上村遼太くん殺害事件での判決 これでいいのか?
神奈川県川崎市の中学1年生・上村遼太くん殺害事件の裁判で、殺人などの罪に問われたリーダー格の19歳の少年に対し、検察側が不定期刑の上限の懲役10年から15年を求刑したのに対し、横浜地裁は懲役9年以上13年以下の判決を言い渡した。
判決が出たことを受け、上村くんの母親がコメントを出した。
「意見陳述でお話ししたとおり、私たちの望みは遼太が戻ってきてくれることです。どのような判決でも、遼太が戻ってくるわけではないので、被告人に対しても、判決に対しても、今は考えることはできません」
「公判を傍聴したことで、あらためて遼太がどのように死んだのかを知り、河川敷の様子が報道されると、どうしても遼太が亡くなるまでの姿を思い浮かべてしまいます。やっと家に帰ってこられた遼太が、今も河川敷で苦しんでいるのではないかと考えてしまい、とても苦しくなります」
「多くの方に支えられて、裁判に参加することができ、特に捜査員の方々、事件直後から支援くださった県警の被害者支援室の方々、担当検察官をはじめとする検察庁の方々に感謝申し上げます。まだ二人の被告人の公判が残っておりますので、引き続き公判に臨んでいきます」
・・・この母親は冷静だ。犯人への憎しみよりも、息子が帰ってこないことへの悲しみを語っている。未成年者の殺人を知るたびに思う。
「無期懲役でええやん」と。ましてや殺された人が、まだ中1の子なのであれば(仮釈放なしの無期懲役)でよろしいかと個人的には思っている。
最近はこのサイトに書き込むことがないが、私は死刑制度に反対している。それを言うと(目には目を)とかの原理で、死刑を賛同する回答者から、ボロクソに書かれる。上村遼太くんの母親が言うように、何をどうしたところで、死んだ人は戻ってこないのだ。だからこそ殺した側の人も、少なからずこちら側の世界には、帰ってくるべきではないのではないかな?
殺人には暗黙の量刑の基準がある。一人で一人を殺した場合と、複数で一人を殺した場合とでは、量刑に違いが出てくるのだ。人を殺すなら複数で殺したほうが、断然有利な判決が得られる。人間一人の命を、まるで割り算をしているかのようで、私は最高裁の前例とやらに不気味さを感じる。
人を殺しておきながら最高が13年では、死んだ人が浮かばれないでしょう。犯人の反省の態度なども、けして裁判では明らかにされない。弁護士の力量しだい、作戦しだいなのだ。ここは絶対に間違いない。専門家はそれを知っている。それでも殺人犯を、社会復帰させようと言うのだから、げに恐ろしい。
日本は、ある意味パラレルワールドかもしれない。それでも、
「殺人犯と被害者側とが、同じ世界に住んではいけない」と私は、今回の検察の求刑と、裁判所の判決には強く言いたい。そして私は、さらに思う、
「そいつらが、こっちに帰ってきたらダメなんだ」と・・・
日本は、たぶん民主主義国家なはずである。犯罪に対して、そして人命に対して、価値観は同じゅうにする必要がある。だからこそ、この犯人たちには(こちら側には戻れない)判決を下すべきではないだろうか?
ただの酔っ払いな、そして今回は長文な、そのうえ民主社会主義者な私に、誰か決定的に教えてください。
https://www.youtube.com/watch?v=09hW_15FaLs
お礼
回答ありがとうございます