでなく京王線、小田急線、京急線、相愛線、江ノ電線も東急が所有していたらしいですが、なぜ東急電鉄は東急線以外を手放したのでしょうか?

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noname#230414
noname#230414
回答No.2

1942年陸上交通事業調整法に基いて「京浜電気鉄道・小田原急行電鉄」を合併して現在の 商号東京急行電鉄に改称。 1944年京王電気軌道を合併して大東急時代を築く。 戦後経済民主化による、過度経済力集中非排除法により会社再編成を行い1948年京王。小田急・京浜を分離して、一事業部門であつた東横百貨店も独立。 小田急について。 1938年電力国家管理法が公布され1939年国策会社日本発電が発足することにより、小田原急行電気鉄道の親会社鬼怒川力電気は得意先を失い経営悪化それに伴い小田原急行電気鉄道 も経営悪化して、東急に経営を託して小田原急行電鉄は経営再建の為に鬼怒川水力電気と合併して小田急電鉄となる。 京浜急行・京王は五島慶太の株の買占めによる買収。 乗取の五島慶太といつて、関東地方の鉄道や会社の株の買占めで手中に収める。 参考までに。

sonicmaster
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  • gsmy5
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回答No.3

第二次世界大戦中、政府は同一県内に複数の交通会社があると、政府からの軍に関連する交通への命令に支障するなど問題があると考えていました。 そこで、原則同一県内は交通会社が1社となるように合併等を進める法律を作りました。 この当時とて、さすがに民間企業を無理やり合併させることはできず、何らかの(積極的ではなかったかもしれないが)合意を得て行う形となったため、地域により合併の有無は大きく異なりました。(政府も軍事的に重要なところから優先しようとしていました) この当時の合併がほぼ今に残っているものとして、富山地方鉄道があります。現在も富山県内は諸般の事情で分離した加越能鉄道系(万葉線・バス)を除いてすべて富山地鉄です。 首都圏や関西圏では、同一県一社と言うわけにはいかず、地域内で数社にまとめるという感じで進められました。 その際、東急は鉄道省上層部と太いパイプがあったこと、元々会社を拡大することに積極的だったことなどもあって、戦時合併に乗じてかなり拡大したのは事実です。この時代のことを大東急ということもあります。 しかし、あくまでも戦争中の国の都合が優先されたせさくですので、異なるグループの合併等はやはりうまくいかないという声が大きかったようです。そのため、結局は戦後元のグループに分離されたというわけです。

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回答No.1

大きくは財閥解体の流れ。小さくは沿線が焼け野原になって経営が悪化したため。

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