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優しい人になりたいです。

私は自分の行いが偽善なのではないか、優しいのではなく気が弱いだけなのではないかと思います。困ってる人がいたら力になりたいしその人の笑顔が見れるととても幸せな気持ちになります。けど本当は人に感謝されたいからとか、いい人に見られたいからという理由のもとで行動してるのかなと思っています。もちろん、そんな風に思ってくれるのは嬉しいです。 また、これは半年ほど前の話なのですが委員会の役員を決める話し合いをクラスでしました。その時、私が希望している委員会の人数がオーバーしてしまい私は自ら他の委員会に移りました。理由はじゃんけんで決めて負けるのが嫌だからというのと、希望した委員会に入れない人の悲しい顔を見たくなかったからです。私が自ら抜けると、他の子に「優しいね」って言われました。その子は私の理由を知らないと思いますが優しいという言葉が心に引っかかりました。全て計算で動いている自分が大嫌いです。 自分は優しいのか優しくないのか、考えれば考えるほど疑心暗鬼になりますが、少なくとも自分では私は優しいと思っています。そう思いたくないんです。人から良いように見られたいけどそんな願望をなくしたいです。 どうすれば心の綺麗な優しい人になれますか? 私は悪口を言わないようにしています。愚痴もなるべく避けたいです。しかしそれは人からの評価が下がるのを知っているからです。悪口を言われてる人の気持ちになると悲しくなるから言わないというのもありますが、やはり人からの評価が気になるからだと思います。 このような文章を書いてる時点でなんだかでとても心の汚い人間に思えてきます。 私にアドバイスをください。 回答お待ちしております。

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noname#209614
noname#209614
回答No.5

計算という言葉を使うとズルい印象かもしれないが、この場合は周りを見ている、しっかり考えていると捉えておく方がいいね。人は望んだようにしか生きられないもんさ。質問者はそのまま優しい人を目指していればいいだけだ。

syararu
質問者

お礼

回答ありがとうございます! 回答者様にそんな風に捉えていただけて嬉しいです! わかりました!私はここで回答してくださった方々の言葉を思い出して優しい人を目指していきます! 背中を押してくださって本当にありがとうございました!

その他の回答 (13)

回答No.14

新聞のコラム記事をご紹介します。 直木賞作家の朱川湊人さんが、中学の思い出として書いています。 1年の時、同級生に病気の女の子がいた。隣の席だった。欠席がちだが、 学校に来る時はいつも大きく膨らんだ学生鞄(かばん)を持っていた。 いつでも先生や同級生に教えてもらえるように、すべての教科書とノートを 鞄に詰めていた。遅れた勉強を少しでも取り戻すために。 2年でクラスは別になったが、ある日、あの鞄を持って歩いている女の子を 見た。鞄を持ってあげるべきだと声をかけようとしたが、(当時の)あの年齢 特有の「恥ずかしさ」でできなかった。 「少しの勇気を出すことが、あの日の僕にはどうしてもできなかった。」 数か月後、女の子は亡くなった。自分は意気地のない、口先だけの人間。 そう悔やんだ・・・・・・・・ というコラムでした。 人は、恥ずかしさや勇気、優しさ、後悔、反省、、、そういうことを抱きかかえながら 前に進むのではないでしょうか。

syararu
質問者

お礼

回答ありがとうございます! 切ないエピソードですね…。 当たり前ですが、私にもあとから後悔する経験がたくさんあります。 ですので、そういうことから前に進むとおっしゃっていただけたことが凄く励みになりましたし、生きる活力にもなりました! 本当にありがとうございました!

