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ああ、あの時が最後だったんだなと思う事
随分、過ぎてから、 「ああ、あの時が最後だったんだな」 と、しみじみ思った(感じた)事がある事は、どんなことですか。 人が関係している事柄の場合、どんな人ですか。
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俺は東京の大学に進学するために、20歳で実家を出て行った。入学して初めての夏、俺は二週間ほど帰省し、両親のいる実家での生活を満喫していた。暖かく、幸せな時間。そして東京に戻る日の朝、お母さんが駅のホームまで見送りに来てくれた。少し照れくさく、でも嬉しかった。いつもみたいにアホな話をしていたけど、電車が近づいてきた時、オカンは俺に1万円を持たせてくれた。「頑張りや!」と。ウチは裕福ではなく、家計ギリギリのところで俺を大学に行かせてくれていたから、その1万円が持つ重みは計り知れない。電車に乗り込み、俺がオカンに手を振っていると、オカンは何も言わず、寂しそうな顔で俺の顔をただただ見つめていた。 その二ヶ月後、オカンは突然死んでしまった。くも膜下出血でほぼ即死だった。意味が分からなかった。当時のことを思い出すと、今でも気が狂いそうになる。 俺にとって「あの時が最後だったんだな」と感じるのは、オカンが駅のホームで見せたあの寂しそうな顔。そして、オカンがくれたあの1万円札は、当時は考えもしなかったけど、オカンなりの餞別だったのかなと思う。穏やかだけど、どこか寂しそうな影があり、それでいて人一倍人情に厚い、俺ら家族だけに素をみせるような、そんな人だった。
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- eroero4649
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歌舞伎好きのカーチャンがある日、「平成中村座を見に行こう」と言い出しました。チケットがあって、一緒に行く予定の人が行けなくなったそうです。演目に興味はありませんでしたが、なかなかチケットが手に入らないものでもあるのでせっかくだからと見に行きました。 演目は「め組のけんか」で、これがあの十八世中村勘三郎の最後の公演となってしまいました。まさか死ぬとはまったく思っていなかったので、あれが最後の舞台公演だったとはね。
お礼
しみじみとしたその思いがより強く感じられたことでしょう。
- ok2775
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まだそう決めつけるのは少し早いかもしれませんが、この質問が 出ましたので回答させていただきます。 事実は小説よりも奇なり といいます それは先週の金曜日にそんな感じになりました。 苦労して探し出すことが出来た何十年も昔に交際していた 初恋の人に逢うことが出来たのは丁度1か月ほど前のこと、 (どうして探す気になったかというと、当時一緒になる つもりでいた二人でしたが、親の反対で泣く泣く別れ、 仕方なく彼女はお嫁に行きました。後でわかったのですが 行った先が、崖っぷちのようなところに集落があって 車さえ登って行くのが困難な急斜面に家が密集している ような所 だったのである。その場所を突き止めた時 彼女の暮らしや、健康がとても心配になってきたという のが理由です) 逢うことが出来たのがあまりにも奇跡的であったので、興奮が 終始おさまらず、その日は別れ際に言葉が残りました。 それで、その後2回ほど手紙を出しましたが返事が全くないので 思い切って電話をしたところ、お互いそれぞれの立場で するのがいいという返事でした。というのは二人とも 偶然にもボランティア活動に参加しているので、共通の話題 が話し合えると思ったからでした。 結ばれなかった二人でしたが、本当に長い間のセンチメンタルな 気持ちがこれで整理できたかなと思いました。 「ああ、あの時が本当の最後だったんだな」 と、なるのではないかと思います
お礼
こうした「ああ、あの時が本当の最後だったんだな」もあるんですねぇ。
- ミッタン(@michiyo19750208)
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好きだった人から「距離を置いて欲しい」と言われた時 今思えば「別れよう」の意味だったんですね… その後も仕事で会う機会がありましたが、気まずくて顔も見られませんでした
お礼
「距離を置いて欲しい」とは巧みな台詞だと思いました。
- heyboy
- ベストアンサー率21% (1852/8730)
誰かが死ぬ前に話しをした事ぐらいかな。 だいたい、自分と何かしらバランスの取れている人と 会話をしている時は 「これで最後になるのかな」と 覚悟しねければいけない年代になりつつあります。
お礼
御年所以の感慨と解釈させていただきます。
- 芙蓉の華(@purimuro-zu)
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仲良くしていた従弟だったのですが・・・ お互いに結婚してから法事以外で会う事は なくなり、 行き来もほとんどありませんでした。 歩いて行けるくらいの距離に住んでいたのですが、 何年も会う事はありませんでした----が 昨年7月半ばに偶然街で出会い、お茶しました。 「あなたとは随分長いお付き合いだけれど 2人きりでお茶を飲んだのは 初めてだわね」 と言って2時間位話し込みました。 その後メ-ルがあり病気で入院したことを知り、 2回お見舞いに行きました。 ところが1週間後病院で亡くなったことを知り 驚いてしまいました。 亡くなったのは 8月の半ばの事で久しぶりに会ってから、 1ケ月後の事です。 今思えば あぁ!あの時が最後だったのだなぁ と思いました。 何年も会わなかったのに急に一ケ月に3回も会い そしてその後なくなってしまった従弟を思い出します。
お礼
いとことの行き来は18歳頃を過ぎると遠退いて行く傾向に思います。 何年も会われなかったかたに、ひと月で3回も会い、そしてその後亡くなってしまい、悔やまれまれる思いと共に、「ああ、あの時が最後だったんだな」と思われたんですね。
- Jelly-beans
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よく 顔を見せていたノラ猫ちゃんたちを 急に見なくなる。 あのコもあのコもあのボスも… 寂しい限りです。(..)
