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目には目を歯には歯を

目には目を歯には歯をはいけないこと? 理不尽に人を殺した人間は殺されるべきだと思うんですが違うでしょうか? そこに被害者や加害者の感情などは必要なく ただ「人間社会の秩序」のため「善良な市民の安寧」のために命を奪ったら命を奪われるという法則は必然だと思うのですが間違っていますか?

みんなの回答

  • 02140023
  • ベストアンサー率19% (82/416)
回答No.11

追記。 私は右耳を失聴しています。 だから残った左耳を失聴したら全聾となります。 では、私の耳を潰した加害者に対し、 >目には目を歯には歯を この理屈で処罰するとしたらどうすれば私が納得できると思いますか? 明確な答えは出せないと思うんですよね…。 殺人でも、単純に殺したから殺すというやり方では何らかの形でこういうアンバランスが生ずると思います。

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  • 02140023
  • ベストアンサー率19% (82/416)
回答No.10

盲目の人に目を潰されたらどうするか? 総入れ歯の人に歯を折られたらどうするか? これといった肉体的欠陥を持たない人から肉体的欠陥をネタに酷い侮辱を受けたときどうするか? これの答えが出せない以上はダメだと思いますよ。 それに自分の大切な家族が殺されたとして、その家族と家族を殺したゲス野郎の命の価値が吊り合うとは思えませんし。

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  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7193/21843)
回答No.9

"目には目を歯には歯をはいけないこと?"   ↑ そんなことはありません。 日本の刑法だって、やられたからやりかえす、という 応報原理を基本にしています。 問題は、生命を害されたから生命を、という同害 報復の是非ですね。 ”理不尽に人を殺した人間は殺されるべきだと思うんですが違うでしょうか?”       ↑ 違いません。 欧州などは、格好つけて、死刑を廃止したり していますが、そのため、殺人事件が激増して います。 10万あたりの殺人の件数ですが。 ・英国では 0,73件 → 1、11件 ・フランス 2,68 →  4,72 ・カナダについては、アムネステイインターナショナルは、  3,09 → 2,4 と減少したと発表しました。  しかし、これは 警官殺人と一般殺人を比較したもので  しかも、わざと時期を変えています。  時期を同じにして一般殺人と一般殺人をを比較すれば   1,25 → 3,03  とやはり激増しております。  尚、あの池上彰氏も、この数字に瞞されており、  死刑を廃止すると殺人が減ると主張しています。 ”そこに被害者や加害者の感情などは必要なく ただ「人間社会の秩序」のため「善良な市民の安寧」のために命を奪ったら 命を奪われるという法則は必然だと思うのですが間違っていますか? ”      ↑ 感情は必要です。 なぜ人を殺してはいけないのか、の理由を行き着けば それは被害者の感情に行き着くからです。 被害者の感情を納得させなければ、法に対する信頼が 失われます。 それが極端にまで進むと、法治国家の体をなさなく なる可能性すら出て来ます。 また、死刑による恐怖という感情に訴えることにより 威嚇力、犯罪防止効果も出てくるのではないですか。

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noname#218778
noname#218778
回答No.8

安倍政権下ではかなり認められ出してるかも。(´・ω・`)中世から続く絞首刑。

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回答No.7

 宗教色の強い国では、犯罪に対する処罰も厳しいものがあります。私はそれは正しい考え方だと思います。  日本では死刑を回避することが多いのですが、それは、(1)冤罪で死刑にすることを避けているのと、(2)刑務官の心理的負担をなくすためが主な理由です。  「秩序」のような曖昧模糊としたものを守るために死刑を回避している訳ではありません。法によって厳密に裁かれたものなら、法に従って正しく処刑するのが秩序だと思います。

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  • hk8854
  • ベストアンサー率16% (138/839)
回答No.6

目には目を的発想は、心情的には分かりますが それては法的秩序が保たれません。 目には目を的発想は昔の江戸時代の仇討ちの ようなもので厳密的にはやはり法的処置つまり 裁判によって厳格に裁かれるべきでしょう。

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回答No.5

Q、目には目を歯には歯をはいけないこと? A、私の考えでは、その精神は継承されるべきです。 【目には目を!歯には歯を!の精神とは?】 これは、「バビロニアを統治したハンムラビ王が発布した法典」(Wikipedia)の一節。そして、それは報復合戦に歯止めをかけた罪刑法定主義の明文化として重要な意義を持つもの。 【目には目を!歯には歯を!の精神を発展的に継承するとは?】 こういう「復讐の連鎖は断ち切らねばならない!それが社会的・市民的な秩序を維持する上で大事なこと」-紀元前1700年代のこのような「目には目を!歯には歯を!」の精神は、現代的に生きる我々はどのように受け継ぐべきか?、「目には目を!歯には歯を!」を字義通りに実践するというのでは、完全にその精神を理解できていないことは明らか。では、その精神の発展的な継承のあるべき方向性とは? まあ、こういうスタンスで「目には目を!歯には歯を!」の一節に着目すべきかと思いますよ。 1、一節を単に抽出して、その歴史的な精神を抜きに解釈することなかれ! 2、その精神を発展的に継承するというスタンスを抜きに安易に語ることなかれ! と、思いますよ。

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  • k205t
  • ベストアンサー率13% (345/2543)
回答No.4

日本の法律から言えば、確かに認めていません。 ただ言える事は、あなたが言っている事は、私も同じです。 もし殺されたら、同じような目にしたいですね。 そうしないと一生憎しみ等と一緒に生きていかなければなりませんからね。 自分でやるか死刑にしてほしいですよね。

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  • tracer
  • ベストアンサー率41% (255/621)
回答No.3

まぁ、そんな根拠のない持論を主張せずに、まずは歴史を学んでください。 ご存知のように「目には目を歯には歯を」とは、ハンムラビ法典に由来しています。 さて、では、なぜハンムラビ法典は滅んだのでしょうか。どこに問題があったのでしょうか。最低限、そういう知識を得てから持論を展開しても遅くはないと思いますよ。 そこにある問題は、あなたが納得できるかどうかではなく、それによって集団の制御ができるかどうかです。つまり、個人の道徳的価値観の問題ではなく、宗教であり政治の問題です。

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  • trytobe
  • ベストアンサー率36% (3457/9591)
回答No.2

「1人殺したら、1人死ぬ」というのは納得する人は多いと思います。 問題は、「2人殺したけど犯人一人」「1人を十数人でリンチ」というときに、「2人死ねない」「十数人のうち誰が死ぬ?」という問題。 次に、「後遺症が残る傷害事件」で、「もう1人後遺症が残る傷害行為で、2人介助が必要な人間を作ろう」という場合の理解を得ないといけない件。 最後に、自分の子どもが運転していた「自転車」で交通事故死されたときに、自分が死ぬか子どもが死ぬか。 この3点が全国民で共通見解を得られるならば、少年法の理念なくとも、ハンムラビ法典に戻っていただければ良いかと思っています。

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