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お守りの指輪が行方不明になってしまいました
前厄なので、お守りがわりにピンキーリングを購入しました。(2万円ぐらいの) 一日中つけているのですが、お風呂の時ははずしています。 昨夜、風呂から上がって3時間ほど経ったあと、指輪をしてないことに気づきました。 いつも洗面台においているのですが、ありませんでした。 かなり探しましたが無く、家族にも聞きましたがダメでした。 しまいには家族にも気分が悪いと叱られる始末… ついていません。 今日は仕事が休みだったのですが、一日中不安で、 指輪が無くなったことが悲しくて、最悪でした。 どうしたら前向きになれるでしょうか。 よろしくお願いします。
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- tkycpt
- ベストアンサー率7% (69/901)
忘れたころにひょっこり見つかるということもあるので、そんなにショックを受けないようにしてください。
- manmanmann
- ベストアンサー率12% (535/4296)
愛用しているものが壊れたり、なくなったりしたときは、あなたのかわりに悪運を遠ざけてくれたのです。 悪運が遠ざかったら、ひょっこり出てくるかもしれませんよ。
- kngyk
- ベストアンサー率6% (72/1055)
ものには終わりがあるので、それが早かっただけと思いましょう。 まだ、指輪でよかったと思います。
- HARU-0321
- ベストアンサー率40% (27/67)
みなさんがおっしゃっているように、無くなってしまったものに感謝しながら、次のものを身に着けて前に進むといいのではないでしょうか。 ミサンガなどのように切れた時に願いがかなうと言われるものもありますから。 気の持ちようです。
- ootemon
- ベストアンサー率13% (558/4273)
そろそろ今の自分に似合う、新しい指輪を自分のために買ってもいいんじゃないの?わしはもうここらへんでお暇するわ、じゃあの。 ってことですよ。
- 177019
- ベストアンサー率30% (1039/3444)
物が無くなった事は誰でも悲しいし、悔しい思いもするのは当然です。「前厄」、「厄」ってどのような意味を持つものかご存知ですか?「厄」というのは「神道」だけがいう事で、仏教では「厄」はありません。そして、これは一つの人生の節目、区切りにおいてのいわばある意味で言う「警告」なのです。それぞれの区切りにおいて健康で、病気に負けず健やかに暮らして行くという、簡単に言うとこんな事なのです。貴方は「この御守りの指輪が私を守ってくれる、厄を何事も無く無事終わらせてくれるもの」と一種の思い違いをしているのでは?と私は思います。指輪は所詮指輪なのです。装飾品の一つに過ぎません。極端な話ですが、お米と炊飯器を目の前にして、「どうかご飯にして下さい。」とお祈りしても絶対にご飯になりません。それは炊飯器のスイッチを入れないからです。このスイッチを入れるという事が、人間の知恵なのです。幸、不不幸の原因を自分以外のものに転嫁してはなりません。そして幸せを切り開いて行くのは自分自身の生命力なのです。待っていても永遠に幸せはやって来ません。スイッチを入れるというその第一歩を起こす事が貴方を変えていきます。私から言わせれば、そんな2万円の指輪を買うよりも、一流レストランで食事した方が、こんな嫌な思いもせずに済んだと思います。
きっとあなたにはその物に頼るということが必要なくなって独り立ちできるようになったということでしょう。
- kurukuru-maru
- ベストアンサー率32% (619/1921)
先の方と同じくです。 お守りやお守り代わりのものが無くなったり壊れたときは 守ってくれたんですよ。 感謝してお礼を言いましょう。
- lunatism
- ベストアンサー率33% (197/594)
きっと身代わりになってくれたのでしょう。 感謝して、新しい指輪を購入したらいいと思います。