noname#226203
noname#226203
回答No.13

長い人生の中では育まれていきますので大丈夫ですよ。 「心のきれいな優しい人」を目指しているあなたは素晴らしいと思います。 ではどうやってよりあなたの理想に近づけるか、よく考えてみましたよ。 まず、心の優しいきれいな人は、幼少期に経験した育てられ方が多きく影響すると思います。 そういう人は、人の目やどう思うかを考えなくても自然に人を思いやる行動がとれるようになります。 何か目に見えない、確信とか自信が感じられます。信念というのでしょうかね。 またそういう人には「人の目を気にする」「人がどう評価するか」という概念が根本的にないのですよね。それは何も経済的に、あるいは知的に恵まれた環境の人だからというわけではないのです。 貴方のおっしゃる「他人の評価が下がるから愚痴や悪口を言わない」ということも、人の目を気にしてしまうためですよね。 人に優しく出来る美しい心を持った人に出会った事がありますが、天然にいい人でして、人の目も気にしないし、出しゃばり過ぎない、相手に負担がかからない程度に、でも相手が心がちょっと温かくなるような所作ができるんですよね。 ではどうすればこれからそういう人になれるのかな?というのがご質問だと思いますが、他の回答者様からのお薦めにもございましたが、色々な本を読んで知識や考え方を学ぶことも一案ですね。           それから、自分が人格的に尊敬できる人を見つけて、その人とコミュニケーションをとる事です。また、そういう環境に身を置くと、直に「綺麗な心を持った優しい人」を見るや接する事によってすごく学ぶ事が出来ますよ。 私は両親とも「愚痴、不平不満」を言わない家庭に育ったので、人が言っているのを聞いてもあまり反応できません。なぜなら、それを言ったところで何も解決するわけでもないし、他人事でも、聞いた自分もなぜか傷ついてしまう事があります。不平不満を聞いてしまう環境に身を置いている自分の責任を感じるからです。何がしたくて愚痴や悪口を言ってるのか、あまりよく理解できなところがあるのです。 「口に出すほど嫌だったらそういうシチュエーションにいなければいいのになあ」と単純に思うのです。 「人のために何かする、人目を気にする」という気持ちは持たない方がよいかもしれませんね。 「自分の意志と自分の責任で、これは人に当然するべきと思ったからやったまでのことで、他人からいい人と思われたくてやったわけではない」という考え方を根本的に持った方がいいでしょう。 自分がなすべきことは「何が人に必要か、何が出来るか」です。「人にしてあげる」「人からの評価」という概念はなくすと、貴方の理想に近づくのではないでしょうか。 かくいう私も、そんな立派な出来た人間ではないので人間まだまだです。 お互いに人間磨きを頑張りましょう。

syararu
質問者

お礼

回答ありがとうございます! 回答者様のおっしゃる通り、根本的にそういう考え方がないのでしょね。羨ましいかぎりです! 今までの概念を覆すことはとても難しそうです…。でも、人生の中で少しずつ無くしていけたらなと思います! 本を読んで考え方を身につけ、いい人と出会えるように頑張りたいと思います! 一緒に頑張ってくれる人がいてとても心強いです! 本当にありがとうございました!

回答No.12

夏目漱石さんの書簡集を読んでみれば、 ヒントが得られるでしょう。 〈ふろく〉 悪口・陰口は、人間的に卑賤な行為ですし、 愚痴は、品格・品性・品位に欠ける行為です。 (意識的に)言わない、あるいは、 避ける(ように努力する)としても、心の中に、 そうした想いなり情念なりが浮かんで来てしまうとしたら、 綺麗な心を持った優しい人ではないでしょう。 そういう次第ですので、たとえば、 【正しいことを言うときは 少しひかえめにするほうがいい 正しいことを言うときは 相手を傷つけやすいものだと 気付いているほうがいい    吉野 弘『祝婚歌』】 あるいは、 【 父がよく言ったものだ。 「理屈はそうだが、綾子、理屈だけで人間の問題は解決しないぞ」 「人を責めるとき、相手が申し開きのできないような理攻めは、いけない。 必ず相手に逃げ道をつくっておいてやるものだ」と。  また、こうも言った。 「理屈で勝ったからといって、人間と人間の勝負で勝ったとは言えん」  そんな言葉が、年を経て、ようやく、わたしにもわかるようになった。         三浦綾子 『小さな郵便馬車』】 のようなことを身に着けることから始めませんか。それには、 『祝婚歌』や『小さな郵便馬車』をの全文を読みながら、 極限思考することは有効でしょうし、それが済んだら、 この質問と同じことを、お父さまお母さまに訊いてみませんか。 身近な人からの貴重なアドヴァイスは参考になるでしょう。 意識して言わない、 避けるように努力するといったことを つづけていますと、日々、そうした エネルギーが蓄積されてしまって、 メンタルヘルスを損なってしまうか、ある日、 突然、爆発的に顕現してしまうことがない とは言えませんので、非常に 危ういことを知っておきましょう。 ときとして、鬼のようになれることも 優しさの要素であることを知ってくださいませね。 とにかくジックリと公立図書館等で 漱石さんの書簡集を読んでみてください。 All the Best.

syararu
質問者

お礼

回答ありがとうございます! おお!夏目漱石!読んでみようと思っていました!回答者様のお話を聞く限り理解するのに時間はかかりますが、文学にも人生のヒントがあるということがわかりました! そうですね、口に出して言わなくても心で思っていたら同じですよね……。 漱石さんの書簡集、読んでみます! 本当にありがとうございました!

  • manmanmann
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回答No.11

それでいいんですよ。 「やさしくなろう」とおもっても、そうできない人はたくさんいます。 でも「やさしくなろう」として「やさしくできる」あなたの性格は、立派な才能です。 「やさしくなろう」と思えるのも才能です。 他人の評価は、あなたの行動が決めます。 心の中でどう思っていても、ね。 それでいいし、人間なんてそんなもんです。

syararu
質問者

お礼

回答ありがとうございます! 才能ですか…?私、絵や音楽、運動とかそういう目に見えるものだけが才能の全てだと思っていたのでそんな風に言っていただけてとても嬉しいです! たしかにどんなに頑張っても最後は相手が決めることですもんね。人って単純なのか難しいのかよくわからない生き物ですね…。 しかし、今は私のこの才能をもっともっと大きくしていきたいと思います! 本当にありがとうございました!

