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今日は、お彼岸の中日でしたが不思議な体験をしました
家のお仏壇に今朝水とお茶を上げていて滝谷不動尊から信仰していた亡き母に送って頂いたおせんこうをロウソクでつけていたらピカット光る物が利き腕の右手に落ちたのです。よく見ると金粉小さいものでした。今紙にはりつけています。本日は弘法大師さんの日なので信仰していた亡き母の導きかと思っています。勿論おはぎもお供えしました。お詳しい方お教えくださいませ。何卒よろしくお願い申し上げます。
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補足拝見しました。 私は霊感ありません。勘違いしないでくださいませ。 現在の人たちがどうこうって、そういうことをここで論じたいのですか? それって本題からそれてますよね。 非常に気分悪いです。 自身では気が付いてないだけで、あそこまで書かれると、誰が読んでも、自慢にしか聞こえませんよ。 人生の歴史を細かく説明されても、回答者たちは有償のカウンセラーではないんですから。 あなたの生活がそんなにおつらいなら、一度、プロの心のクリニックや心療内科を受診されてもよいのでは? あなたや私がしてきた特別な供養は密教の(表にはでてこない)一部です。「裏」には「裏」のルールがあり、個人的にしか伝承されません(ネット上で言うことではないんです)。そのことは、私の先生はそのように言いませんでした。逆に知りたい人がいたら教えてやれと言われてきました。ですが、先生の教室外(神仙道、イタコ、ユタ、他)の世界の人たちと会話していくうちに、うかつには口にできないと悟ったんです。 もともとのご質問は、光るものが現れ、それをあなた自身の勝手な判断で、母親の導き(何の導きとは明確ではないようですが)だろうかなあと感じたけど、「詳しい方お教えくださいませ」で、何を?教えてほしいのかはっきり書いてない。 けど、さっするに、自身の感じた母親の導き(何の導きとは明確ではないようですが)だろうかなあと思ったことは、それでよいだろうか? (あの世を)理解して下さる人がおられましたら、教えてほしいんです、ということか?と思いました。 それで、私の回答は、再三再四になるけど、 不思議な現象を見たのはtakachanさんで、takachanさんが自分でそのように感じ取ったならば、それが正解なのではないかしら? です。 ご自分に自信持ってください。 神も仏も霊も、こんな不思議な現象を現せるってことは、「見せてる」のである。 見せてる=見る人がいる からです。 誰も見もしないのに、不思議な現象をおこすわけがない。でしょ?ちがいます? セラピスト、カウンセラーなら、あなたの発言を、分析してくれるでしょう。 あなたは、思い込みが激しいようですので、私の回答では心をほぐしてあげられません。 力不足で申し訳ありませんでした。 プロの医師、または資格者ならば、分析の上、あなたに説明してくださるでしょう。
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金色のコナだから、金粉とは限りません。 金箔など本物の金(純金や、金含有率が高い18金や14金、9金など)のカケラ、粉が空中から出現するわけがありません。 あなたが見たものは、おそらく、汗か、火花から作られてしまった固形物質でしょう。その色が金色だっただけでしょう。 よく、汗をかくと金色のつぶつぶが手のひらなんかにでます。 似たような質問がありました。サイトを参照してください。 http://okwave.jp/qa/q4811693.html
お礼
有り難う御座いました。
