質問は、神が人間を創造したのか、いや、人間が神を捏
造したのか?
今さらこうした二者択一的な質問をしたいのではありません。
本当に質問したいのは、その質問にある構造上の問題です。
だから信仰の話とは無関係です。
また、神の定義や想像力も必要ありません。
問題は
神が人間を創造したのか、人間が神を捏造したのか、
という形式の質問はできるのに、
神が人間を捏造したのか?
と問うことが質問上の意味をなさないからです。
あたりまえですよね。
神が人間を捏造したと仮定したら、もはや人間はこの世にいない。
現に人間がいるから、その『仮定』自体が自動的に棄却されてしまう。
棄却されることによって『創造』という仮定がでてくるんです。
『神が人間を創造したのか?』
こんなふうに。
これって、構造上、インチキですよね。
先程の二者択一的質問に、『神が人間を創造した』『人間が神を捏造した』
とありますが、
人間だけには選択の自由が二つあるのに(※創造と捏造)
神には選択の自由が一つしかない。
つまり神は『人間を創造した』という選択しかない。
この時点で、この質問が公平な質問ではないことが明瞭なんです。
そこから芋づる式に『人間と神は公平ではない』とかなどという
論理が導けるのは、想像力ではなく、こうした構造があることから当然の結論です。
この構造について質問したいのですが
構造上あきらかなように、
歴史の古くから神が流行るのは当然ですし、
この構造が示唆してる決定的なことは、
これみよがしに私を信じなさい、と誘導してる構造そのもです。
この構造に公平性をもたせるなら、
どうしても『神が人間を捏造した』という現実に反する仮定
が必要不可欠であるにもかかわらず、
肝心のその『仮定』自体が人間に欠如している。
欠如してるがゆえに、『人間は不完全だが、神は全知全能だ』
とする結論も必然的にでてくる。
構造自体に公平性が欠如してるにもかかわらず、
人間が現にいるという事実によって『公平性』という
観念が構造のなかからもみ消され、
『信じるも信じないのもあなたの自由だ』
などという構造があたかも含まれているように見せかけている
構造が構造に含まれている。
選択の自由が与えられていない構造によってうみだされた
質問が質問として成立しないことは理性によって明瞭であるにも
かかわらず、『人間が現にいる』という否定しきれない事実によって
構造が成立し、例の仮定を棄却できる最終的根拠はなんですか?
補足
これが読めないんですか? >※オチを想像すること自体いやだ、という人は回答欄に文句を書かずに、この質問は無視してください。お願いします。 自分と合わない、気が合わないと思った質問者の質問は無視したほうが有意義な時間が過ごせますよ。 貴方にこの質問の回答をするのが『義務』だったわけではないでしょうに。『義務』であったなら、貴方の回答は正しいですが。