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趣味は楽しいor苦しい?真剣に向き合えばどんな趣味でも苦しみは伴うものなのか?
- 幼稚園~中学生の頃まで漫画を描くことが好きで、毎日飽きずに描いていました。高校生からは小説や写真に夢中になって創作に没頭しましたが、思うような作品が作れなくて苦しい時間もありました。しかし、文章と写真を休止し他の趣味を復活させたことで心の明るさを取り戻し、料理や掃除もきちんとするようになりました。
- 趣味とは真剣に向き合えばどんなものでも苦しみが伴うのか、それとも心が苦しくなる趣味は本当の趣味ではないのか悩ましいです。文章や写真が私の生活の一部になっていたため、再開しないことに少し変な感じがします。
- 漫画を描くことや小説を書くこと、写真を撮ることは私にとって楽しい趣味であり、同時に苦しい時間でもありました。作品がうまくいかないと苦しい気持ちになりましたが、真剣に取り組むことで成長も達成感も得られました。しかし、精神的な健康を考えると休止することも大切だと思い、他の趣味を楽しみながら心を休めました。
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そうですね。 どんな趣味でも真剣に向き合えば、苦しみは増えてくると思います。 特に創作の分野の趣味は楽しくて、少々怖ろしい(汗) 創作分野の趣味で高く評価されて、仕事にしている人を 何人か知っていますが、その人たちは「楽しくない」と言います。 その人たちにとっては「評価が一番で、楽しいは二の次だから」と。 楽しいままでいたいなら、「求道者」になってはいけない、と。 momiji3blueさんの場合は、どうですか? 幼稚園~中学の頃は、漫画を描くのが好きで 高校では小説や写真を通して、自分を表現するツールを増やしました。 同級生の中には夢中になれるものが見つからず、 つるんでないと不安な子たちも多いでしょうに、 momiji3blueさんはひとりでいるのも怖くないぐらい 大切なものを見つけました。 だけど「思うような表現」を目指す道半ばで、 心がしんどくなってしまった。 momiji3blueさんの感性は柔らかくて、 苦しくなった理由を探し当てて、引き返して 「表現すること」をいったん置くことができた。 人と出会うことをもう一度やってみたら、 良い感じで自分を取り戻すことが出来てきた。 こんな言い方、気を悪くされるかもしれませんが、 momiji3blueさんは、これからもいっぱい悩むかもしれないけれど 文章と写真をいつかもう1度始める人なんだろうと思います。 でも取り組み方は高校生の時とはきっと違うでしょう。 表現もまた深まっているのではないでしょうか。 そして趣味でやっているはずなのに、心が苦しくなる時は、 心の黄信号が点滅しているのだと知っていると私は思います。
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- pct10968
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じじいです。 >思うような小説が書けなくて苦しい、思うような写真が撮れなくて苦しい、だけど好きだからやめられなくて続けて来ましたが、文章と写真と向き合うことにより精神を病んで来たのでしばらく文章と写真を休止することにしました。 14~15年前までモノ作りの設計を仕事にしていました。 その仕事の時には、アイデアが産まれない時は苦しかった記憶があります。 そう、正に産みの苦しみでした。 >それとも、真剣に向き合えばどんな趣味でも苦しみは伴うものなのでそょうか? アイデアが産まれない時は、忙しい最中に良く思い切って山に行きました。 中腹や山頂で、頭の中のオールリセットスイッチが入ると、一瞬にして雪崩のようなアイデアが出て来る時が有りましたよ。 そのような意味で、私にとって趣味は精神的ガス抜きでも有り、どう足掻いても道の開けない時の頭の中をオールリセットさせて絡まった脳の回路を繋ぎ直してくれる場でもありましたよ。 >心が苦しくなる趣味とは、本当の趣味ではないのでしょうか? 私も写真を撮りに山に行きますが、思うような写真が撮れるのは偶然とタイミングだと思っています。 それ故、なかなか良い瞬間に出会えない。 山頂で朝日を撮りたい時は、当然真夜中から登って行き山頂で朝を待ちます。 夕暮の一瞬は、これまた山頂で夕暮をジーっと待つ事になります。 でも、待ったからといって、必ずしも良い瞬間に出会えるとは限らない。 朝もやに煙る漁港や、朝霧の中の山や川、撮影ポイントは幾つか有ってもなかなか良い瞬間には出会えません。 自分が幾ら苦しんだ所で、気温や湿度など様々な条件が揃わないと「この瞬間」と思える瞬間に出会えないものだと思っています。 間違いなく言える事は、趣味は自分の喜びのために有るという事です。
お礼
ご回答ありがとうございます。 待ったからといって、必ずしも良い瞬間に出会えるとは限らない。 というのは風景写真のデメリットでもあり、 やりがいでもあるでしょうね。 人物は撮りたい瞬間を待つのではなく、創ります。照明のあてかた、衣装、ヘアメイク…。 カメラは、自分の生きがいですね。
> 心が苦しくなる趣味とは、本当の趣味ではないのでしょうか? > 真剣に向き合えばどんな趣味でも苦しみは伴うものなのでそょうか? はい。趣味はあくまで趣味です。それで食っていこうってもんじゃありません。苦しむ趣味なんて変です。 私の場合は趣味で陶芸をやっていますが、失敗したってそれも笑い話。出来不出来に他人の感想は頂きますが、気にもしてません。まぁ、皆さんお優しいですから褒めてくれますが。プロじゃないんですから本来なら自分の感想だけで十分です。陶芸家を目指しているわけでも、人間国宝になろうなんてことも考えてない。(笑) 自分の作ったご飯茶碗でご飯を食べて、自分で作った湯呑茶碗でお茶を飲む。別に国宝級のものなんか不要です。
お礼
ご回答ありがとうございます。 趣味はもっと上手くなりたいと思います。その向上心のせいか、どんな趣味を始めても、探求してしまいます。
- eroero4649
- ベストアンサー率32% (11074/34516)
趣味ってのは道楽ですから、楽しくなければやる意味はないと個人的に思います。しかし、あくまで趣味だから自己満足だけでいいとも思います。 料理が趣味なら、とにかく自分がやってて楽しければそれで十分です。しかしもし飲食店を始めるとなったら、「商売として黒字にしないといけない」というノルマなんかが出てきますから、苦しくなります。 質問者さんは何のために小説や写真をやるのかですよね。プロの物書きやフォトグラファーなら、「売れなければ意味がない」となります。売れるために自分が書きたくなかったりあまり気が進まない被写体とも向き合ってなおかつそれなりのものを提出しないといけなくなります。それがプロの宿命であり、ノルマです。 しかし「世間がどうだとかこうだとか関係ない。私は、私自身のためだけにペンを走らせ、カメラを持つのだ」というのであれば、よくいえば根っからの芸術家。悪くいえば社会不適合者ということになろうかと思います。 幕末のちょっと前くらいの時代に、前野良沢という人がいました。杉田玄白らと一緒に「解体新書」を翻訳した人です。実はこの人、語学マニアでオランダ語を始めフランス語などいろんな書籍をお殿様のお金(身分は武士だったので)で買っては翻訳していたのですが、驚くべきことにそうやって翻訳したものを一切世間に公表しようとしませんでした。実はほぼ唯一世間に公表したのが解体新書で、しかも前野良沢は最後まで出版に反対して「出版するなら私の名前は出さないで欲しい」といって手を引いてしまいました。 前野良沢がそこまで頑なに公表を拒んだのは、彼曰く「翻訳に間違いがないと確信がない以上、不確かなものを世に出すべきではない」という完璧主義によるものでしたが、これって考え方によっては単なる自己満足ですよね。私の価値観ですが、私は前野良沢は「プロフェッショナル」ではなく、単なる「オタク」だったと思います。
お礼
ご回答ありがとうございます。 私はただカメラと文章が好きで、 プロを目指してはいないけど、自分の納得のいく作品を創りたいです。