さらなる補足文他を拝見しました。 ・takachan様が何教だろうと関係ない話です。(家は浄土真宗だそうですが・・・。何代前の落ちた先祖を供養をするというのは密教です。堕ちた先祖をわざわざ探し出して、上にあげるやり方を私もやってましたんで。) ・私も日本人ですから、日本の文化にはいろいろ思い入れがあります。 ・ここで、takachan様の人生の経緯を知ろうとは思いませんし、先生と仰ぐ人のイニシヤルがMさんなのかも無関係なのでサイトに書いてほしくないです。阿闍梨だろうと肩書がなかろうと関係ないです。ユタやイタコさんは手を合わせてやってますよ。それに、ここはそのような自慢の場でもなければ、質問者と回答者が論議かわす場でもありません。他の回答者様への補足や礼文を見てても、たいへん気分が悪いです。質問をしてるのか、自慢してるのかわからないようになってますよ。(質問とは直接関係のないことを書かれても困ります。) 立派ですねといってほしければ、いって差し上げます。仏様に対して、手間暇かけるなんてなかなかできることではないですから、見上げた心がけですよ。(でもあなただけではないことをお忘れなく!。ユタさんらも白玉団子作ってオガミしますよ。もっと重々しくね。) ひとそれぞれ、思うことは十人十色ですから、誰にアドバイスもらっても頑としてほぐれないのでしたら、お好きなように。 ですが、お話をきいてますと、どうも凝り固まってるというか、偏ってるように感じましたので、もっと、その呪縛から心を解き放っていただきたいですね。 それで、今の枠から飛び出してみて下さい。 きっと違う見方ができると思います。 肩書や、物品、金銭、そういうものにとらわれすぎです。 何度も言ってますように、心がともなわないと、意味がありません。 美輪さんとか、木村静子さんとかの本もよまれるといいです。 takachan様の目からウロコが落ちますようお祈りしております。
補足
私は、お金にも執着していませんし、自慢もしたくないし誰にもほめてほしくもないです。今の時代庶民の生活は、大変です。ささやかな先祖供養も出来ることしかできません。今の現実を直視すべきです。祈祷師は、脅かし困っている人からお金を多額に取り金持ちかも知れませんが。先立つものはお金です。義務感だけでは続けられません。真心がなければ、心の行です。自分のしていることが一番正しくて唯我独尊では困ります。霊感が有るから偉いと目線が高くなり、見下げたりするのは間違いです。人間神様ではないのですからね。霊感がおありになれば今の私の生活がわかるはずです。霊感は本当に当たらないと価値が有りません。伝教大師の教え『一隅を照らす』のお坊さんがほとんどいないと思います。日々御先祖に手をあわせ、粗飯を食べる前にお水とお茶、夕方には神様とご先祖に温かいご飯をお供えしているだけです。
補足、お礼の文章をみました。 私は怒っていません。とありますが、他人から見て、既回答者様方に、そうとうに不服(反抗)的なことを書いてらっしゃいますがね。 要するに密教でしょ。私もです。もっとえいば、うちは寺ですが、親たちは幽霊を見たこともない、声を聴いたこともない、不思議な体験をしたことがないので、自分の目で確かめてないから信じてないですよ。 私は何度も体験してるから、信じざるをえないだけ。 真の霊能者ってなんですかね? 肉体もってるからには食事せねばならず、税金払って・・・。そのような現在に、そんなものいますかね?努力して近づく人はいますが。また、努力して少しでも近づこうと頑張ってる人がいるのも確かですが。 それに、霊能者だからと人格もヨシとは限らないのは、誰しもが知ってる話ですよ。 それから、霊能者だけでなく、一例ですが、この世には神仙の道をいく人もおられます。 あなたの知人で、そのような立派な方々がたくさんおられるようですので、こんなところでわざわざ質問せずともよいでしょう。 あなたがそういう世界にいながら、表に質問するのはいかがなものかと。 密教は字のごくです。 神道にも表神道、裏神道があり、初詣や祈祷受付なんかで公開されてるのは表神道らしいです。(私も正確には知りません。) 私は冗談まじえて「裏の世界」と言い方したりしてます。 >あの世から帰って来た人はいません。 1魂がそのまま生まれ変わるわけではないです。あっちでいったんミックスされて、その大きな塊から分離して、一人としてうまれ変わるという説もあります。 そのまま生き返ったら、ゾンビでしょうかね?笑 >夢を見たことも書き留め全て後で確かめています。 今回の質問は、まさか夢の中の話ではないですよね? >口より行と天台宗の阿闍梨に言われましたが、私には人間一生修行とも最近思います。 