はっきりいうと、「よくわからない」のです。
Wikiでは「稲荷神の下のグループ」というくくりにしています。しかしあちこちの村や町の一角にいわゆる「お稲荷さん」がありますが、これがどこかのグループに所属しているのかというとそうではなく、「独立した(どこにも所属していない)お稲荷さん神社」がいっぱいあるのです。
お稲荷さんといえば、酢飯を油揚げで包んだ食べ物があるように「油揚げ」と「狐」が象徴ですが、「なぜ狐が神様(あるいはその使いの)象徴なのか」「油揚げがどう関係しているのか」というのは一切わかっておりません。
ひとつだけなんとなくわかっていることは、お「稲」荷さんとあるように、稲と関係があって、つまるところ五穀豊穣を願って祀られていたんだろうな、ということくらいです。だから確か「日本で最も多い神社」だったと思います。
「五穀豊穣なら狐とか油揚げとかどう関係すんねん?」という質問は勘弁してください。そのあたりは前述のようにまったくわかっていないのです。
そもそも、日本神道というものが宗教といっていいかどうかが難しい。宗教というのは、仏教もユダヤ教もキリスト教もイスラム教も、はたまた創価学会や天理教などの新興宗教に至るまですべて「経典(教え)」を持っています。聖書とかお経とかですね。「私たちの宗教は、こういう教えです」というのがあるのです。キリスト教の「右の頬を打たれたら、左の頬を差し出せ」なんてのがそうですね。
しかし、神道にはそういうものが一切ありません。何も教えがないのです。あるのは「儀式」だけなんですね。
さらにいうと、「いつ始めてもいい」のです。ご神体に制限はなく、神主さんを呼んで詔(みことのり)が出されれば晴れて「神社の一員」です。
「そんな無茶苦茶な神社があるのか。みんな神社庁に登録しなきゃいけないんじゃないのか」と思うところですが、かつて横浜ベイスターズが優勝祈願をかけてどこかのビルの一角に臨時で作った「大魔神社」は、神主さんを呼んだのでちゃんとした「神社」です。しかも期間限定神社で、さらにはそのご神体は絶対的ストッパーであった佐々木選手(当時)という「生きている人間」でもあったのです。でもそれもOKなのが神道というものなのです。
お礼
有り難う御座いました