- ま ま(@mimomon)
- ベストアンサー率8% (257/3044)
真剣に向き合えばどんな趣味でも苦しくなるものだと思います。 質問者さんはスランプに陥ってしまったのかなと。趣味の範囲はかわってくるかもしれませんが、嫌いにはなれない趣味だと思いますよ。
お礼
ご回答ありがとうございます。 スランプなのかもしれないですね。 新たな趣味に癒されてるうちに、また始めるようになる気がします。
それを本末転倒と呼びます。 まあ例え趣味でも物を生み出すという行為自体は苦痛を伴う物です。 趣味はその結果生み出した物に如何に自己満足を得るかって事でしょうね。 それがないなら苦痛でしか有りません。 でも本末転倒に陥ってしまうケースは多いです。 多分日本人が真面目だからだろうと思います。 ブログを書くことが趣味となって気が付くとネタを探すのに必死になってるとか…。 ネタを得るために嘘をついたり、犯罪を起こしてしまう人もいますから…。 そこまでに負担になるならいっその事思い切って辞めてしまうってのも手でしょう。 また、いつかやりたくなる日が来るかも知れません。 そうなったらまたやればいいと思いますよ。
お礼
ご回答ありがとうございます。 満足のいく写真が撮れたら満足です。
その苦しみは好きだからこそ スランプに陥っためだと思う。
お礼
ご回答ありがとうございます。 好きだからこその苦しみなんですね。
- E-1077
- ベストアンサー率25% (3258/12620)
自分の基本的な生活が崩れてしまうようなことが起きるのはもはや趣味じゃないでしょうね 家事も出来なくなるなんてありえないです。独身だから出来るのでしょう? 私も多趣味ですが、苦しいことは確かにあります。結果が伴わないなど、苦痛はあります。努力も必要だし、それについて怪我など痛いことも沢山あるし。お金のこともあるし。 真剣だからこそ苦しい で、間違ってないんですけれど それもこれも誰かに強要されているわけじゃないんですから、自分でうまくコントロールしていかないと・・・ そこをどうすればいいですか?っていわれても困るんで(言ってないけどね) 苦痛の感じ方も人それぞれだから それが楽しいってこともあるだろうし 芸術なんてそんなもんだよ 強いて言えば、趣味はやらなくても死にはしないけれど、心がむなしくなるような感覚になるってことはあるよね。 うまく折り合いを付けていくしかないと思う
お礼
ご回答ありがとうございます。 ないと虚しくなるというよりも、生きがいを失った気分です。 趣味というより、生きがいなのかもしれません。
客観的には苦しんでるように見えても、その苦労を楽しんでいるのが趣味です。 難しいければ、難しいほど燃えるものです。
お礼
ご回答ありがとうございます。 苦労を楽しむ、そのくらいの余裕が欲しいです。
- whaihansei
- ベストアンサー率23% (227/983)
シニア男性です。 趣味が職業になれば悩みも苦しみもあるでしょう。 しかし趣味が過ぎて悩みとなってしまうのは本末転倒。 下手な横好きまでにしたらどうでしょうか。
お礼
ご回答ありがとうございます。 軽く楽しめる趣味があれば良いのですが、私は趣味でも高いレベルを目指してしまうので、純粋に楽しめないことが多いです。
- nopne
- ベストアンサー率17% (145/843)
あらゆる趣味に精通してませんが、 真剣に向き合えばどんな趣味でも苦しみが伴う気がします。 幸せや充実感は苦しみを排除した中に在る訳じゃないでしょうね。 そう言えば、浅田真央ちゃんも復帰しましたね。 ブランク期間を置いたり、リフレッシュする事も必要でしょうね。 なので、一旦捨ててみて別の事をやって距離をおいて再度自分がやってきたことを見つめ直す。 そうすると見えてくるものもあるんでは。
お礼
ご回答ありがとうございます。 一旦捨ててみて別の事をやって距離をおいて再度自分がやってきたことを見つめ直す。 大事な期間ですね。
お礼
ご回答ありがとうございます。 色々な人と接して、色々なものを見て、世界を広げていきたいです。 そしたら、またカメラと文章を再開する気がしてます。