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ゆとり世代の問題点を教えてください
ゆとり世代は、組織になじまないと言われています。 実際に、丁寧語が話せなかったり、ためぐちで物事を話したり、目上や上司の人にたいする礼節がまったくないといわれています。 これには、マスコミやテレビの普及で、芸能人たちが日常的に暴言をはいてる言葉遣いをそのまま会社や組織で使ってしまうからだと評価されていました。 この問題について、ゆとり世代の言葉づかいに問題があるのではないのかと思われますが、事情通の方たちはどうお考えですか、ご教示ください。
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ゆとり世代の子を持つ者です。(最もすでに何年も会っていませんが。。) >根本的に ゆとり世代に かけている情緒面があるように言われています。 >この原因は、何故なのかを教えて欲しいのです。 ひとえに学校の教育方針の変化が原因です。 私の子供がまだ小学生だった頃、授業参観やP.T.Aの会合などで何度か学校を訪問したことがあります。 その際に非常に驚いたのが教師が生徒を呼ぶときに「さん」付けで呼んでいることです。 これってはっきり言って個人の尊重を勘違いしているとしか思えません。 生徒にとって教師は目上の人のはずです。 それが目下の者に対して「さん」付で呼ぶから生徒は自分と対等だと思ってしまう。 私が小学生のころは先生は非常に怖い存在でした。 怖くて優しくて、そして知識が豊富な尊敬できる人のはずでした。 だから間違ったことをしたり、ルールから外れたことをした時は怒られました。 今じゃ許されないことですが、ビンタされたこともありますし、廊下に立たされたことも有りました。 そうやってなぜ自分が怒られたのかを反省させられたものです。 それが今じゃビンタどころかチョークを投げられるだけで「体罰」だと騒がれ社会問題になってしまいます。授業中に騒いで授業の邪魔をしても廊下に立たされることもありません。 そんなことをしたら父兄が目の色を変えて教師をつるし上げますから。 でも、子供の内にそういった集団生活でのルールやマナーを身を持って覚えないと、社会人になってから社会生活のなんたるかを理解できないと思います。 まだ、先に上げた、本来目上の者が自分の事を「さん」付けなどで呼べば、目上の者を尊重する意識も生まれません。 そんな教育を受けて育ち、それが当たり前だと思っている人が、社会に出たら、学校と実社会とのギャップに陥ってうまくいくはずがありません。 実社会に出て会社に就職したら、上司は自分のことなど「さん」付けで呼んではくれません。全て呼び捨てです。 逆に部下が上司にタメ口を聞いたら、上司としては舐められてると思い激怒するのは当たり前のことです。 それがゆとり教育を受けてきた人たちには理解できない人が多いと思うのです。 また、会社のルールから外れた勝手なことをしたら、廊下に立たされるどころか上司の責任問題になりますから、当然上司は部下に厳しく当たります。 でも、そんな状況を学校で経験していないのだから、耐えられるはずがありません。 結局耐えられなくて退職するのがオチです。 そうやってせっかく就職できた会社も、他人から見たらとてもつまらない理由で退職、その後当然いい仕事など見つかりませんから、アルバイトや派遣の仕事に甘んじることになります。 でも、これって結局は自分自身の責任なんですよね。 同じゆとり教育を受けてきた人でも、学校と実社会は違うと認識して、実社会での世渡りを身に着けた人は上手くやってます。 私たちの世代は小学校の頃からそういった上下関係を教えられてきました。 でも今の人たちはそれを教えてもらっていません。 ある意味、かわいそうな世代だとは思います。 そしてやはり最終的な責任はゆとり教育と言う、本音で言うと教師たちが週休二日と言う普通の社会人並みの待遇を求めた弊害にあるかと思います。
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- eroero4649
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>実際に、丁寧語が話せなかったり、ためぐちで物事を話したり、目上や上司の人にたいする礼節がまったくないといわれています。 こんなの、ゆとり世代の親くらいの世代になるのかな?「新人類」と呼ばれた世代の人たちからこっちはずーっとそういわれて続けています。 最近は、言葉や礼儀を知らない中高年が急速に増えてきました。こっちのほうが大問題です。昔は、礼儀作法にうるさくまた詳しいお爺ちゃんお婆ちゃんというのがどこにでもいました。「こういうときにはどう振る舞うのがお作法か」ということを知っている人があちこちにいたのです。しかし今はお作法を知らない中高年が目立つようになりました。 言葉を知らない中高年も増えています。NHKが「部長も飲み会に来てくださるのですか?それは枯れ木も山の賑わいですね!」