生きることはすなわち修行ですが、35年もやってて最近だなんて・・・遅いと・・・・ 滝に打たれるだけが修行じゃないんですよ。 子供でも小学校へ行くと、そこで友人関係で神経使えば、それも修行になるし、教室の掃除をすば、それも修行。 大人になって、子供を育てることも修行。 畑で野菜を作ることも。夕飯の支度をすることも。 日常生活の中に、おおくの修行がというか、ほとんどすべてのような気がします。 私はこの阿闍梨様がどんな考えの人なのか知りませんけど、仰る「行」とは何も特別なことだけをさすのではないことくらい上級の人ほどご存じのはず。 (ちなみに、私の師も、晩年に阿闍梨になりましたが。) >信心も初めは、形からではありませんか。 だから、前の回答者がおっしゃってるように、勝手に好きに思ってればいいんです。 そりゃね。スポーツ、趣味なんかするにしても、衣装から入る人もいますよ。ええ、いますとも。 それを悪いと言ってませんよ。 けども、もうそろそろ、気づいてほしいなあと思いますねぇ。 あちらの人(あの世のものたち)は、物質もてませんよね? >人間なかなか悟れないのが人間と思います。 そうでしょうか? それに、いったい何を悟るというのです?ゴールなんてあるのですか? ○○を悟るのが目標ではなくて、生きてると「ああ、そうなのか」と気づくことが磨きになるのでは? 四国のいざなぎ流や、カミンチュ、ウエイン、イタコ、・・・・・などなど、多くの民族文化を研究なされてください。 あなたが先お補足やお礼の文章に中に挙げた密教だけでは井の中のなんとかです。 なかなか表だって話してくれない領域のことですから、ここで、おはぎがどうこう、手作りがどうこういう問題じゃないんです。 寝たきりの老人でも先祖を供養することもできれば、声が出ない人でも神様に礼を言うこともできます。 厳選された種を使って作物を育て、かなり手入れして育て上げたもので、供え物を手作りしても、この例の寝たきり老人の供養する心にはかないません。(念の為、勝ち負けではありませんがね。要はキモチなんですよ。キモチ。)
お礼
会ってお話ししないと気持ちが、伝わらないことも有ります。インターネットの世界の限界も有ります。反対意見も少数意見も自分以外尊重しないのが今の悪しき風潮です。私は、団塊の世代と言われても日本の伝統や文化を日本人として大切にすべきだと思っています。
補足
私の家宗派は、天台宗でも真言宗でもありませんが。せんこうの話は本当です。夢ではありません。私は、お彼岸とお盆は自分で白玉粉を練ってお供えしまします。両親が亡くなってから私ひとりで作っています。親鸞上人が言われた様に比叡山に籠っても悟れないのが凡人と思います。今の時代勝ち組と負け組、適者生存、自然淘汰の今の現世ですね。切敵視や生存負ければ田舎に引っ込む若い人も多いようです。私は、京都のお世話になった方に教わりました。腹は立てるものではなく寝かすものと思っています。私も若くないので1日を大切に一期一会の心で出会いを大切にしています。私に教えていただいた比叡山の阿闍梨さんも今は草葉のしたです。
仏縁濃く、修行中の者です。 いまどき、神仏を小ばかにする人が増え、理解されることがなくなり、ご質問者様のような信仰心あつい方は貴重な存在になってしまいました。 皆、正月の初もうでや、宮参りやら、結婚式や葬式なんかでは、そういったものに頭を下げるのに、都合の良いときだけ祈り、勝手なものです。 それで、拝読させていただいてて、あまりに回答者の方々が気の毒で、投稿することにしました。 そこは、目の神さんとして有名なところですが、信仰心のある人なら、お不動さんに手を合わせることもあればお大師さんに手を合わせることもあります。当然、観音さん、役行者他、対象となるものは寺や神社でまつられてる神仏すべてです。 朱印帳を集めたり、遍路さんなら掛け軸や白衣(おいづる)に朱印を集めたりで、当然そういう寺なんかではお大師さんを祭ってるところけっこうあります。セット?といってもいいくらいです(質問者さまが正確を求めるお方のようなので、念のため言いますと、正しくはないですが)。 