回答No.10

そいういうように思える時点で心がきれいなのかなと思いました。 本当にきたない人はそうは思えないですよ。 自分のことしか考えてないですからね。

syararu
質問者

お礼

回答ありがとうございます! 心が綺麗とおっしゃっていただけて嬉しいです!ありがとうございます! しかし、私も自分のことだけを考えて行動している時が結構ありますし自分のことしか考えてない時があるのでこれからそんな部分を少しずつ無くしていけたらなと思います! お褒めの言葉、本当にありがとうございました!

回答No.9

syararuさん、素晴らしいご質問ですね。 結論から先に言うと、自己評価を変えるだけでよいと思います。 文章を拝見して、syararuさんはすでに心の綺麗な優しい人だと感じます。 ただ、そのように自分を評価できていないだけです。 「計算で動いている自分」との自己評価を、「心の綺麗な優しい自分」へと自己評価を変えるだけです。 syararuさんがこれまでされてきた行動を、心の綺麗な優しい人という観点で評価しなおしてみてください。 委員会の例は、「希望した委員会に入れない人の悲しい顔を見たくなかったから譲った」、優しい人とも評価できます。 「心の綺麗な自分にはふさわしくない行動だから、悪口や愚痴を言わないのだ」と評価することもできます。 このように悩むこと自体をとっても、本当の自分は心が綺麗で優しいから、「心が汚い自分は、自分らしくない」と感じてしまっているだとも評価できます。 過去の事実を変えているのではありません。 過去の自分の中に、「心の綺麗な優しい自分」の片鱗はたくさん見つかるのに、 それをあえて「計算高い自分」と捉えているのを、一度やめてみてほしいんです。 過去の中から、ありたい自分であった片鱗をたくさん見つけてください。 「昔から自分は、心が綺麗で優しかったんだ」と思ってみてください。 自分で物事をどう評価するかは、自分で勝手に決めていいんです。 他人の評価は、他人が勝手に決めます。 自己評価は、自分が勝手に決めればいいんです。 なぜ、私がsyararuさんに自己評価を高く持ってもらいたいかというと、 自分を高く評価するのは、あなたと、他人と、社会のためになるからです。 あなたが心が綺麗で優しいと自己評価をすることで、 あなたはきっと他の人を、これまで以上に助けたり、支援したりするようになります。 逆に、syararuさんが、自分を計算高い、心が汚い人間だと評価すれば、 他人の評価をさらに気にして、人助けをしなくなる可能性が高いです。 このような質問回答をしている人は、一度は自分を偽善者だと思ったことがあるはずです。 そして、自分を偽善者だと評価した人には、回答をやめてしまった人も多くいるはずです。 私も自分が偽善者だと思って、自分に嫌気がさしたら、回答をしなくなるでしょう。 私自身も偽善者かと言われれば、たしかにその部分はあると思います。 しかし、それだけのためにわざわざ時間をとって回答をしたりはしません。 偽善で満足感を得る方法は、ほかにいくらでもあるからです。 偽善者である部分もあるでしょうが、その他の部分もたくさんあるということです。 syararuさんも同じです。 「心が汚い」という部分に意識を向けているために、「心がきれい」という部分が見えていないだけです。 あなたが心がきれいだと自分を評価することは、あなた自身のためであり、今後、あなたが支援することになる人のためでもあります。 あなたが心が汚い人間だという根拠ではなくて、心が綺麗だという根拠を探してみてください。 少しでもお役にたてたら、幸いです。 ご質問、反論、ありましたら、ここで気軽にしてくださいね。 できる限りでお役に立ちたいと思っています。

syararu
質問者

お礼

回答ありがとうございます! 回答者様にそんな風に言ってもらえて本当に嬉しいです! 自己評価を高く…ですか。簡単そうに見えて難しいです笑でも自己評価は自分で決めていいんですもんね! ……わかりました!これからはプラスに自分を評価してみます! とても勇気づけられましたし、心があったかくなりました! 本当にありがとうございました!