という発言のどこが問題か、と新橋のサラリーマンに聞いたら、答えられないおじさんが続出していて私は愕然となりました。 考えてみれば、まだちょいと昔は作家の藤本義一さんや遠藤周作さんのような知識が豊富でウィットに富んだ教養あるおじさんがいましたが、今はもう教養あるおじさんは絶滅危惧種です。 大人に教養がないのに、若者にモノを知らないなんて説教したってしょうがない。 東京メトロが作ったマナー啓発のポスターにクレームが入ったそうです。それは「横入りはやめよう」というもので、ポスターには列に並ばずに横入りする若者の姿が描かれていました。 このポスターにこんなクレームが入りました。 「今どき、横入りする若者なんていない。若者が横入りするという勝手な思い込みに基づいている。実際に横入りするのは中高年ばかりだから、中高年を描くべきだ」 ごもっともで、グゥの音も出ません。
お礼
質問には答えていただけてるのでしょうか 本論とは無関係な回答を書き込む世代のかたでしょうか
訂正があります。私はユトリ世代ではございません。現海外在住中の30代。 訂正とは、【実際に、丁寧語が話せなかったり、ためぐちで物事を話したり、目上や上司の人にたいする礼節がまったくないといわれています。】の部分。 数年前までは社会人として日本で暮らしていました。とはいえ、22には別国に移住してましたが(笑) 。けれど、あなた世間がおっしゃられる【】内のことをしていましたこと事実です。でも丁寧語に関しては時と場合によって使い分けができてました。私見ですが、ユトリ世代の本当の欠点とは [使い分けができない]と[割り切られない]というところにあると私は思うのです。それ以外のタメ口というのはフレンドリーに敬語は要らないというだけのこと。上司と自分の間に距離感を設けないフレンドリーにタメ口が必須な場合もある。分かち合うためにもです。けれど、今社会はそれすら抹殺してしまった……正直悲しい世界です。自分の目上からタメ口を許可されれば何ら問題のないこと、これが部外者から見れば異質に思われてしまいますが、間違っているのは目下が許可なくタメ口で話すということが使い分けできない証拠と言えます。
お礼
ありがとうございます。 どういうふうに 使い分けができない と 割り切られない ところがあるのでしょうか 具体的に ご教示願えれば 幸いです。
- IMABAYASHI(@IMABAYASHI)
- ベストアンサー率8% (9/101)
礼節なんてものは、社会にでてから身に付けてもいいのではないでしょうか? 組織に馴染まないというのも、今までが馴染みすぎていたともいえます。
補足
無論 礼節は社会にでてからで 遅くはないのですが、 根本的に ゆとり世代に かけている情緒面があるように言われています。 この原因は、何故なのかを教えて欲しいのです。
- ゆのじ(@u-jk49)
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ゆとり教育によって学力に大きな差が生じ、学業を終えた後の収入格差が大きく広がった。 つまり、公立小学校で土曜が休日になったりした時、一番喜んだのは、トップクラスの塾に通っている子たちでした。例えば、公立小学校なら、各学年で数人しか入れない会員制(試験で受かって入塾した正会員と準会員)の塾の場合、学校での授業は全く眼中にありません。小学校の授業レベルのことは、みな、とうに完璧にマスターしていますから、授業さえも殆ど無意味だったのです。無意味だった授業の内、土曜日だけでも休みなら、その日は一日中、塾での勉強、塾からの課題に集中できます。土日の二日間を全て塾に捧げることが出来ますから、その種の塾に通う子との学力差はどんどん広がりました。二日間を遊んで過ごす子と、目一杯、朝から晩まで勉強をする子との差が広がっていきました。 教育そのものが格差拡張のシステムを内包していますのに、ゆとり教育による自由時間の拡大が、格差を更に広げていたのです。
お礼
ゆとり教育で使われる時間配分の個人差によって、謙譲語や丁寧語を会話ベースで話せることもたちがすくなくなったということでしょうか
- ext1219
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ヘイトスピーチ?
- k205t
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まず世界的にも低いですね。 ゆとり教育の前は、世界的にも頭の良さが上位でした。 それに我慢をしらないです。だからすぐに会社を辞めたりする人が多いのです。 バカが多いと言う事ですよ。これは国の責任です。 ゆとり教育を廃止するべきです。
- okwavehide
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誤った教育政策と中途半端な教育を受けた可哀想な世代でもあります。 一般的に学力は低く、社会性はいたって劣るといわざるを得ません。
お礼
教師たちが週休二日制を取得した結果、授業日数が足りず、人格形成に必要な道徳授業もおろそかになってしまったのでしょうか