「金 似てる 鉱物」で検索してみてください。 一例ですが、 http://outdoor.geocities.jp/kuromaoko/atenoisi.html 「金粉 火花」なんかでも検索してみてください。 信じたいー気持ちはよくわかります。 でも、「金」と、「金粉のようなもの」は異なります。あなたが紙にはさんだものは、数年後変色してるかもしれませんね。 私は、生まれが仏縁濃く、そのため観音様とは先祖代々にご縁が深いです。切っても切れないです。 やはり、若い頃は、不思議なことがあると、神仏とつなげて、意味をさぐってました。当然(といっていいのかどうか・・・。神仏を毛嫌いする人たちからは理解されないこともあります)、なかには意味のあるケースがありますよ。 どうやって確認してたかというと、かつては師(この人は神仏から役を与えられ霊媒師をさせられていた)を通して(通訳にして)確認してました。 私もですが、あなたにも、先祖さん達(複数形ですよ)がいます。 その先祖たちの中には、あの世で修行してる霊たちもいます(逆に、堕ちてる、つまり成仏できてない霊たちもいます)。 上がってる先祖たちの中には、修行中の先祖も多く、大日如来、薬師如来、十一面観音、千顔観音、聖観音、お不動さん、アマテラス大神、・・・・・・そのほかたくさん、に仕えてる先祖もけっこういます。 だから、あなたに縁があるのは、お大師さんだけーってのはあまりきいたことないです。(他の回答者様はそれをいいたいのでは?) 何日だから、ご縁日ーと紐付したいのは、気持ちはわかりますし、あちらの方々(神仏)が、あなたに気づいてもらいたいから、そういう日に不思議なことがおこっても不思議じゃないですが、あまりに固執しなくてもいいのでは? 私なんか、ご縁日かどうかも忘れてても、あとでそういう日だったねって、他の人に教えられるくらいです。 ご縁日でなくても、不思議な偶然はいっぱいおこります。 私の場合、昔はそうでもなかったですが、10年くらい前から、天気の様子をみてると、笑えるほど・・・。 雨が降ってて、「いやだな、今日は特別なのに。車から降りたら濡れるじゃないか」と思ってると、下車時には止んで、そしてまた車に乗ったら雨が降り、また下車時には止んで・・を繰り返す。 それが、もっと気持ち悪いこともあって、参拝後に強烈な雷がついてきて・・・(このエピソードは多くの人が知ってるので、事情があって割愛します。) 夢枕に・・・ってのも多いですし。「これでも信じないのか!」ってくらい、強く、多く、信号だしてこられます。 しかし、勘違いしてほしくないのですが、みな、神様がやってるーと思っては間違いです。 眷属、つまり部下たちが動いてるんです。 おおもとの神様が動くような場合は、個人的なことには自ら動きませんで、国とか世界的な大事のときだけです。 ここらへん、わかりやすいように、私達一般人の前なんかでは、ひとことで「かみさま」「ほとけさま」とひとくくりにしてるだけ。 眷属とはいえ、キツネの恰好したり、蛇の恰好したり、(相手である)私達にわかりやすいような形になって現れたりしますが、もとはエネルギーです。形なんか、バビル2世ロデムのようにいくらでも変化します。 気を付けないと、「私は」が「私だけは」と特別な人に思えてきたら危ないですよ。 「勿論おはぎもお供えしましたし」と書くということは、「こんなこともしてやった」に聞こえます。 何かをしたから、そういう不思議なご褒美をもらっても変じゃないーと思い込むのは危険です。 神仏は100%善か?と言えば否ですよ。 いたずらな者もいます。 そしてご存じでしょうが、まつりあげられてる日本の神様の中でも、こわい神様、他者を思いやらない神様もいます。 修行中の眷属の中には、ふてくされてるやつもいます。 先祖霊だって同じです。 そいういたずらキツネに遊ばれて、しまいにドン!と落とされる話はよくききます。 あなたは、偶像崇拝におさまらず、また、現世利益追求するにとどまらず、物質だけがすべてと思わず、まごころ第一に、すべてに感謝して生きていっていただきたいです。 今は説教されて腹が立つでしょう。 ご理解いただけるには、まだ何十年もかかるでしょうが、魂磨きをしてください。