  • satouenn
  • ベストアンサー率13% (286/2073)
回答No.8

計算して優しくしている、のではなくて、その場全体の最良の解決方法を自分が選んだ、という風に考えれば良いのではないでしょうか? 悪口や愚痴も、そのようなことばかりいう人と友達になりたくないのは誰しも同じなので、評価云々抜きで考えて大丈夫なこと。 ちょっと違う理由を考えてみるようにすれば、損得、という考え方から離れられるのではないでしょうか。

syararu
質問者

お礼

回答ありがとうございます! 考え方でこんなにも気が楽になるんですね…。なんだかマジックみたいです笑 回答者様のいうとおり、考え方を変えるだけで損得という考え方から抜けられました! これからは自分のしたことを一度頭の中で整理してみようと思います! 本当にありがとうございました!

noname#207785
noname#207785
回答No.7

逆説的ですけど、あなたみたいに自分のエゴを自覚してる人こそ、ほんとうにやさしい人です。 偽善者はそんなこと思いませんもん。 「せっかく」とか、「人のため」とか平気で口にする。 誰だってエゴイストです。 大事なのはそれを自覚しつつ、少しは人のために行動するか、自覚しないで独善的になって迷惑かけるかです。 たしかにあなたは自分のために行動し、計算ずくです。 でも、それでもいいんじゃないでしょうか。 たとえば、お年寄りに席譲る時、「いい人に見られたい、感謝されたい」って思ったって、実際相手は助かってる。 心が偽善でも、結果は利他になってるんならいいでしょう。 それに自分の行為が偽善だと自覚していれば、たとえ感謝されなくても、「まぁ自分が勝手にお節介しただけだしな」って思えるし、「せっかくやったのに」って暴走することもない。 今のまま、自分の心理を客観視しながら、行動すれば問題ないでしょう。

syararu
質問者

お礼

回答ありがとうございます! 優しい…ですか?そう言っていただけるのはとても嬉しいのですが、そういう答えを望んでこの質問を出したという計算の元で成り立っている気がして…。このことでよく疑心暗鬼になります(T . T) たしかに、私がどう思おうと、相手が助かっているならそれでいいのかもしれませんね。 しかし、暴走はしてしまうかもしれないので気をつけようと思います! 本当にありがとうございました!

noname#235638
noname#235638
回答No.6

人間は、そんなもんじゃないでしょうか? だから割り切る・・・のではなくて 純粋に心の綺麗な優しい人、だけでは生きてゆかれません。 その今の気持ちは、将来の宿題としてとっておく。 そして、自分に余裕ができたらあらためて考える。 心の綺麗な優しい人は それなりの経験がないとダメです。 じゃないと、うわべだけの優しさになってしまう。 心の綺麗な人・優しい人は、嫌な経験が自分にあるから 人にはしたくないな・・・と考えて その人に合った対応をする、だからできる。 今はまだ勉強中、でいいのではないでしょうか。

syararu
質問者

お礼

回答ありがとうございます! 将来の宿題ですか…なるほど。いろいろな経験をしてこそというものには納得です! まだまだこれから時間はありますし、ゆっくり考えたいと思います!そしてたくさんの経験を積んで、いつか優しい人になりますね! 本当にありがとうございました!

  • IDii24
  • ベストアンサー率24% (1597/6506)
回答No.4

優しいの基準は人それぞれです。厳しい人を優しい人と思えるときもあります。ただ一般に優しいことといわれていることをする人は「偽善」という言葉が付いて回ります。でもそれをもしてその行為をするのであれば自分の意志でありポリシーなんだということです。ポリシーは人から言われて変えるものでは無いし、どう思われても通すものです。 例えば悪口を言う人はなぜ悪口を言うのか。それもその人のポリシーなのです。悪口を言うことで自分の中で納得できるものがありからそうしているのです。その一方で悪口を言わない人は悪口を言わないことに納得して自分の意志でそうします。要するにどちらでもよいのです。社会的に大多数の同意を得れる方を選ぶことが偽善であるなら、それもポリシーであり、あえて社会的に同意を得られない行動をえらぶのも大変な勇気です。 だから自分の方向性は自分の好きなように決めればよいので、他人はほぼ関係ありません。人の役に立ちたいというのもポリシーであり、それで助かる人はそれに乗っかればよいし、余計なお世話と思う人にはそれは悪意でもありますよね。 そういう風に社会通念と自分とのギャップを埋めていく作業というのも人間が人間同士で暮らしていくには必要であり、それは他人との距離を見極めるというスキルですので、どのように行動するかはそのスキル如何です。ただ一つ言えることは自分の想定外な影響を周りに及ぼすなら、それは是正するべきなのです。

syararu
質問者

お礼

回答ありがとうございます! 自分のポリシーならどう言われても通しますね!私には良いか悪いか、ただそれだけしか頭になかったのでこういった視点で捉えることのできる回答者様が羨ましいですし、尊敬します! わたしも様々な視点から見て、最良な方法を考えていきます!! 是正ですか……。そのまま黙っていてはダメですよね。頑張ってみます! これからは様々な人のポリシーを理解して行動していきたいと思います! 本当にありがとうございました!

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