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翻案小説の原作料
江戸川乱歩の「緑衣の鬼」を読みました。 この小説は翻案もののようです。 原作者はフィルポッツという作家のようです。 この小説の場合、乱歩側からフィルポッツ側への原作料的なものは支払われたのでしょうか。 こっちはもっと複雑です。 シムノン>黒岩涙香>乱歩と翻案された「幽霊塔」というものもあります。 当時原作料が発生していたなら、乱歩がわざわざ原作料を払ってまで翻案したとも思えません。 乱歩が活躍した頃は著作権の問題は発生してはいなかったと解釈してよろしいのでしょうか。
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既に回答が挙がって居ますが、補足を。 1)フィルポッツの「赤毛のレドメイン一家」を原作とした「緑衣の鬼」は原作料を払った形跡がありません。日本では当時の著作権法で該当作品の版権が切れて居た事もありますが、翻訳の原作料を原作者に払うと云う意識が殆どなく博文館の如き大出版社でも無断翻訳をして平然としていました。従って乱歩も原作料を払うと云う思いはなかったと考えられます。 博文館云々に就いては、横溝正史の懐古的随筆などからも窺えますし、乱歩の「探偵小説四十年」(桃源社⇒沖積舎より写真版覆刻、光文社文庫版全集にも収録)の戦後の翻訳に関する項にも、戦前のように無断翻訳が許されなくなりとふれて居ます。 2)シムノンとありますが、これは誤りです。乱歩が書いた頃は原作はベンジソン夫人とされて居ましたが、最近はA.M.ウィリアムソンの「日陰色服の女」(「灰色の女」としてウィリアムソンよりの邦訳あり)とされて居ます。これを黒岩涙香が「幽霊塔」として涙香式翻訳の「幽霊塔」として紹介したものを乱歩が更に書き直したものです。 これと「白髪鬼」は涙香のものを更に乱歩が書き直したものです。 この二つに就いては、乱歩は涙香の息子さんに謝礼をしています。当時の著作権法(当時は版権は没後三十年だった)では既に涙香の版権は消滅をしていました。(涙香と乱歩に就いては「探偵小説四十年」の各所を参照の事) なお、乱歩には「三角館の恐怖」を昭和26年に書いていますがこれもスカーレットの「エンジェル館の恐怖」の翻案です。これは原作者に許可をとっています。(同上、及び江戸川乱歩「海外探偵小説・作家と作品」早川書房のスカーレットの項などを参照) 上記以外でも乱歩の諸事情については、「探偵小説四十年」を参照されると一通りの事が判ります。但し、同書については、最近、乱歩が敢えて書かなかった事や暈して書いた事などの研究も進んで居ますので、この本とは稍違った事を最近云われている項目がある事を付言して置きます。 御参考にならば幸甚です。
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- dayone
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先ず「翻訳」に関しましては、下記参考URLによりますと… 「翻訳権10 年留保」を活用できた戦前の日本は、 かりに原著作者の許諾を得なかったとしても、その著作物が出版から10年経っていれば、 それを無断に翻訳しても何ら問題とはならなかった。 …様子が伺えます。 次に、英国人作家の原作時期と翻案時期を比べて見てみますと、 〇『灰色の女/アリス・マリエル・ウィリアムソン<1898年>』 (”A Woman in Grey”Alice Muriel Williamson<1898>)→(翻案)→『幽霊塔<1937年>』 〇『赤毛のレドメイン家/イーデン・フィルポッツ<1922年>』 (”The Red Redmaynes”Eden Phillpotts<1922>)→(翻案)→『緑衣の鬼<1936年>』 両方ともに原作から10年以上経過しているのは明らかなようです。 「翻訳」と「翻案」とは別物とは言いましても、 10年以上経過して「無断に翻訳しても何ら問題とはならなかった」時代に、 原作(英語)から影響を受けて新たに翻案(日本語)した作品に著作権上の制約を受ける とは考え辛いです。…本末転倒と言いますか… 仮に翻案(英語版)なら制約を受けてもおかしくないのでしょうが。 ただし、江戸川乱歩と黒岩涙香の両者の翻案間の関係は何ともわかりかねます(><) 以上 少しでも疑問解消の糸口に繋がれば幸いです^^ 参考URL ・公益財団法人JFE21世紀財団>アジア歴史研究報告書> 2006年度「アジア歴史研究助成」>3 〇東アジア国際公共行政史研究の創成─「通商とヒトの移動」におけるガバナンス─ 東京大学大学院総合文化研究科・助教授 川島 真 http://www.jfe-21st-cf.or.jp/jpn/hokoku_pdf_2006/asia03.pdf <9/14> 戦前にあって、著作権をめぐる国際的な枠組みは、1886 年のベルヌ条約であった。 この条約は、ドイツ、ベルギー、スペイン、フランス、イギリス、イタリア、スイス など計11 カ国によって調印された。 このヨーロッパを中心に運営された条約体制は、戦前においては、 主要な欧米諸国のうち、アメリカ、ロシア、デンマーク、フィンランド、ポルトガルの 参加を取り付けられず、ヨーロッパ外部では、 わずかに日本、シャム(タイ)、ブラジルが参加しただけであった。 このように地域バランスを著しく欠いたベルヌ条約は、 その第5 条において、原著作者の翻訳権は10 年で消滅する、との規定を盛り込み、 当初、翻訳権をほとんど保護していなかった。 ところが、1896年のパリ修正会議は、 10 年以内に原著作物が翻訳出版されなければその翻訳権は消滅する(パリ条項)、 つまり10 年以内に翻訳出版すれば翻訳権は消滅しないと条文を改正し、 原著作者の翻訳権の保護を厳しくした。 さらに、1908 年のベルリン修正会議はパリ条項を廃止し、 翻訳権を通常の著作権と同程度に保護するとした。 ここで注意すべきは、1908 年のベルリン修正会議がパリ条項の留保を認めた点である。 これが、いわゆる「翻訳権10年留保」である。 戦前の日本はパリ条項を留保し、現行『著作権法』を制定した1970 年まで、 この特権を手放そうとしなかった。 つまり、「翻訳権10 年留保」を活用できた戦前の日本は、 かりに原著作者の許諾を得なかったとしても、その著作物が出版から10年経っていれば、 それを無断に翻訳しても何ら問題とはならなかった。 以上
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返礼が遅れて申し訳ございませんでした。 丁寧な解説ありがとうございました。 お蔭様でもやもやが晴れました。
全然大した情報でなくて申し訳ないですが、 その頃は権利意識が薄かった時代ですし、本に原案が誰とか書いてなければ著作権料は支払われてない可能性が高いですね 外国での侵害について裁判するのも大変ですし 乱歩も下地にしたことを認めているそうですが裏を返せば公にはしてなかったということでしょう 有名になりすぎて後々こっそり払ったという可能性もありますが 幽霊塔については払われたらしいです 参考まで http://ameblo.jp/mothra-flight/entry-10012432070.html
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回答ありがとうございます。 幽霊塔に関しては何らかの謝金を涙香の遺族に払ったという情報があるんですね。 ソースは不確かですが、昔のことですからね。 涙香の遺族に払っても原作者には払わなかったかもしれませんね。
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返礼が遅れて申し訳ございませんでした。 丁寧な解説ありがとうございました。 お蔭様でもやもやが晴れました。