お礼
私は怒っていません。御利益や義務感、霊感を身につけたい一心では、長く信心はできません。途中で止めた人を何人も私は、見てきました。私は、お彼岸とお盆には白玉粉を練り団子を作りお仏壇にお供えします。母のして来たことを見ていましたから。私は、三代前の御先祖まで35年以上掛けてさせて貰いましたが。私も年齢的にもう出来ません。あの世から帰って来た人はいません。私は、おこ僧侶にもなれます。本当の霊感がある人はほとんどいません。心霊商売人ばかりです。信仰をさせて頂き50年御世話になり教えを受けた亡くなったmさんの教え信仰は牛の涎のごとく細く長く末永くするものですと言われました。霊感を身につける為や御利益を求めて信心をしてきたのではありません。霊感師や霊能力者は、精神的におかしい人や鬱病の人が多いと高野山真言宗準別本山の和尚さんに教わりました。今回の件も検証します。夢を見たことも書き留め全て後で確かめています。 準別格本山のお世話になった和尚さんに言われました。今回の件も夢を見たことも全て私は、これまで検証して来ました。私の家は、真言宗ではありませんが、亡くなられた修業のたった和尚縁をいただいたからです。私の家は、宗派通りお祭りしています。口より行と天台宗の阿闍梨に言われましたが、私には人間一生修行とも最近思います。パソコン古く具合が悪いので御迷惑をおかけ致します。 信心も初めは、形からではありませんか。人間なかなか悟れないのが人間と思います。
補足
私も先祖供養も義務感ではしていません。毎日神様に新しいお水、蝋燭を上げて仏壇にお茶と水夕方炊き立ての御飯を供えています。最近お彼岸でも日本人としての長年の日本の伝統と習慣が、各家庭で今忘れられているように思います。おはぎも手作りが一番と思いますが時間と費用が掛かり過ぎます。おはぎをそなえたからと別御利益なんか考えていませんよ。ずっとお供えしていることです。そんなこと考えていたら神様や仏様に手合わせられません。もう私も第二の人生です。日々時間と出会いを無駄にせずに出来る範囲のことでさせて頂ているだけです。私は偶像崇拝でも現世利益など少しも考えていません。
3です。 >私は、幼少のみぎりから両親が信仰していましたのでお寺参りをして来ましたので自然と信仰の道に入りました。 家内もにたようなもんです。 >亡き母が生前南無大師遍照金剛と唱えなさいと言っていましたので、 こういう方は多くいらっしゃいます。めずらしくありません。(いっときますけど。わるい意味で書いてませんよ。) >滝谷不動尊から頂いた延命香は、弘法大師様のお導きと思っています。 心理学的には、「勝手にどうぞ!」です。冷たい言い方かもしれませんが、個人の自由という意味です。いけずで書いてませんので。 >滝谷不動尊は、真言宗の寺院で不動産屋の滝谷不動産では有りません。 存じてます。入力ミスでしたが、気づいてましたが、(一般にこういう宗教っぽい話をしたら、アホにしくさる人が多いので、少々道化を交えて書きました。気に入らなかったらすみません。霊とか神とか、そんなのおるか!ばかばかしいという人間が大勢いて、家内は泣いてますので・・・)そのまま修正せずにおきました。 >おはぎは、お彼岸の中日にお仏壇にお供えするのが日本の伝統的なお彼岸の習慣です。この世とあの世に結ぶお供えとか言われる方も有ります。私は、スーパーで買って毎年御ね先祖様にお供えしています。 ですので、それは現世で生きるものの、勝手な心。自己満足なんですよ。(って書いたら、また逆上しるでしょうけどね。いけずではないんです。) 伝統だかどうかは、あなたが勝手にきめたこと。もしくは、TVなんぞで「そうだ」と言ってるだけのこと。正しいかどうかは誰もわからない。それに、おはぎのことをどうこう言ってるわけじゃないんです。あなたが勝手に悪い方へ解釈してるように感じますが・・・。気にさわったんでしたら謝ります。 先にかきましたように、私が言いたいのは、「本質問文では、おはぎのことを省略して書いても、私の回答はかわりませんよ。見えない世界からの、ありがたいメッセージなんですよ」ってわかってほしかっただけです。