お礼
猫とのそのような経験がありますので気持ちがわかりますね。
こんにちは。 亡くなった姑に最後に会った、 夕方のうす暗い部屋。 でもその時何を話したか、思い出せません。 先日、母の日が近いということで お墓参りに行きました。
お礼
今日母の日になりますね。
過去、自分に好意を寄せていた女性と 恋愛が出来なかった事。 今思えば後悔しています。
お礼
あなたも好意をお持ちだったようですね。
- 雪中庵(@psytex)
- ベストアンサー率21% (1064/5003)
協力隊でブータンに3年暮しました。 僕の任地は、協力隊事務所のある首都から、唯一の公共 交通機関であるバスで3日もかかる(ヒマラヤの尾根を 上り下りする山道ゆえ)、秘境・ブータンでもさらに 奥地の超秘境でした(タシガンの奥、ユンフラ)。 年1回の協力隊の会議と、本庁での打合せで、年に 数回はその苦行に挑戦しました(途中の村で訳の分から ないものを食って下痢した時は最悪<しかししばしば)。 しかし、その途中の2泊のうち、首都よりの宿場・トンサ の宿の1階の雑貨屋(下記写真)の店番の娘さんは美人で、 いつしか仲良くなり、日本からのプレゼントをあげたりし てました。 ただ、ブータンは(当時)テレビもなく、新聞も数日遅れ で届く情報僻地の分、人のウワサが一番早く広まり、 「首都の某協力隊員が店でコンドームを何ダースも買った」 というウワサが全国で笑い話になるオソロシイ所なので、 手を出せませんでした。 しかし帰国直前に立ち寄った時には、お互い妙な雰囲気で、 『これは‥‥』と感じたものです。 そして暗くなってから、隣の部屋に誰かが入る気配があり、 彼女らしい咳払いが聞こえました。 さんざん迷ったあげく、『いや、日本に帰ってちゃんと 仕事を見つけてから彼女を迎えに来よう』と、自分の臆病 に言い訳して、その日はそのまま寝ました。 日本に帰国して再就職したら、そのあわただしさの中で、 たまに手紙のやり取りをする程度になってしまいました。 3年ほど経ってサンデー毎日の企画に当選し、ブータンを 再訪しました。 懐かしい雑貨屋をのぞくと、彼女のお母さんがいます。 『あれ?どこかへ行ったのかな』と戸惑っていると、僕に 気づいたお母さんは、あわてて奥に彼女を呼びに行きました。 出てきた彼女と向かい合い、あいさつを交わすのももどかしく、 近況を聞こうとすると、彼女は「結婚したか?」と聞きます。 『これは「結婚してないよ」「私も」→ひしと抱き合うと いうパターンか?』と思いつつ、「俺はしてない。お前は?」 と聞くと、「した」とだけ答えてうつむいた。 ひきつった笑顔で「おめでとう」と口にしながら、心では 『さようなら』を言っていた。 ‥‥あの夜が最後だったんだなぁ(T_T)
お礼
教えていただきありがとうございました。
- 中京区 桑原町(@l4330)
- ベストアンサー率22% (4373/19606)
卒業式
お礼
手堅い大御所ですね。
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お礼
あなたの前向でいる姿勢をご両親はとても喜んで応援していたのだと思います。 万一困った時に、直ぐに駆けつけることはできないので、ご両親はそんな時の身代わりとして餞別と名を変え送ったのだと思います。