(だから、おはぎの意味合いなんかどうでもいいんです。) ですが、(あなたが憤慨してるようですので、弁解しておきますが、)ついでですので書くとですね。それこそ「見える人」からしたら。そういう供え物は仏壇なら仏壇の向こうからすっと手が伸びて、マンジュウならまんじゅうをいただくのが見えるそうですよ。だから、お母さんが、そうやって習慣的にしてたのなら、娘のあなたがが同じようにやってくれてることをとても喜んでるんだと思います。 >親が仏壇を拝めば子供はその姿を見るではありませんか。昨今の乱れた日本の世相に彼岸明けの今日思います。義務感ではお仏壇もご先祖様も拝めません。 は?何を言いたいんですか? いわずもがな、親の背中を子は見てますから。 義務感で、亡くなった人をしのぶなんてできないでしょう。 ただ、正確に言いますと、盆だから何々をしなくては!とか、彼岸だから何々をするのよね!とか、そういう習慣、慣習になってしまうと、心が抜けてしまう、心なしでも行事はやってしまう、それって義務感というのでは? 彼岸におはぎは欠かせない!ハクセンコウ(おひがし)は欠かせない!線香にろうそくは欠かせない!花も欠かせない!ぬけてはダメ!って思うのは、やはり義務感かと・・・。 (って、こんなこと書いたら、また気分害されてしまうだろうけど・・・) ともあれ、18金の、あのゴールドではないと思うよ。たぶん。 だけど、「そのように見せた!」というのは、大きな意味があるんです。ここをわかってほしいんですがね。 (どうしても、マンジュウや金粉という形あるものに心がとらわれてるようですが・・・・。) あなたのお母さんに対する気持ちが、おはぎよりも、線香よりも、どんな物品よりも、はるかにはるかに高尚なんですよ。わかります? あの世で、お母さんはあなたからの贈り物はいらないんです。それよりあなたの気持ちがどんなにうれしいと思ってるか。だから、あなたにわかってほしくて、光って見せたんです。 何もマンジュウそなえるな!と言ってるのではないですよ。 まず初めに、心ありきということをわかってほしいんですが・・・。 (心が伴わないのに、供え物だけきっちりと用意されてもうれしくないんです。) おたくの気分が悪そうですから、再回答は控えさせていただきます。 どうぞ、どこかの霊感さんに見てもらってくだされば、私の言ってるのと同じことを、また話してくれるでしょう。 このような、「おしるし」は、よくあることですから。
補足
私は、残念ながら長男ですが。本当の霊感の有る人は居ません。信心は、真心、生駒宝山寺で教わった正常な心、清らかな心と思います。今の私にはたいしたことは出来ませんが、毎朝水とお茶と炊き立ての御飯をお供えし手を合わせています。お供えと言っても今のこの世知辛い世の日々の生活に追われている庶民は、今野世の中では昔のようなことは皆出来ないと思います。ご先祖を大切にさせて頂く心が大切です。
私は全くそういうのを信じてませんが、家内がほんの少し霊感体質(霊能者ではありません)で、家内はあなたのお母様のように(新興宗教ではなくという意味)神仏を切っても切れないと。自然神っていうんですかね。 で、家内といると、摩訶不思議なエピソードも数多く体験します。(それでも、私には信じられませんが。) で、そのような家内に、本質問文のことを話ましたら、「悪いけど・・・」と、残念なことばがでてきました。 家内いわく、「金粉と思いたい気持ちはわかるけど・・・。」 「生きてると、私も本当に不思議なこと、いっぱい経験してきたし、金粉がでることだってあるでしょうけども。でたっておかしくないけども・・・。」 「でもでも、それはたぶん、あの”金(金属のゴールド)”ではないと思うわ。 大学とか、どこかで分析してもらったほうがいいよ。 他の金属破片だと思うから。」 そして、「私の知人も、あれはケセランパセランだとうれしそうにいうんだけど、写真みせてもらったら、あれってポプラの部類の植物の種に似てるのよ。本人は、種だと承知してても、夢を見たいみたいで、ケセランパサランで通すみたい。その人は、そう信じたいという希望なのよね。」って。 おまけですけど、 「そやけど、24金とか9金とかの金のコナじゃなかったって、ろうそくに点火時に、そうして喜ばせてくれたことは、意味があるよ。形のある”物”がどうこうではなくて、この人(あなたのこと)の心にどのように思わせることができるかが重要だよ。」と。 それから、「もし、そのようにあちら側(あの世とか見えない世界)から、この世の人間(つまり今回の場合はあなた)に、伝えたいことがあったら、ローソクの溶けた蝋の形に現れることがあるから、そのローソクをよく見たらいいわ。いつもと違う形になってるはずやわ。滝谷不動産やったら、たぶん龍が関係してるやろし。」だそうです。 文章の中で、「亡き母の導き」と「おはぎそなえた」は、文章からはずして考えた方がよいとのことですよ。 「別に、この人を何に導いてるわけでも、どこに導いてるわけでもないし。勝手にそう思い込むほうが危険だよ。」だって。 「まあ、お母さんをはじめ、ご先祖さんたちが、”気持ちはちゃんと届いてますよ”と言いたかったから、この人に気づかせただけやから、ふううんで、気に線でええわ。」ともいってました。
お礼
お彼岸におはぎを御先祖様にお供えするのは、ご利益以前の日本に古くから伝わるならわしです。私は、御利益や霊感を身に付けたくて信心したり、お仏壇にお供えしていません。毎日神様にもお水を変え拝んでいますが。仏縁です。今の世の中本当の霊能力者今まで一人しか出会っていません。ほとんど易者まがいの心霊商売人で、統合失調症や心筋梗塞など自分も病気持ちの人がほとんどです。人を幸せに導く先生と称する人が、残念ながら脅かすだけでほとんどいません。亡き母があの世に行って帰って来た人はいません。夢もお知らせも全部後で事実かどうか調べています。今の庶民の日々の苦しい生活の今の日本では、きっちり昔通りの教えと慣わしを護るのは大変です。出来る範囲のことしか今の男の私には出来ません。自分の宗派の教え通りささやかにお祭りしているだけです。
補足
私は、幼少のみぎりから両親が信仰していましたのでお寺参りをして来ましたので自然と信仰の道に入りました。本年は21日が、お大師さんの日とお彼岸の中日が重なりました。書き方が良くくなかったかも分かりませんが、亡き母が生前南無大師遍照金剛と唱えなさいと言っていましたので、滝谷不動尊から頂いた延命香は、弘法大師様のお導きと思っています。滝谷不動尊は、真言宗の寺院で不動産屋の滝谷不動産では有りません。おはぎは、お彼岸の中日にお仏壇にお供えするのが日本の伝統的なお彼岸の習慣です。この世とあの世に結ぶお供えとか言われる方も有ります。私は、スーパーで買って毎年御ね先祖様にお供えしています。私も長年信仰させて頂いています。親が仏壇を拝めば子供はその姿を見るではありませんか。昨今の乱れた日本の世相に彼岸明けの今日思います。義務感ではお仏壇もご先祖様も拝めません。
- lunatism
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金粉がでる、薫香がする、などは、よくある現象ですので、あまり重大な意味があると考えずに、心穏やかにお過ごしください。
- hk8854
- ベストアンサー率16% (138/839)
輪廻天象と云う言葉をご存じですか? この世は現世とあの世を廻っています。 きっと、亡きお母様が何かを知らせているのでしょう
補足
御回答有り難う御座いました。仏壇横の南側の窓からピカッと!光まして、今回生まれて初めての経験でした。
お礼
有り難う御座いました。私は、私の教わった先生の長年続けている先祖供養を死ぬまで続けます。後で事実を検証します。
補足
あなたの様のかまぼこのお力でほぐれました。私は、身を精進決済し37年間御先祖のご供養をさせて貰いました。今回の金粉のこと生まれて初めてのことで滝谷不動尊様の和尚様に御相談しお答えを昨日頂きました。内容は内緒です。私は、仏教学も学んでいるので、その気になれば基礎資格が有り正式な宗派の僧侶にもなれます。あなた様は、相当修業をされたお方と思いました。私は、高野山真言宗の由緒有る正式な寺院の長年ゴマ修業をされ今は亡くなられた和尚さんに導かれました。以前有る大きな宗教団体の幹部の方に霊感を生業としている人に幸せな人はいませんと御手紙をいただきました。あなたの言われる陰の信心です。